5-5 もう一度、前を向いて
これまでの旅で、無理を強いられた事はなかった。
幼馴染の朝陽と燈夜は細かく気にかけてくれていたし。私が朝陽に怒られていると、千早はいつも間に入って甘やかしてくれた。ガントレットが可愛くないと言った時にはミズキが可愛い模様なんかをつけてくれて――どちらかというと、チームの中でも末っ子みたいに甘やかされていたと思う。
でも、そこまでしても私は言えなかった。死にたくないこと、みんなで帰りたいこと。もっと役に立ちたいのに、自分だけが魔法を使えないこと。これを言う事で、前を向いていたみんなの気持ちまで悪い方向に引きずっちゃうんじゃないかって。こんなに優しくしてもらっているのに、あーあって思われないかって。怖かったんだ。
心の蛇口をひねったように、内に秘めていたものが溢れ出す。子供みたいに溢れ始めた涙が止まらず、下を向くと鼻水が垂れるような感覚。ヒックヒックとしゃっくりみたいに一人でに肩が震えて、もう自分では止められなかった。
「……」
静寂が落ちる。
でも、誰も、何も言わなかった。聞こえるのは鼻を啜る音と、しゃっくりだけで隣に寄り添う朝陽が背中に手を向けて背中を擦ると、それを遮るように凛とした声が言った。
「芽衣ちゃん」
それは、このチームでのヒーラーを務める、千早の声であった。
顔を上げると、真っ直ぐに向いた顔。千早は、私を見ていた。
「……私が、みんなの代わりにしっかりいいますね」
静かな宣告。
その声色にあるのは怒りとか、優しさとか、そういうものではない。ただ真っ直ぐとした言葉は、よそ見をすることを許さず、彼女は一呼吸置くとハッキリといった。
「……ここはゲームの世界じゃありません」
「……芽衣ちゃんの言うように、コレがいまの現実で、死んだらゲームオーバーなんです。死んでしまったら、もう終わりだと思います」
ビク、と肩を震わせる。
千早の言葉が、まるで胸に突き刺さるようだった。
「……」
「だから、だからこそ、あのとき芽衣ちゃんが動けていれば朝陽くんはここまで怪我をしていませんでした。ひょっとしたら、みんなもここまで疲弊しなかったかもしれません」
「おい、千早……」
「……芽衣ちゃん、あなたは私たちチームを引っ張るリーダーなんです。先を歩く人なんです!……でも、芽衣ちゃんは一人じゃないです。朝陽くんも、それから燈夜くんも、ミズキちゃんも。……私だっています。絶対にひとりにはしないし、絶対に死なせません」
千早は、そっと目を伏せて考える。
私たちは、もともと友達だった。同じ学校で、同じ軽音部のバンド仲間。仲が良いのはこの世界に召喚される前からだったけど、芽衣ちゃんがここまで弱さを見せてくれたのは、これが初めてだった気がする。
だからこそ、きちんと言わなければいけないと思った。そして支えたいと思った。友達として、同級生として、バンド仲間として。――そして、戦友として。
あの子の背中を、絶対にひとりになんてさせないために。
「……本当……?」
千早が言った言葉はずっと目を背けていた現実だった。
そう、この世界はゲームなんかじゃない。……でも、現実じゃないからこそ一緒に前を向こう。そうやって手を差し伸べてくれた言葉も、その行動もいまの私には真っ直ぐに響いた。
だから、私の問いかける言葉は、情けなく震えていたと思う。
ずっと、支えてくれる確かなものが欲しかったんだ。
「はい、私はこのチームのヒーラーですから。だから、怖くても一緒に頑張りましょう。そして、一緒に帰りましょうね。芽衣ちゃん」
その言葉が、決壊の合図だった。
「……っ、あ……あああああ!!!」
私は、千早に飛びつくように抱きしめた。抑えていた感情が決壊する。その場に崩れ落ち、千早に身を寄せたままワアワアと泣きじゃくった。
でも、ミズキも、燈夜も、朝陽も。誰一人笑わずに、ただその涙を受け止めた。
*
それから、暫く。依頼を終えて宿屋で休んでいると、部屋の隅でクラフトに勤しんでいたミズキが声を掛けてきた。
「はい、めめち」
その手には、つい一時間ほど前に貸してほしいと言われて貸し出した、ガントレットがあった。傷一つない美しい鏡面に、端に刻まれた”M.A”というイニシャル。……明らかに綺麗になっている。もしかして、新しいものに買い替えた?
そんな疑いからひっくり返したが、このガントレット手に入れたとき、武骨すぎて可愛くないからと手首の当たりに開けた穴と、編み込んだ飾りがある。それに中に手を入れた時のしっくり感は本物だ。
芽衣は驚きながら尋ねた。
「これ……私のガントレットだよね……?」
「そ、あのオオミミズから出たドロップ品で作り替えてみたんだ。……本当はもっと、直接助けてあげられたら良かったんだけど」
ミズキの声が寂しく響く。
これは、戦えなかった自分の――最大の激励だった。
「……また、つよくなれるね。めめち」
ミズキの、その言葉があんまりにもおだやかで優しいから、なんだかまた泣けてきた。目元を赤くした芽衣が頬を涙で濡らしながら強く頷いた。
「……っうん、ありがとう!」
「それから、これは千早に」
それから、感動の一幕もそこそこに、次にミズキが手渡したのは細い銀のチェーンに、透明な青い石があしらわれたネックレスだった。光を受けて、水面のように揺らめくような輝きを放つ青い石。この石が何というのかは分からないけれど、サファイアみたいな美しさだ。
千早はその美しい装飾品を両手に乗せ、感嘆の息を漏らした。
「私にも……ですか?これは一体……」
「ほら、杖がないと大変なのは今回でわかったけど、お風呂とかどうしても持ち運べないことだってあるでしょ?」
ミズキは少し得意げに、チェーンの部分を指で軽く弾く。
「だからこれ、マジックバックみたいに杖をいれられるようにしたネックレスだよ。ここに魔力を通わせたら杖が出てくるようにしたの」
「……凄い、こんな小さなアクセサリーに……!」
千早は思わず目を見開いた。その表情には驚きと感動が混じり合い、青い石に映り込んだ自分の顔をじっと見つめる。指先でそっと石を撫でると、微かに温かな魔力が感じられるようで、その優しい感触に心が安らいだ。
「ありがとうございます……ふふ、綺麗」
彼女の微笑みは、静かな湖面に花が咲いたように穏やかで、ミズキもつられるように笑った。周りの仲間たちもその光景を見て、自然と和やかな空気に包まれる。
「これで千早も、いつでも魔法を使えるね」
「ええ、これならどんな場面でも、みんなを守れる気がします」
千早の胸元で揺れる青い石は、まるで彼女の心に宿る決意を映しているようだった。




