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第4話:二人の正義

 聖堂での祈りを終えた後、エルネストの表情は少しだけ穏やかになっていた。


 だが、俺には分かる。彼の心の奥で燻っている炎は、祈りごときで消えるものではない。正義感という名の業火は、むしろ神への祈りによって、より一層激しく燃え上がっているのだ。


「クレイド、一緒に祈ってくれて、ありがとう」


 聖堂を出ながら、エルネストが振り返って微笑みかける。その笑顔は、表面的には平静を装っているが、瞳の奥に宿る決意の光を、俺は見逃さなかった。


「なに、当然のことだ」


 俺は軽く答えながら、内心では警戒を強めていた。


 俺たちが渡り廊下を歩いていると、向こうから一人の生徒がやってくるのが見えた。黒い髪を無造作に風になびかせ、いつものように飄々とした表情を浮かべているその男を見て、俺の心臓は跳ね上がった。


 ロウ・クローヴィス。


 未来でエルネストを討つことになる、『英雄』。


 だが今の彼は、まだ英雄でも何でもない。ただの、少し斜に構えた、皮肉屋の学生に過ぎない。


「よう、エルネスト。随分と神妙な顔をしているじゃないか」


 ロウが近づいてきて、軽い調子で声をかける。その琥珀色の瞳には、いつものような軽薄さが宿っていた。


「ロウか…」


 エルネストが、どこか警戒するような口調で彼の名を呼ぶ。


「グリフォンの件で頭を悩ませているのか? まあ、『良き貴族』としては、民の安全が気になるところだろうな」


 ロウの言葉には、微かだが確実に棘が含まれていた。彼特有の、権威に対する反発心の表れだ。


「民の安全を軽視するような発言は慎むべきだ」


 エルネストが、きっぱりとした口調で反論する。


「慎む? 俺が言ってるのは事実だろう? お偉いさんたちは『預言』を盾に、指をくわえて見てるだけじゃないか」


「それは…」


 エルネストが言いよどむ。ロウの指摘は、彼の心の奥で燻っていた疑問を、鋭く突いたものだった。


「騎士団にも手順というものがある。無計画に動くことこそ、被害を拡大させる愚策だ」


「その『手順』とやらを待っている間に、村が一つや二つ襲われても構わないってことか?」


 ロウの声に、普段の軽薄さはもうなかった。代わりに、冷たい怒りが宿っている。


「俺は、そんな偽善にはうんざりなんだよ」


 そう言うと、ロウは俺たちの横を素っ気なく通り過ぎようとする。


「待て、ロウ!」


 エルネストが焦ったように制止の声を上げる。


「お前、まさか一人で森に向かうつもりではないだろうな? 危険すぎる!」


 ロウは足を止め、肩越しにエルネストを振り返った。その表情には、軽蔑にも似た感情が浮かんでいる。


「心配には及ばないよ、『殿下』。自分の身くらい、自分で守れる」


「なぜ、分かってくれないんだ…!」


 エルネストの悲痛な声も、ロウには届かない。彼は、エルネストの善意を、貴族の独善的な押し付けとしか捉えていなかった。


 一人、迷いなく去っていくロウの背中。


 そして、その背中を、怒りではなく、本気で彼の身を案じる絶望的な表情で見つめるエルネスト。


 この光景を見た瞬間、俺の脳裏に「未来の記憶」が、雷に打たれたかのように蘇った。


 前の時間軸では、この後ロウが単独でグリフォン討伐に向かおうとした。そして、エルネストは彼の身を案じて、苦悩の末に行動を起こしたのだ。グリフォンの脅威に晒されている村人たちを放置できず、預言の「放置すれば」という条件を無視して、数人の仲間と共にロウの後を追ってミルフォード村へ向かった。


 そして、彼の純粋な善意と責任感から生まれた、あの致命的な判断。


「彼を一人で死なせるわけにはいかない」


 その想いが、エルネストを仲間と共にロウの後を追わせ、破滅の道へと導いたのだ。


(そうか…。エルネストの破滅の引き金は、彼のどうしようもないほどの『優しさ』そのものだったんだ。友を見捨てられない、その正しさこそが、彼を最悪のシナリオへと導いた…!)


 全ての真実を理解した俺は、今まさに、前の時間軸と同じ後悔の表情を浮かべている親友を見る。


 エルネストの拳が、強く握りしめられている。その瞳には、決意の炎が宿り始めていた。


 ――このままでは、また同じことになる。


 いや、待て。冷静になれ、クレイド。


 前回とは違う要素がある。今度は、俺がここにいる。そして、俺は全てを知っている。


 俺の脳裏に、不可能に思える、しかし唯一の活路が閃いた。


(この二人を、『協力』させるんだ!)


