第8話:想定外の脅威
新たなグリフォンが空から舞い降りてきた瞬間、俺は戦慄した。
それは、今まで戦っていた個体よりも一回りは大きく、羽毛も深い金色に輝いている。おそらく雄だろう。翼を広げた時の幅は十メートルを優に超え、その威厳は圧倒的だった。
つがいの相手が、狩りから帰ってきたのだ。
「クソッ…!」
ロウが舌打ちしながら、二匹目のグリフォンを見上げる。今まで戦っていた雌と思われる個体でさえ手強かったのに、さらに大型の雄が加わったとなると、状況は絶望的だった。
雄グリフォンは巣の上空を旋回し、雛たちの様子を確認すると、激怒の咆哮を上げた。その声は森全体を震わせ、遠くの鳥たちが一斉に飛び立つ。
そして、俺たち三人を見下ろすその瞳には、殺意とも呼べる敵愾心が宿っていた。
「エルネスト、大丈夫か?」
俺は青ざめた親友に駆け寄った。彼は額に汗を浮かべ、荒い息を吐いている。
「すまない…魔力の消耗が…思ったより激しくて…」
エルネストの声は弱々しい。『静穏の術』を三匹の雛に同時に使用するのは、やはり負担が大きすぎたのだ。
そして最悪なことに、雛たちが再び目を覚まし始めていた。一匹が小さく鳴き声を上げ、もう一匹がゆっくりと頭を持ち上げる。
「ヤバい…」ロウが呟く。「雛が起きちまったら、もう交渉の余地はない」
その通りだった。眠っている雛を盾にするという俺たちの作戦は、雛が覚醒した瞬間に破綻する。そうなれば、二匹の怒り狂った親グリフォンと、正面から戦わなければならない。
雄グリフォンが翼を大きく広げ、急降下を始めた。その狙いは、明らかに雛のそばにいる俺だった。
「クレイド、避けろ!」
ロウの警告と同時に、俺は横に飛び退いた。雄グリフォンの爪が、俺がいた場所の地面を深くえぐる。もし避けるのが一瞬でも遅れていたら、俺の胴体は真っ二つになっていただろう。
だが、俺が雛から離れたことで、状況はさらに悪化した。
雌グリフォンが雛たちの元に駆け寄り、翼で雛を庇うような姿勢を取る。そして雄グリフォンと並んで、俺たちを威嚇し始めた。
完全に敵対的な二対三の構図が完成してしまった。
「どうする?」ロウが汗を拭いながら尋ねる。「このままじゃ、俺たちに勝ち目はない」
ロウの実力をもってしても、二匹のグリフォンを同時に相手にするのは不可能だ。しかも、エルネストは魔力不足でまともに戦えない。
俺の脳裏に、前の時間軸での記憶が蘇る。
あの時も、確かに最後の最後で雄グリフォンが現れた。だが、その時はもっと後の段階で、しかも俺たちは既に撤退を開始していた。
今回は、俺たちがこの場に留まり続けたことで、タイミングが早まってしまったのか。
(いや、それだけじゃない…何か他にも違いがある)
俺は必死に記憶を辿ろうとするが、戦闘の混乱の中では思考がまとまらない。
「うあああ!」
突然、エルネストが苦痛の声を上げた。
「おい、エルネスト!」
ロウが振り返ると、エルネストが胸を押さえて苦しんでいる。
「魔力の…逆流が…止まらない…」
魔力の過度な消耗による逆流現象。これは、魔法使いにとって非常に危険な状態だった。最悪の場合、魔力回路が破損し、二度と魔法が使えなくなる可能性もある。
「クソ…!」
ロウが剣を構え直す。エルネストが戦闘不能となった今、実質的に俺とロウの二人で、二匹のグリフォンと戦わなければならない。
雄グリフォンが再び空に舞い上がった。今度は、ロウを狙っているようだ。
雌グリフォンも、雛を守りながら俺たちに向かって歩み寄ってくる。
「ロウ、俺に考えがある!」
俺は咄嗟に叫んだ。
「なんだ?」
「お前は雄の相手に集中しろ。俺は雌の方を引き受ける」
「無茶だ! お前では…」
「戦うんじゃない。時間を稼ぐんだ」
俺は、胸ポケットの石を握りしめた。温かい光が、微かに手のひらを照らす。
前の時間軸での記憶の断片が、少しずつ蘇り始めていた。
確か、あの時…雄グリフォンには弱点があったはずだ。左の翼に、古い傷が…。
「ロウ! 雄グリフォンの左翼を狙え! 古い傷があるはずだ!」
「なに? なぜそれを…」
「いいから、やってくれ!」
ロウが疑問を抱く暇もなく、雄グリフォンが急降下してきた。
だが、ロウは俺の言葉を信じて、狙いを雄グリフォンの左翼に定める。
剣先が、確かに翼の付け根近くの、羽毛の色が微妙に違う部分を捉えた。
雄グリフォンが、予想以上に大きな苦痛の声を上げる。
やはり、そこには古傷があったのだ。
「やったぞ!」ロウが叫ぶ。
だが、喜ぶのは早すぎた。
雄グリフォンの負傷により、雌グリフォンの怒りはさらに激しくなった。そして、雛を守ることよりも、俺たちへの攻撃を優先し始めたのだ。
雌グリフォンが、俺に向かって突進してきた。
俺は必死に回避を試みるが、今度は逃げ切れない。
その時だった。
「させるか!」
突然、エルネストが立ち上がった。魔力不足で青ざめた顔をしながらも、俺を庇うように雌グリフォンの前に立ちはだかる。
「エルネスト、危険だ!」
「友を見捨てるわけにはいかない!」
エルネストが、残り少ない魔力を振り絞って、小さな光の盾を展開する。
だが、その盾は雌グリフォンの爪の一撃で、あっけなく砕け散った。
エルネストが吹き飛ばされ、岩に背中を強く打ちつける。
「エルネスト!」
俺の叫び声が、森に響いた。
親友が、俺を庇って倒れた。
その光景を見た瞬間、俺の中で何かが切れた。
怒り、絶望、そして…諦めない意志。
今度こそ、俺が行動する番だった。