第9話:運命を変える決断
エルネストが岩に打ちつけられる音が、俺の心に深く突き刺さった。
親友が、俺を庇って倒れた。
それは、前の時間軸でも見た光景だった。だが、あの時の俺は何もできずに見ているだけだった。エルネストが苦しむのを、ただ傍観することしかできなかった。
今度は違う。
今度こそ、俺が彼を救う。
「ロウ!」
俺は大声で叫んだ。
「雄グリフォンの注意を引きつけ続けろ! 絶対に雌の方には来させるな!」
「分かった! だが、お前は何をするつもりだ?」
「時間を稼いでくれ! 俺に考えがある!」
俺は、倒れているエルネストの元に駆け寄った。彼は意識を失っているが、まだ息はある。だが、魔力の逆流は止まっておらず、このまま放置すれば危険な状態だった。
雌グリフォンが、俺たちに向かって歩み寄ってくる。その瞳には、子を守る母の激しい怒りが宿っていた。
俺は必死に周囲を見回した。
前の時間軸での記憶を辿る。この場所の地形、岩の配置、崖の構造…。
そうだ。あの時、最後に崖が崩れたのは偶然ではなかった。エルネストの暴走した魔法が原因だったが、崩れた場所には法則性があった。
この断崖は、元々地盤が不安定なのだ。
俺は、胸ポケットから石を取り出した。エルネストと一緒に作った、あのお守りの石。今は微かに青白く輝いている。
この石には、魔力を蓄積する効果がある。子供の頃、俺たちが偶然発見した、小さな魔力鉱石だったのだ。長年エルネストが持ち歩いているうちに、彼の魔力が少しずつ蓄積されていたのだろう。
俺に魔法の才能はない。だが、この石に蓄積された魔力を使えば、簡単な魔法くらいは使えるはずだ。
狙うのは、崖の脆弱な部分。あそこを少し崩せば…。
俺は石を握りしめ、その蓄積された魔力を引き出した。そして、崖の中腹にある亀裂の入った岩に向けて、小さな魔法弾を放つ。
岩に小さな穴が開く。それだけで十分だった。
ミシミシと音を立てて、岩が崩れ始める。そして、それに釣られるように、上部の岩盤も不安定になっていく。
だが、俺の狙いは崖全体を崩すことではない。
「おい、でかい鳥ども!」
俺は大声で両方のグリフォンに呼びかけた。
「このままじゃ、お前たちの巣が崩れるぞ!」
グリフォンたちが、崩れ始めた崖を見上げる。確かに、このままでは雛たちがいる巣の部分も危険だ。
しかし、俺には計算がある。
崩れるのは崖の一部だけ。それも、雛たちに危害が及ばない場所だ。だが、落下する岩石が作る坂道が、雛たちが安全に下に降りてくる道になる。
まさに、俺が意図した通りに崩落が進んだ。
雄グリフォンが雛たちの安全を確認するため、戦闘を中断して巣の方に向かう。雌グリフォンも同様だ。
そして、彼らが理解する。
崩れた岩の坂道が、雛たちを安全に下に運ぶ天然のスロープになっていることを。
「よう、これで雛たちも下に降りられるぞ」
俺は、息を切らしながら言った。
「だが、ここはもう安全じゃない。崖が不安定になった。いつまた崩れるか分からない」
グリフォンたちは、俺の言葉を理解したかのように、雛たちを促して岩の坂道を下らせ始めた。
雛たちは、親鳥に導かれながら、慎重に坂を下りてくる。
そして、俺は続けた。
「もうすぐ、人間の大軍がここにやってくる。騎士団っていう、お前たちを狩る専門の連中だ」
俺は森の向こうを指差した。確かに、遠くから馬の蹄の音が聞こえ始めている。
「だが、北の渓谷なら安全だ。そこには人間は近づかない。獲物も豊富で、雛たちを育てるには最適の場所だ」
前の時間軸で、逃亡中に偶然発見した隠れ谷の知識を、俺は彼らに伝える。
雄グリフォンが、俺をじっと見つめた。その瞳には、もう敵意はない。代わりに、深い思索の色が宿っている。
やがて、雄グリフォンが小さく鳴いた。それは、理解を示す声だった。
雌グリフォンも、雛たちを守るように翼で包みながら、俺に向かって軽く頭を下げる。
「分かってくれたか」
俺は安堵の息を吐いた。
雄グリフォンが一羽の雛を背中に乗せ、雌グリフォンが残りの二羽を両の爪で抱え上げる。
そして、一家は空に舞い上がった。
夕陽を背に北の方角へと飛び去っていく彼らの姿は、まるで神話の一場面のように美しかった。
雄グリフォンが最後に振り返り、俺に向かって一度だけ鳴いた。
それは、確かに感謝の声だった。
「すげぇ…」
ロウが呆然とした表情で呟く。
「お前、どうやって崖を崩すタイミングを…」
「勘だよ、勘」
俺は苦笑いを浮かべながら答えた。
実際は、前の時間軸での記憶があったからこそできたことだが、それは言えない。
俺は、倒れているエルネストの元に駆け寄った。石の光は既に消えているが、彼の顔色は少し良くなっている。魔力の逆流も止まったようだ。
「エルネスト、大丈夫か?」
しばらくして、エルネストがゆっくりと目を開けた。
「クレイド…? 俺は…」
「もう大丈夫だ。全て終わった」
エルネストが身を起こし、空を見上げる。そこには、遠ざかっていくグリフォン一家の姿があった。
「彼らは…」
「家族で、新しい場所に引っ越していったんだ。もう二度と、村を襲うことはない」
俺は優しく答えた。
エルネストの瞳に、深い安堵の色が浮かぶ。
「よかった…本当に、よかった…」
遠くから、騎士団の角笛の音が聞こえてきた。
「おっと、急いで戻らないとな」ロウが立ち上がる。
「そうだな。君たちには、立派な報告をしてもらわないと」
俺はエルネストの肩を支えて立ち上がらせた。
「報告?」
「ああ。アードラー家の嫡男が、知恵と勇気で村の危機を救った。立派な功績として、学院に報告されるだろう」
俺の言葉に、エルネストが困惑する。
「だが、俺は何も…」
「お前の『静穏の術』がなければ、この作戦は成功しなかった。それに、最後に俺を庇ってくれたのも、お前だ」
俺は真剣な表情で続けた。
「これは、お前の功績だ。胸を張れ」
三人は、夕陽の中を学院に向かって歩き始めた。
俺たちは、誰一人欠けることなく、この危機を乗り越えた。
そして、グリフォンの一家も、新しい生活を始めることができる。
これが、俺が望んでいた結末だった。
知恵と勇気によって解決された、真の勝利。
俺は、胸ポケットにお守りの石を戻しながら、心の中で誓った。
この成功を、エルネストの運命を変える第一歩にする。
今度こそ、彼を『世界の敵』になどさせはしない。
俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだった。