8-5 私にはないもの
「くそ!あれには子供が!」
朝陽が叫ぶ。
その声に、背後から即座に響くふたつの声。
「任せて!エアークッション」
「ウォータリーベッド!」
ミズキと千早が魔法を重ねた。空間が軋むように魔力が迸り、空中でふわりと風が渦を巻いた。その小さなつむじ風が巻き起こす風圧は、落下の勢いを削ぐように下から巻き上がり、そのすぐ下でプヨン、と水晶のように透き通ったスライム状の塊が袋を受け止める。
勢いはこの二重に重ねた魔法で十分殺すことが出来た筈だ。……大丈夫、受け止めた瞬間。子供の悲鳴じみた声も聞こえた。ちゃんと生きて受け止める事が出来た。いまだ全員の胸が激しく震えていた。
「はぁ……良かったぁ……」
そうミズキが呟いたものの、人の命を預かっていたせいか過度の緊張から手が震えている。じっとりした汗を服で拭うと、少し驚いた様子の朝陽が訊ねた。
「エアークッションにウォータリーベッド……いつのまに覚えたんだ?」
「へっへー、さっきこういうのいいかもって使えるようになった感じがしてさ」
「私も、みんなを受け止めないとって思って……」
「やるなぁ」
これで、一件落着だろうか。辺りにあった緊張は和らぎ、雰囲気は和やかに、先ほどまでの喧騒が嘘のように消えてようやく一息がついた。
千早が白い袋に駆け寄って、硬く縛った紐をほどく。外側に開いた白い袋にはドワーフの子供が二人、ぎゅうっと身を寄せ合って入っていた。髪の短い男の子と、スカートを履いた女の子。とつぜん陽の光に晒されて、終わりの時だと思ったのかもしれない。ガタガタと震える姿に千早はいつもの優しい声で言った。
「もう、大丈夫ですよ。悪い人たちはもういませんから」
ドワーフの子供たちは、震えていた。それでも優しい声色と眼差しに、自分たちが彼らを助けたことだけは伝わったのかもしれない。彼らは大きな瞳を揺らして涙を流した後、わあっと千早の胸に抱き着いた。──だが、まだ脅威は残っている。
「どういうことだ」
イサハヤさんが山賊の親玉へと静かに歩み寄り、顎へと大太刀の刃先を向ける。その背後には未だ警戒を解かない双子と私。子供に見せるには少々冷酷に見えるかもしれないが――重圧をかけるには十分であろう。男は戦ってもやられるだけかと乾いた息を落とすと、その場に座り込み頭を垂らした。
「いったい誰の指示だ」
イサハヤは思う。
ただの山賊にしては、あまりに不審な要素が多すぎた。モンスターであるタイガルドを従えていたこと。物理防御のアイテムを所持していたこと。そして、ドワーフの子供を誘拐していたこと。特に市場では流通していないはずのアイテムを持っているのは、何かしらの組織が関与している可能性が高い。
答えを求め、淡々とした声で問いかけた。
「誰の指示なんだ」
「……俺たちはただの運び屋だ……」
歯を食いしばりながら、山賊の親玉が言う。
しかし、続く言葉を吐く前に、突如として苦悶の表情を浮かべた。
「ぐっ……!!」
その場に膝をつき、呻き声を上げはじめた。大きく開いて魚のようにハクハクと動く口と、二の腕から先がない腕をバタバタを揺らす動作。呼吸が出来ないのかもしれない。
「ぉ、ご……っぐ、が……ッが……っ!」
まるで水の中で溺れたような、息ばかりが落ちていくような様子にその場の緩んだ糸がもう一度引き締まる。私はもう一度ガントレットを構え、朝陽と燈夜が警戒しながら剣を構える。しかし、イサハヤさんはそれを見て、静かに呟いた。
「……令呪だろうな。」
やがて、親玉は動かなくなった。ネックレスを下げていた首には絞殺痕のようにじんわりと黒い魔力が残っていた。まるで、余計なことを口にした者への罰とでも言うかのように。
「どうやら、渡された時点で情報漏洩を防ぐための魔法が施されていたようだ。……それを本人たちは理解していなかったようだが」
イサハヤさんの声には、微かな冷たさが混じる。
彼は、こういう状況を何度も見てきたのだろう。
私たちには想像もつかないような、より深い闇を。
「……何か、単純じゃないことが起きてるんだろうね」
ミズキが、静かにそう呟いた。
山賊の背後にいる黒幕の存在が、確実に浮かび上がってくる。
私は思わず口を開く。
「……ロマネルクかな」
「……さあな」
イサハヤさんは曖昧に答えたが、その目には明らかに警戒の色が宿っていた。彼はこの時点で、何かしらの確信を持ち始めていたのかもしれない。
「まずは、それを確かめるためにもドワーフの村へ向かう」
「そうですね……それに、この子たちを返してあげないと」
幸いなことに子供たちは、無事だった。多少の怪我があれど重傷者は居ない。……怯えた子供たちだって早く親たちと再会したい筈だ。
「大丈夫ですからね、私たちと一緒に行きましょう」
千早が子供たちに優しく語り掛ける中、私はひとりだけ、別のことを考えていた。
……ああ、今回もまた役に立てなかった。確かにタンクとして前線を張れたし、足場を崩して、戦況をひっくり返すことはできた。だけど――魔法があったら、もっとできることがあったのではないだろうか。
敵を一気に吹き飛ばす攻撃魔法。
味方を守る防御魔法。
ドワーフの子供たちを安全に回収できる魔法。
「……私は、どれもできなかったな」
拳を握りしめる。タンクとしての役割は果たせても、それだけでは限界がある。戦況を支える役割にはなれるが、決定打にはなれない。
……リアリストすぎて魔法が使えない。
子どもの頃から、期待すると裏切られるのが当たり前だったから。
そう思った瞬間、胸の奥がひどく苦くなった。
もしも、もっと夢を信じられる人間だったら、私も魔法が使えたのだろうか。夢なんてものもなく、いま生きることだけが必死で、最後に頼れるのは自分しかいないんだと思い続けてきたのに?
「……芽衣?」
ふと、朝陽の声が聞こえた。
顔を上げると、皆がすでに歩き出していた。
「どうした」
その声には心配が滲んでいる。
朝陽はいつだって自分のことを気にかけてくれる。でも、何かと悩むことが多い異世界だ。これ以上迷惑はかけていられない。
「あ、うん!ごめんごめん、ボーッとしちゃった!」
……魔法が使えたら、何かが変わるのだろうか。
答えは、まだ出ない。
彼女はまた前を向き、ドワーフの子供たちに案内されて、村の方へと歩を進めた。




