第18話:心の戦場
エルネストが「何が正しいのか分からなくなった」と言った翌日、事態は急展開を見せた。
「クレイド・アシュフィールド君」
朝の授業が始まる前、俺の名前が呼ばれた。振り返ると、星詠み司の紋章を胸につけた使者が立っている。
「星詠み司庁より、お呼びがかかっております」
教室内がざわめく。周囲の生徒たちが、驚きと興味の視線を俺に向けている。
俺の血が凍りついた。ついに、アステリアが直接動いてきた。
「俺に、ですか?」
「はい。アステリア・ヴォン・エクリプス様が、お会いになりたいとのことです」
エルネストが心配そうに俺を見つめている。その瞳には、昨日の迷いがまだ残っていた。
「分かりました。すぐに参ります」
俺は席を立った。ロウが小さく「気をつけろ」と囁いてくれる。
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星詠み司庁の一室で、アステリア・ヴォン・エクリプスが俺を待っていた。
美しい紫色の髪、神秘的な瞳、上品な微笑み。外見だけ見れば、確かに魅力的な女性だ。だが、俺には彼女の本性が見える。
「お忙しい中、お越しいただきありがとうございます、アシュフィールド君」
アステリアが優雅に立ち上がり、お辞儀をする。
「恐れ入ります。突然お呼びいただき、何かご用でしょうか?」
「ええ。実は、アードラー君のことでご相談があります」
アステリアが俺に椅子を勧める。
「彼から聞きました。あなたが最近、彼にいろいろとお話をされているとか」
俺は慎重に答えた。
「友人として、普通の会話をしているだけですが」
「そうですか」アステリアが微笑む。「ただ、彼がとても混乱しているようなのです」
「混乱?」
「ええ。『何が正しいのか分からない』と言って、昨日は研修に集中できませんでした」
アステリアの瞳が、一瞬だけ鋭く光った。
「彼は今、とても重要な時期にあります。将来、帝国の指導者となる人物です。そのような方が迷いを抱くのは、帝国全体にとって好ましくありません」
「しかし、迷うことも人間として自然なことではないでしょうか?」
俺が反論すると、アステリアの表情がわずかに険しくなった。
「アシュフィールド君、あなたは彼のことを本当に思っているのですか?」
「もちろんです」
「それなら、彼の成長を妨げるような影響を与えるべきではありません」
アステリアが立ち上がり、窓の方に歩いていく。
「彼は今、個人的な感情を乗り越えて、より大きな責任を受け入れようとしています。それは、彼にとって必要な成長なのです」
「でも、それで彼らしさが失われてしまうとしたら?」
「彼らしさ?」アステリアが振り返る。「あなたの言う『彼らしさ』とは、感情に流されやすい未熟さのことですか?」
俺は拳を握りしめた。この女は、エルネストの優しさを「未熟さ」と呼んでいる。
「エルネストの優しさや思いやりは、彼の最も素晴らしい部分です」
「優しさは確かに美徳です」アステリアが頷く。「しかし、それだけでは指導者は務まりません。時には、個人的な感情を押し殺してでも、全体のために決断しなければならないのです」
「それでは、ただの冷酷な支配者になってしまいます」
「冷酷?」アステリアが眉を上げる。「いえいえ、それは『理性的』と呼ぶべきでしょう」
アステリアが俺の前に戻ってくる。
「アシュフィールド君、あなたは彼の親友として、彼の足を引っ張るべきではありません」
「俺は彼の足を引っ張っているつもりはありません」
「では、なぜ彼を混乱させるのですか?」
アステリアの声に、微かな威圧感が込められている。
「彼が正しい道を歩もうとしているのに、なぜそれを妨げるのですか?」
「俺が思う正しい道と、あなたが思う正しい道が違うからです」
俺ははっきりと答えた。
「俺は、エルネストには自分の心に従って生きてほしい。他人に押し付けられた価値観ではなく、自分自身の信念に基づいて」
アステリアの表情が一変した。上品な微笑みが消え、冷たい怒りが浮かぶ。
「なるほど…あなたは確信犯なのですね」
「確信犯?」
「彼の成長を意図的に妨害している」
アステリアが冷たく言い放つ。
「残念ですが、これ以上あなたと彼の接触を放置するわけにはいきません」
俺の心臓が激しく鼓動する。
「どういう意味ですか?」
「明日から、アードラー君の研修内容を変更します。より集中的な指導を行うため、学院での授業はしばらく休んでいただきます」
俺の血が凍りついた。これは、エルネストを完全に隔離するということだ。
「それは…」
「もちろん、学院長には正式に申請いたします。『優秀な生徒への特別指導』として」
アステリアが勝利者の微笑みを浮かべる。
「心配しないでください。彼は必ず、素晴らしい指導者に成長します。あなたの余計な干渉がなければ」
俺は立ち上がった。
「待ってください。エルネスト自身の意志は?」
「彼の意志?」アステリアが首を傾げる。「彼は喜んで承諾してくれると思います。帝国のため、彼自身の成長のためですから」
そして、彼女が最後にとどめを刺した。
「もしあなたが本当に彼の友人なら、彼の邪魔をしないでください。友情という名の束縛から、彼を解放してあげなさい」
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学院に戻る道すがら、俺は拳を握りしめていた。
アステリアの狙いは明確だった。エルネストを完全に隔離し、俺の影響を断ち切る。そして、彼女の思想を完全に刷り込む。
だが、俺も黙って見ているつもりはない。
学院に着くと、エルネストが心配そうに俺を待っていた。
「クレイド、星詠み司庁で何を?」
「お前のことだった」俺は正直に答えた。「明日から、研修内容が変わるそうだ」
「変わる?」
「より集中的な指導を受けるため、しばらく学院の授業を休むことになる」
エルネストの表情が複雑になる。
「それは…良いことなのだろうか?」
「エルネスト」俺が彼の肩を掴む。「お前は、本当にそれを望んでいるのか?」
エルネストが迷うような表情を見せる。
「俺は…分からない。アステリア様は、俺のためを思って言ってくださっているのだろうが…」
「だが?」
「でも、お前たちと離れるのは…」
その時、エルネストの瞳に、久しぶりに本来の温かさが戻った。
「寂しい」
その一言に、俺は希望を見た。
エルネストの心は、まだ完全には失われていない。
俺には、まだチャンスがある。