9-3 私に出来る事
「う、わッ!」
「見た目は普通でも、中にはこういう罠もあるってわけさ。……ほら、見てみな。この床石は周囲より少しだけ色が違うだろ?」
「あ、本当だ……よく見たらほかの色とちょーっと違う気がする」
「……少し黒ずんで、ます、かね……?」
「……ほんとだ。表面の摩耗が微妙に違う。……これ、巧妙にカモフラージュされてるよ。かなりレベルが高い……」
指先で床石を軽く擦るミズキにならい、同じように触って目を細めてみる。触って、撫でて、指を這わせて。そこまでやって、ようやく色の違いに気づいたものの、遠目でよく見ないと分からないほどの些細なものだ。正直これを視覚頼りに見極めるのは困難で、間違い探しの域ではないだろうか。
「いいか、こういった違和感を見逃すな。それがトラップ探知の基本中の基本だ」
「そうはいったって……」
そりゃあ戦闘外ならみんなで間違い探しは出来ると思う。でも、ダンジョンの中では戦闘がつきものだ。ゆっくりと見ている暇なんてないに決まっている。
オールドさんは壁際に近付いて、古びた装飾が彫られたレリーフを指先で軽く叩く。コーン……と金属的な音が響いた直後、カチャリとわずかに角度がズレた。
そして。
ヒュッ――!
「うおっ!?!?」
頭上から振り子のように降りてきた大斧が朝陽の耳元を掠め、背後の壁に突き刺さる。
「これが隠しスイッチってやつだ。装飾に見えて、実は起動装置になってる。……よくあるパターンさ」
ぞっとするような危機一髪の光景にも、オールドさんは慣れた様子で笑っていたけれど、全然笑いごとではないと思う。その様子を見つめながら、無意識に手を握りしめていた。
この坑街では、罠は生活の一部であり、敵からの防衛手段でもある。
自分たちが生き延びるために設けられた工夫が、こうして息づいている。
「芽衣」
イサハヤの低い声が、隣から聞こえた。
「お前の“気配察知”は、振動も感じとれるはずだ」
「ええ、でもこんな間違い探し、出来る自信ないよぉ……」
「……罠の中には、作動前にわずかな魔力の波を発するものもある。まずは試してみろ」
どうやら泣き言は許されないらしい。少し驚いたように目を見開いてみたものの、イサハヤさんは真っ直ぐに此方を見ている。恐る恐る罠のあった床にしゃがみこみ、手をかざす。
床の石は冷たくて、硬くて。けれど、その奥から……ビリッと静電気のような、空気がほんの少しだけ揺れたような気がする。不思議に思ってほかの部分を触ってみるけど、他は冷たくて硬いだけで何も起こらない。
抱いた違和感は、確信に変わった。
「……ここ、何か変。空気が、ちょっとだけ……違う。踏んだら、きっと何かが起きる」
オールドは感心したように目を見張った。
「ほぅ……なかなか筋がいいな。押してみな」
「え?大丈夫なんですか?」
「正解がどうなのか、見なきゃいけねえだろ」
「それは確かに……、……えいっ」
押すと、横の壁の一部がカパッと口を開けた。そこから飛び出したのは鋭い一本槍でちょうど朝陽のいた位置に落ちてきた。
「うおおお、危ねえ!というかなんで俺ばっかり!」
「主人公気質なんじゃない?」
「フォローになってねぇよ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐなか、オールドさんと私はそれを見ていた。
しかし、オールドさんの言葉は私ひとりに向いている。
「いいか嬢ちゃん。勘じゃない、感覚で気づけるってのは見込みがある」
「でもアレは教えてもらっただけで……たまたま、かも」
「うん?なんだ随分と謙虚なんだな。……いいか、これは誰でも出来ることじゃねえ。お前がお前を信じてやらなくてどうする」
「あ……」
その言葉に、言葉が途切れる。
「何があっても自分の仲間でいてくれるのは、己自身だ。そしていま手に入れたその感覚は、きっと役に立つ」
その言葉に、ほんの少しだけ、胸が揺れた。
――役に立つ。
そう言われたのは、きっと初めてだった気がする。
でも、本当に?こんな曖昧な“感覚”ひとつで、私にも……誰かを助けられる日が来るのだろうか。
心のどこかが、まだ答えを出しきれずにいる。けれど、その問いは、確かに芽衣の中に残った。
「さて、次はミミックの見分け方でも教えてやろうか。……宝箱なんてのは、基本、疑ってかかれ。叩け。揺らせ。……疑え!」
大仰に言って、オールドはまたにやりと笑った。私、思わず笑っていた。
魔法がなくても、自分には“できること”がある――そんな予感が、胸に芽生えていた。
*
ダンジョントラップの講義を終えて、ひとり外に出るとすっかり星の輝く時間帯になっていた。
星降る夜とは、きっとこういう光景のことを言うのだろう。標高も高い山岳地帯・ゴロンロンの頂上近くで見る星空は、驚くほど壮観で、なんだか星までの距離が近いように見える。
肌を撫でるようにして駆け抜けていく風がどこか肌寒いような。小さく息を吐き出して適当な岩場に腰を下ろす。膝に当てた手の平には細かな傷がたくさんあって、爪だって元の世界にいた時よりも色どりがない。いつしか視線は、星降る夜空に戻り、ぼんやりと星を見た。
「……ミズキは新しいクラフトに魔法を覚えたし、千早も心強い補助魔法を使えるようになった……」
「朝陽も燈夜だって武器を慎重して、魔法を覚えて。……以前より確実に強くなってる。」
「なのに……私は何が出来るんだろう……」
「本当にみんなの役に立ててるのかな……?」
ミズキにガントレット・ナックルを強化してもらって、以前よりも強くなったと手ごたえを感じる機会が増えた。けれど、どれも武器自体の能力値が上がった事が起因しているように思えて、レベルを抜きに自分が強くなったと胸を張る事が出来ない。
それに、今回のことで分かってしまった。
この世界は、魔法がないと厳しい世界なんだって。みんなは優しいから、魔法が苦手でもカバーするよなんて言ってくれるし、上を目指さなければきっとこのままでも良かった。
でも、私たちが挑む相手はこの世界で最も強い敵で、脅威で、災厄だ。そんな相手に、ただ馬鹿正直に殴ったり蹴ったりするだけの人間が勝てるのだろうか。……全く、勝てるビジョンが思いつかない。
さわさわと草木が揺れるなか、何度考えたって結果は同じで、何度戦う前に戻ってみても、魔法が使えない自分が足を引っ張っている。
考えれば考えるほど、口の中が苦くなる。目の前にある星空は綺麗な筈なのに、願いを叶えてくれる流れ星ひとつ流してくれないその夜空が憎くなって、拳を握ると、とつぜん頭の上から声が降ってきた。
「何をしている」
その声は、イサハヤのものだった。
あまりの唐突さに肩がビクリと跳ねる。見上げても笠の中は見えるのに落ちた影で顔は見えない。シパシパと瞬いたあと、わざとらしく驚いた素振りで胸に手を当てた。
「おっどろいたぁ……もう、驚かさないでよ!」
……しかし、反応はない。じっくりと真意を見抜くような視線が、私を見る。
もう一度、イサハヤが訊ねる。
「……何をしていた」
その言葉に、言葉も、それから息も詰まる。
しかし、彼が問いかける理由に心配があるような気がして、一度視線を外してもう一度星空を見て尋ね返した。




