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これが、恋の始まりだった  作者: Aldith
第0章|白い花の贈りもの
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【前日譚SS】白い花の贈りもの② 炎月一日、白ユリの贈りもの

「ねえ、マティルダ。あのドレスはどこ?」


 仮宮の控え室で、アリシアは姉のように慕う侍女へ声をかけた。

 窓から射す午後の光が床を白く照らし、胸の高鳴りを隠しきれない声音に甘さが混じる。


「あのドレスでしたら、お部屋の衣装棚に掛けてございます。

 本宮殿へ向かわれる際のお召し物ですから、汚れぬよう大切に」


「そうなの? でも……もう一度、見てみたいの」


 アリシアは胸に小箱を抱きしめた。今朝、王太子である兄が自ら届けてくれたもの──それをマティルダはすぐに察する。


「……その箱と並べて確かめたいのですね」


「うん、やっぱりわかってる!」


 弾んだ声にマティルダが小さく笑う。十歳の祝いの日を迎えた少女の頬は、光を受けて一層明るく見えた。


 そっと蓋を開けると、中には白ユリを象った繊細な髪飾り。

 アリシアは瞳を輝かせ、問いかける。


「これって……王家の白ユリよね?」


「はい。象徴の花を模したお品を、殿下がご自分でお選びに」


「じゃあ、きっとあのドレスにも合うわよね?」


「ええ。白地に金糸の装いに、清らかな白ユリはよく映えるはずです」


 返された言葉に、アリシアは安心したように息をついた。

 マティルダの手を取って衣装棚へ向かう。


 そこに掛けられていたのは、彼女が今朝から心待ちにしていた一着。

 ふくらはぎまで届く長さのスカートに、幾重にも重なる薄布。白地に金糸を散らし、腰には深みのあるローズピンクのリボンが結ばれている。


 普段のワンピース姿とは違う。袖を通すだけで背筋が伸びそうな──そんな特別な装いだった。

 しかも今、その隣には兄から贈られた髪飾りがある。


「お兄様……『似合うと思って選んだ』って、そう仰ってたの」


 小さく呟きながら、アリシアはドレスに手を伸ばした。

 まだ袖を通してはいないけれど、鏡の前に並べると、胸が熱くなる。


「ねえ、マティルダ……本当にわたくしに似合うと思う?」


 問いかける声は、不安と期待が入り混じっていた。

 マティルダは優しく会釈し、少女の背に手を添える。


「ええ。王太子様が選ばれたからではありません。……間違いなく、アリシア様にお似合いです」


 そのひとことに、アリシアの頬がぱっと赤らんだ。


 けれど胸の高鳴りは収まらず、その後の午後のひととき、彼女は落ち着かずに部屋を行ったり来たりした。


 鏡の前に立っては髪飾りを頭にあて、スカートの裾を広げてみる。また外の光に目をやっては「もう夕方かしら」とマティルダに尋ねてしまう。


「まだ少し早うございますよ、アリシア様」

「でも……時が経つのが遅い気がして……」


 そう呟いて、椅子に腰を下ろしたかと思えば、今度は窓辺に駆け寄り、庭に咲く花を数えたり、小鳥の声に耳を澄ませたり。


 そうしているうちに、窓から差す光はいつしか金色を帯び、侍女が「お迎えのお時間です」と告げに来た。


「お兄様、これ、ちゃんと似合っていると思いますの?」


 迎えに来た兄の前で、アリシアがドレスの裾をフワリと持ち上げてみせた。

 白地に金糸が織り込まれたその装いは、間違いなくこれまでの彼女とは一線を画すものだった。


 肩まで伸びた金髪には、白ユリを模した髪飾りがとめられている。

 朝、王太子である兄──エドワルドが自ら届けてくれたものだ。


 くるりと一回転して、ふわりとスカートが広がる。


「どうでしょう? 王女らしく見えます?」


 問いかけに、兄は笑みをたたえたまま頷いた。


「ああ、思った通りだ。……よく似合ってるよ、アリシア」


 その言葉に、アリシアの顔がぱっと輝く。

 たとえそれが儀礼的なやり取りであったとしても、今この瞬間だけは、家族としての素直なやり取りが許されていた。


 本宮殿の奥──格式ある一室には、白布をかけた円卓と、簡素ながら上品に整えられた祝膳。

 温かなスープの湯気が立ちのぼり、香ばしいパンが籠に盛られている。それ以外にも、中央にはアリシアの好物ばかりが小さく並べられていた。


「……これ、わたくしの好きなものばかりです!」

 

