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12-2 最後のいただきます


 ナンを炎獄の扉に繋がる岩に張り付けると、ジュウッ、と小気味よい音が弾けた。

 その瞬間、熱された岩肌から、小麦の香ばしさがふわりと立ち上る。こんがりと焦げ目がついていくにつれ、香ばしさの中にどこかほんのり甘い匂いが混じり、破けた部分から溢れ出したチーズが、じわりと岩肌に垂れ落ちた。 

 チーズが焦げることで広がる濃厚なミルクの香り。

 小麦の香りと、チーズの香りが絡み合って――それはまるで、空腹に直接囁いてくる誘惑のようだった。


「…………美味しそう」


 誰かの喉が、ごくりと鳴った。

 そして私もまた、無意識にお腹をさすっていた。

 戦いの前だというのに、胃袋だけはすっかり準備万端だった。


「まさか、魔王も扉の前で呑気に料理をしてるなんて思わないだろうね」


 このナンの焼き方は、ナンの本場・イランが行っているタンドール窯で焼き上げ手法にならっている。タンドール窯とは壺の形をした壺窯型オーブンで、本場のナンは生地をタンドール窯の内部に張り付けて焼くのだが、とうぜん一般家庭にはないものだ。

 だから、いつの日か機会があればやってみたいなぁと思っていたのだが、いやあ本当に良い機会があった。


 さすがに炎獄の扉でやると一瞬で消し炭になりそうだったので出来なかったけれど、この熱源のお陰で両脇にある石壁がタンドール窯の代わりになってくれた。

 張り付けたナンの表面にきつね色の斑焦げが浮かび始め、ふくふくと膨れ始める。それを見て、適当にフライ返しで剥がして、皿に移しながら言った。


「いいのいいの!魔王の部屋があるってことはその先で待ってるってことだし、ロマネルクも待ってるっていってたし!」

「ゲーム感覚すぎるだろ、あとロマネルクもまさかこうなってるって絶対思ってねーって」


 どうしてこうも能天気なんだ。頭を抱える隣で、隣に立つイサハヤもまた渋い顔を浮かべている。しかし、その手にはグラスがある。それから後ろに立つ千早や燈夜の手にも同じようにグラスがあり、それぞれ琥珀色の液体が入っている。……ああ、そういえば、彼らは飲み物の係だったか。

 朝陽が訊ねると、ゲッソリとした様子で千早が言った。


「それは?」

「オオリンゴのフローズンジュースです……」

「オオリンゴって……あぁ、あの馬鹿でかい奴か」

「それをよくジュースに出来たな、絞るの大変だったろ」


 朝陽が言うと、三人の視線が芽衣に向く。

 アイツです。アイツが犯人ですって顔だ。揃いも揃って恨めしい顔をしている。


「めめち……一体なにしたの……」


 ミズキが言うと、チーズナンの収穫を終えた芽衣が失敬な!という顔で立ちあがって言った。


「私はただ、あのロマネルクに膝をつかせた時みたいに重力技を使ってオオリンゴを切ってもらって、ジュースを絞ってもらっただけだよ!」


「それだけか?」

「あとは千早のウォータークッション使ってオオリンゴを洗ってもらったり、氷魔法でフローズンにしてもらっただけ!」

「全然、だけじゃないんだよなぁ」

「……はあ」


 イサハヤさんの溜息は深かった。まさか重力魔法を兼ねた技で、ジュースを作ることになろうとは。

 剣士として名折れではないだろうか。しかし突っ込みをいれたところで、もう作った後だし、提案されたときの熱意につい押されてしまった。


「はぁ」


 イサハヤがもう一度息を吐くと、朝陽が背中を叩いた。

 まぁまぁ、芽衣はこんなもんだって。そう言いたげな顔だった。


 焼きあがったチーズナンに、具材たっぷりの思い出カレー。それと飲み物にフローズンリンゴジュース。そんな豪華な食事を揃えて、六人は輪になってその場に腰を下ろす。


「手を合わせてくださーい」


 私の言葉に、全員が手を合わせる。

 イサハヤさんもそれにならい手を合わせた。

 うんうん、イサハヤさんもすっかり私たちの仲間って感じだ。


「いただきまーす!」


 それが食事の合図。みんなも同じようにいただきますと言ってナンを千切ると、中々切れずに伸びるチーズにオオッと喜び、そして口へと運ぶ。

 口の中で溢れる熱とチーズの旨味。生地にあるほんのりとした甘みはチーズと混ざり合って極上の旨味へと代わり、今度はカレーを口へ運ぶとピリリと辛いカレーが口の中を盛り上げる。


「おいしーい!ねぇ、これ美味しいねえ!」

「はふ……っチーズも美味しいです……!」

「はぁ…っ、このフローズンリンゴジュースも美味しい!リンゴジュースとカレーって合うんだねぇ」

「そういえば、カレーの隠し味に林檎を居れたりするもんな」


 フローズンリンゴジュースはさっぱりとしていて、それからしゃくしゃくとした氷が口の中で溶けていく。なんとも文句のつけようのないメニューだ。新メンバーのイサハヤさんも多少なりともそれが気に入ったようで、特にカレーを掬う動きが早い。


 どれも美味しくて、新鮮で。なんとなく胸がぽかぽかして気力が満ちてくる。

 これは魔法というよりも、料理のなせる業だろう。

 やっぱり料理って、食べることって生きる上で大事なことなんだ。


「ふふ、みんなでご飯を食べるってやっぱりいいなぁ……」


 独り言ちるように言う。

 みんなが笑みを浮かべて食べる様子を見て、同じように頬張る。


 ……ああ、こういうの、昔はなかったな。

 両親が亡くなってから、叔父の家に預けられたけど、食事はいつもひとりだった。

 テレビの音と、自分の咀嚼音だけが響く静かな食卓。


 「いただきます」も「おいしい」も、誰にも届かなくて。

 それでも生きてたけど、それは……求めていたものじゃなかったのかもしれない。


 でも、今は違う。

 ここには、声がある。笑いがある。

 誰かと一緒に、ちゃんと“生きてる”って思えるごはんがある。

 そのとき、何故か分からないけれど、とつぜんロマネルクが言っていた恨み節が頭を過ぎる。勇者に対して抱いていたあの恨み節には一体どういう背景があるのだろう。

 食事を終えた私たちは、全員で後片付けをした。


 そのあいだ話す会話は段々と減ってきて。気付けば、みんながこれから迎えるボス戦闘を気にしていた。でも、誰も逃げることは口に出さなかった。


「……絶対帰ろうね」


 炎獄の前で、顔も見合わせずに言った。

 それに対する返事はない。しかし、皆の心は一つだったと思う。温かい感情と、勇気を手に、熱風が一斉に吹き出しながら開く扉を見て、最後の戦いに向けて歩き出した。

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