 エルネストの持つ、騎士団すら動かせる『正当性』と『権限』。


 ロウの持つ、誰よりも早く状況を打開できる『実践的な戦闘力』と『合理性』。


 この二つの正義を組み合わせることができれば、預言にすら記されていない、完璧な一手になる。


 そうだ、これしかない。


 俺は、強く拳を握りしめた。


 感傷に浸っている時間はない。俺はすぐさま、まだその場に立ち尽くしているエルネストの腕を掴んだ。


「エルネスト、行くぞ!」


「クレイド…? 行くって、どこへ…」


「ロウを追うんだ。ぐずぐずしている時間はない。俺に考えがある」


 俺は、歩きながら矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。彼の「秩序」を逆手に取る、唯一の理屈を。


「いいか、これは『討伐』じゃない。『先行した民間人ロウの安全確保と、状況の公式な監視』だ。お前が現地で状況を確認し、正式な騎士団出動要請の根拠を作る。これなら、緊急避難的な『正しい手順』になる。そうだろ?」


「それは…詭弁だ、クレイド。だが…」


 エルネストの眉間に深い皺が刻まれる。彼の生真面目な性格が、俺の論理の矛盾を見抜いているのだ。だが、同時に、その正義感が俺の提案を完全に否定することも許さない。


「だが、今はその詭弁が必要なんだ。お前が本当に守りたいのは、手順か? それとも、ロウを含めた村の連中か?」


 俺の問いに、エルネストは唇を噛み、そして、力強く頷いた。


「……分かった。行こう」


 その瞬間、俺は安堵と同時に、ある種の罪悪感を覚えた。俺は今、親友の善良さを利用している。だが、それが彼を救う唯一の道だとしたら…。


 よし。まずは一人。時間は稼げた。


 俺たちは急いでロウを追いかけた。彼はもう学院の門を出て、森へと向かう石畳の道を歩いている。夕陽を背に受けたその後ろ姿は、孤独で、しかし迷いがない。


 俺はエルネストを制し、一人で彼の元へと駆け寄る。


「よう、ロウ。待ってくれ」


 ロウは、俺たちの足音を聞きつけると、振り返ることなく立ち止まった。


「……何の用だ。説得なら無駄だぞ」


「説得じゃない。取引だ」


 俺は、ロウが振り返るのを待ってから、彼の琥珀色の瞳を見てはっきりと言った。


「お前の『偵察』に、俺たちを加えろ。メリットしかない話だ」


「メリットだと?」


 ロウの眉が、興味深そうに持ち上がる。彼は意外にも、俺の言葉を頭から否定しなかった。


「ああ。まず、エルネストは学院でも随一の魔力感知能力を持っている。半径一キロ以内の魔獣の位置と大まかな強さを、リアルタイムで把握できる。いわば『生きた探知機』だ」


 俺は指を立てて、順序立てて説明する。


「次に、万が一の時は、あいつの身分が騎士団を即座に動かす『切り札』になる。公爵家嫡男の緊急要請を無視できる騎士はいない」


「そして最後に、俺は…」


 少し言いよどんで、俺は苦笑いを浮かべた。


「まあ、お前らほど強くはないが、戦術眼だけは自信がある。お前は現実主義者だ。使える手札は、たとえそれが気に食わない貴族だろうと、全て使うべきじゃないか?」


 ロウはしばらく黙り込んだ。風が吹き、彼の黒髪を揺らす。そして、俺と、俺の後ろで緊張した面持ちで立っているエルネストを、値踏みするように見比べた。


「……面白いことを言うな、お前」


 それは、呆れと、ほんの少しの感心が混じった声だった。


「普段は目立たないくせに、妙なところで頭が回る。いいだろう。ただし、条件がある」


 ロウが俺たちの方に向き直り、いつもの皮肉な笑みを浮かべる。


「指揮権は俺が持つ。作戦中は俺の判断で動く。それが飲めるならな」


「交渉成立だ」


 俺は即答した。隣でエルネストが「ちょっと待て」と言いかけたが、俺は彼を手で制する。


 こうして、指揮官ロウ、探知役エルネスト、そして策士にして交渉役の俺という、ありえない三人組の即席パーティーが結成された。


 だが、俺の胸の奥では、一つの不安が渦巻いていた。


 前の時間軸でも、最初はこんな風に始まったのだ。三人で協力して、グリフォンの脅威に立ち向かった。


 問題は、その先にあった。


 俺は、歩きながら密かに拳を握りしめる。


 今度こそ、絶対に悲劇は繰り返させない。


 三人の力を合わせれば、必ず新しい結末を掴んでみせる。

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