 思わず目を丸くすると、兄が微笑を浮かべる。


「父上が、今夜は『家族だけで祝いたい』とおっしゃっていてね。料理長に命じて、お前のお気に入りばかりを揃えさせたんだ」


 その言葉に続くように、父の姿が静かに現れる。

 国王としての威厳をまといながらも、その眼差しには確かな柔らかさが宿っていた。


「特別な日だからな。お前が喜ぶ顔を見たくてな」

「……お父様?」


 驚いたようなアリシアの声に、父は咳払いをして席につきながら頷いた。


「たまには娘に甘い顔をしてもよかろう」

「父上がアリシアに甘いのは今に始まったことではありませんよ」

「私だけではないだろう。仕立て屋に注文をつけたのは誰だったかな?」

「そのようなことまで、父上のお耳に入っているとは……」

「父を甘く見るなよ」


 父と兄のお互いを牽制するような声。いつもの姿と違うことに、アリシアは小首をかしげている。


「お父様、お兄様……とっても嬉しいです!」


 三人の笑みが一瞬、卓上の灯火を柔らかく揺らす。

 こうして家族だけで食卓を囲むのは──母上がご健在だった頃以来だと、兄が静かに呟いた。


 その一言に、胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 母の記憶は少しずつ遠のいていたけれど、決して忘れたことはなかった。

 けれど、今宵はただ懐かしさに沈むのではなく、新しい始まりを迎える日なのだと、アリシアは感じていた。


「朝議でも申したが……今宵は家族の場だ。だからこそ、改めてお前に伝えておこう。

 今日でお前は十歳になった。王家の血を継ぐ者として、これより正式に『王女宮』を与えることとする」


 静かに、けれど確かに響いた国王の言葉に、室内の空気が一瞬、凪いだように静まる。

 言葉の意味を咀嚼するには、ほんの少しだけ時間がかかった。


 その空白を破ったのは、思わず立ち上がったアリシア自身だった。


「……それって、今までのお部屋じゃなくて?」

「そうだ。あの場所は本来、王妃の宮だった。これまで暫くの間、そなたに使わせていたが……

明日からは、王女アリシアのための居所としてきちんと整えることにした」

「わ、わたくしの……?」


 驚きに目を丸くし、自分の胸元を指さす。

 けれど、父はゆっくりと頷いた。


「王女としての立場も、役割も、少しずつ求められていくだろう。

だが、それと同じように──そなたの居場所も、名前も、王家の者として然るべきものに整えられていく。それは、今日この日からだ」

「……はいっ!」


 乳母から教わった通りのカーテシー。

 ぎこちなくも真剣なその動きに、父も兄も言葉なく目を細めた。


 やがて、椅子へと戻ったアリシアの表情には、先ほどまでにはなかった確かな色が宿っていた。

 自覚。責任。名誉。そして──胸を満たす、ほんの少しの誇らしさ。


(わたくし、本当に王女になるんだ)


 言葉にはしないまま、そっと自分の胸元に視線を落とす。

 朝に兄から手渡された髪飾りが、金の髪の横で小さく揺れていた。


「……お父様、ありがとうございます。わたくし、精一杯がんばります」


 座ったまま、小さな手をきゅっと握って、まっすぐに伝える。

 王もまた、それを言葉なく受け止めていた。


 その隣で、王太子エドワルドがふと視線を逸らすように、ぽつりとこぼした。


「……大きくなったな、アリシア」


 それは王太子としての言葉ではなく、ひとりの兄としての実感だった。


 やがて、父が席を立ち、背を向ける。


「明日からは忙しくなるぞ」


 くすりと笑って言い残すと、そのまま執務へと戻っていく。

 王太子もまた、静かにその背へ続いていった。


 扉が閉まる音が響く。

 ひとり残されたアリシアは、しばらくその場に佇んだままだった。


 やがて、壁際の鏡の前へと歩いていく。


 鏡の中には、ふくらはぎまで届くドレスをまとい、白ユリの髪飾りをつけた少女の姿。

 ほんの数時間前までとは、何かが違って見えた。


「……ほんとうに、似合ってるかしら?」


 鏡に問いかけるように、静かに呟く。

 少しだけ頬が熱いのは、嬉しさのせいか、それとも──


 その違いは、まだはっきりとは分からない。

 でも、ひとつだけは確かだった。


 鏡の中の自分に、そっと笑みを向ける。

 まだ十歳の、けれど──

 その笑顔は、ちょっと背伸びをしているように見えた。

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