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これが、恋の始まりだった  作者: Aldith
第1章|消えた王女と揺れる宮廷
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第2話|急報、学び舎へ

 ──その日、昼休みの終わり。

 王立学園の中庭は、初夏の陽光とざわめきに満ちていた。

 誰もまだ、このあと訪れる報せを知る由もない。


 若葉を揺らす風が、校舎の一隅を撫でていく。

 そこでは、互いに気を許し合うように、ふたりの少年が言葉を交わしていた。


 ひとりは、王太子エドワルド。

 名の重みを当然のように背負いながら、それを誇ることも飾ることもなく──

 昼食代わりの果実を、淡々と口に運ぶ姿には、気負いの気配は見えない。


 その向かいにいるのは、セイル=クレイド。

 今春、庶民枠から首席で入学した新入生。

 身分差など最初から存在しないかのように、彼はごく自然にそこにいた。

 すでに王太子に信頼され、“話し相手”としての立場を確立しつつある。


「昨日の試作、起動はしたけど、三秒で過熱しました」

「そうか? ひょっとして、魔核が未調整のままだったのか?」

「はい。……ただ、配列は安定してました。理論通りなら、再調整すれば持続するはずです」

「なら仕方ない。……帰ったら、再構築しておく」


 軽口を交わすふたりの間には、肩肘張った空気は微塵もない。

 その穏やかさは、信頼と実力に裏打ちされたものだった。


 ──だが、そんな空気を断ち切るように、従者の足音が近づいてくる。

 駆け込んできたのは、王家直属の従者。側近のひとりだ。


「エドワルド殿下──!」


 その名を呼ぶ声が響いた瞬間、周囲のざわめきがぴたりと止まった。

 学園の昼下がりに、目に見えない緊張が走る。


 エドワルドは声の主をひと目見ただけで、立ち上がる。

 その眼差しには、さっきまでの柔らかな光がすでに消えていた。


「……なにがあった」


 静かに問うた声は、鋭く張り詰めている。

 従者はひと呼吸おき、言いにくそうに告げた。


「……姫様が……姿を消されたと!」

「姿を消した、だと?」

「は、はい……目撃した者はおりません……」

「馬車を回せ。すぐに城へ戻る」

「すでに手配済みです。正門前に──」


「殿下……」

 

 隣から声をかけたのは、セイルだった。

 心なしか、いつもより低く沈んだ声。


「何もなかった。おまえは、ここに残れ」


 エドワルドは、振り返らずに告げる。


「……はい」


 セイルは短く返し、深く頭を下げた。

 自分の立場では王城への同行は許されない。そして、エドワルドは「何もなかった」と告げた。

 それがすべて──そう理解していたからこそ、彼は口をつぐんだ。


◇◇◇


 馬車の車輪が土煙を上げて、王都の石畳を駆け抜けていく。

 エドワルドは窓の外を一瞥したきり、一言も発していなかった。

 指先に残るのは、握りつぶした果実の香り。昼食の果物の甘い香りが、今となっては場違いなほどに遠かった。


 アリシアが──妹が、いなくなった。

 どこに、どうやって? なぜ? そもそも、信じられない。

 だが、従者の顔つきから見て、ただの取り違えや聞き間違いでないことは明白だった。


(まさか、本当に……)


 口の中が、からからに乾いていた。

 拳を握る。気がつけば、もう王城の塔が視界に入ってきていた。


◇◇◇


 一方、残された学園では、昼休みのざわめきが徐々に戻りつつあった。

 けれど中庭の一角──先ほどまで王太子が腰掛けていた場所には、妙な静けさが残っている。まるで、言葉の届かない余韻だけが、そこに置き去りにされたように。


 セイルは、芝生の上に伏せられていた本を無言で拾い上げ、視線を避けるように立ち上がる。

 そのまま木陰へと歩みを向けた。制服の肩に揺れる木漏れ日が、なぜかひどく遠いものに思えた。


 ──王女殿下の失踪。

 声として交わされたはずの会話は、誰にも聞かれていない。けれど、それでも。

 空気が変わったことに気づいた者はいた。不安という名のざわめきが、どこかで芽吹いていた。


 「殿下、急に帰られたけど……何かあったのかな」

 「やっぱり王族って、ああいうときの顔つきが違うね……」


 そんな声が遠巻きに聞こえてくる。


(……王女殿下が、消えた)


 自分の耳を疑った。

 しかしエドワルドの反応──あの瞬間の眼差しは、ただごとではなかった。


(何が、あった?)


 セイルは拳を握った。だが、その手はかすかに震えていた。

 胸の奥が熱くなり、喉は焼けつくように乾いていく。

 

 慌てて背中に手を隠しながら、奥歯を噛みしめる。

 自分はまだ、なにも知らされていない。知る資格も、立場もない。


 それでも──どうしても、ただの“学友”としてやり過ごせる気がしなかった。

 いつもなら、エドワルドの帰城は冗談のひとつも言って見送るのに。

 今回は、それができなかった。


◇◇◇


 馬車が王城の中門に滑り込むと、すでに玄関前には近衛の数人が詰めていた。

 その異様な配置に、エドワルドはただならぬ緊張感を読み取る。


「殿下がお戻りになられました!」


 その声に出迎えたのは、父王の直属部門に所属する近衛副長。普段はあまり表に出ない人物が直々に立っている。それだけで、事態の深刻さが伝わる。


「報告を」

「王女殿下が……失踪されました」


 その言葉に、エドワルドは歩を進めた。


「……場所は?」

「王女宮内の一室。もとは王妃殿下の私室だった部屋です」

「侍女は何をしていた」


「……付き添っていた者の証言では──」

「では、見ていたのか?」

「は、はい。王女殿下が鏡に触れた直後、忽然と姿を消されたと」

「鏡……?」


 彼の眉がぴくりと動いた。だが──考えるより先に、足が勝手に動いていた。

 妹が消えたといわれた部屋の扉。その前には、近衛とアリシアが信頼している侍女、マティルダの姿が見える。


「……マティルダ!」


 呼びかけに応じ、マティルダが顔を上げた。その顔に、いつもの凛とした影はなかった。


「……アリシアは」


 一瞬、彼女は言葉を失う。唇が震え、沈黙ののちに絞り出す。


「……お姿は、どこにも」


 その言葉に、エドワルドは扉の向こうを見つめた。

 まだ幼い妹。その姿が、跡形もなく消えた?

 信じられない。信じたくない。だが──事実として、彼女はそこにいない。


「術師は?」

「ただいま調査中です。……術式痕跡は、今のところゼロとのこと」


 近衛の淡々とした口調での報告。だが、語られる言葉は異常でしかない。

 ゼロ──つまり、最初から、そこに存在しなかったかのように。


「……ありえない」


 低く呟いた声に、傍らの近衛が思わず息を呑んだ。

 その声音には、まだ十七の若者に似つかわしくない硬さが宿っていた。


 扉を開けた瞬間、室内は不自然なほど整っていた。

 倒れた椅子も、破れた帳もない。まるで、誰もいなかったかのように。


「……この部屋には、誰が最初に入った」


 絞り出す声に、マティルダが応じた。


「わたくしと、第一近衛の副長です」

「その時、アリシアは?」

「すでに……姿はありませんでした」


 一瞬、空気が凍りつく。

 エドワルドは目を伏せ、深く息を吐いた。


 術師の報告では、転移痕跡も魔力の乱れもない。

 だが──そんなはずがあるものか。


「……偶然などではない」


 言葉と同時に、彼の眼差しが鋭く光を帯びる。もはや少年と呼ぶには遠い気配だった。


「誰かが、仕組んだ」


 王宮の内部で、魔力の痕跡すら残さず、王女が“消える”など──常識的に考えてあり得ない。

 ならば、常識では測れない何かが、ここで起きたということ。


「……エグバートを呼べ」

「第六課の……ですか? ですが、あの課はこういう事態には不慣れでは──」

「不慣れでも構わん。彼なら必ず見抜く。王太子の命だ、すぐに動かせ」


 近衛の問いかけに、エドワルドは即答した。


「解析と報告、両方だ──同時に進めろ」


 その瞬間、王女宮に重い緊張が走った。


 ──兄としての動揺を、封じ込めるように。

 ──王太子として、己の務めを全うするために。


 エドワルドは、唇を噛みしめた。


(アリシア……必ず見つけ出す。どんな手を使ってでも)


 この事態をこのままにしておくことはできない。

 彼自身の知らぬ鍵が王宮の”内”にある──直感が、そう告げていた。


 窓の外では、初夏の陽がまだ明るく差している。

 だがその日、王宮の空気は、誰もが息を呑むほど重く、冷たかった。

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