第16話:失われゆく光
エルネストの変化は、日を追うごとに顕著になっていった。
研修を始めてから二週間が経った今、彼はもはや以前の彼ではなくなりつつあった。
「おはよう」
魔法史の教室で、エルネストが俺に挨拶をする。その声は相変わらず丁寧だが、どこか冷たさを感じさせた。
「おはよう、エルネスト」
俺が返事をすると、彼は軽く頷いて自分の席に着いた。以前なら、もう少し会話が続いたはずだ。
「今日はセレスティア様と会う約束はないのか?」
俺が尋ねると、エルネストの表情が一瞬硬くなった。
「最近は忙しくて、なかなか時間が取れない」
「研修でか?」
「そうだ。星詠み司庁での学習は、想像以上に重要で深い内容だ。個人的な時間を使ってでも、しっかりと身につけなければならない」
俺の心に不安が広がった。セレスティアとの関係まで疎遠になっているのか。
その時、教室の扉が開いて、セレスティア本人が入ってきた。彼女は何人かの友人と一緒だったが、エルネストの姿を見つけると、嬉しそうに手を振った。
「エルネスト様、おはようございます」
セレスティアが近づいてくる。
「おはようございます、セレスティア様」
エルネストが立ち上がってお辞儀をする。だが、その態度はどこかよそよそしい。
「このところお忙しそうですが、お体の調子はいかがですか?」
セレスティアが心配そうに尋ねる。
「ありがとうございます。特に問題はありません」
エルネストの答えは簡潔すぎた。以前なら、もっと温かい反応を示したはずだ。
「あの…もしよろしければ、今度またお茶でも…」
「申し訳ない」エルネストがセレスティアの言葉を遮った。「しばらくは研修に集中したいんだ」
セレスティアの表情が、明らかに困惑と悲しみに変わった。
「そう…ですか。分かりました」
彼女が小さく微笑んで去っていく。その後ろ姿は、どこか寂しげに見えた。
俺は愕然とした。エルネストが、セレスティアを突き放した。
「おい、エルネスト。今のは酷すぎないか?」
俺が小声で詰め寄ると、エルネストは冷静に答えた。
「何がだ?」
「セレスティア様は、お前のことを心配してくれているんだぞ」
「もちろん、それは分かっている。ただ、今は個人的な時間を割いている場合ではないんだ」
俺の血が逆流した。
「個人的な時間って…お前、セレスティア様のことをそんな風に思っているのか?」
「誤解するな、クレイド」エルネストが首を振る。「セレスティア様は素晴らしい方だ。ただ、今の俺には、もっと重要なことがある」
「重要なこと?」
「帝国の未来のためだ。星詠み司庁での学習を通して、俺は自分の本当の役割を理解し始めた」
エルネストの瞳に、狂信的な光が宿っているのを俺は見た。
これは、もう完全にアステリアの洗脳が進んでいる証拠だった。
-----
昼休み、俺は一人で屋上にいた。
エルネストの変化に、どう対処すればいいのか分からずにいた。
前の時間軸の記憶では、この後エルネストはさらに冷徹になっていく。そして最終的に、「世界の敵」としての役割を受け入れるようになるのだ。
だが、具体的にどうすれば彼を元に戻せるのか、俺には見当もつかなかった。
「クレイド?」
背後から声をかけられて振り返ると、セレスティアが立っていた。
「セレスティア様…」
「一人でいらっしゃるのですね。エルネスト様は?」
「星詠み司庁です」
俺が答えると、セレスティアの表情が曇った。
「最近のエルネスト様、どこかお変わりになったような気がするのですが…」
彼女が遠慮がちに言う。
「私の気のせいでしょうか?」
俺は迷った。セレスティアに真実を話すべきだろうか? だが、時間逆行のことは言えない。
「確かに、少し変わったかもしれません」
俺は慎重に答えた。
「研修で忙しくて、疲れているのかもしれません」
「そうですか…」セレスティアが小さくため息をついた。「私、何か悪いことをしてしまったのでしょうか?」
「いえ、そんなことはありません」俺は慌てて否定した。「セレスティア様は何も悪くありません」
「でも、このところエルネスト様は私を避けているようで…」
セレスティアの瞳に涙が浮かんでいた。
俺は拳を握りしめた。アステリアの策謀が、こんな純粋な少女まで傷つけている。
「セレスティア様」
俺が意を決して口を開いた。
「もし…もしも、エルネストが何かに騙されているとしたら、どうしますか?」
「騙されている?」
「仮定の話ですが」
セレスティアがしばらく考え込んだ後、きっぱりと答えた。
「私は、エルネスト様を信じます。どんなことがあっても」
「たとえ、彼が変わってしまったとしても?」
「本当のエルネスト様は、優しくて正義感にあふれた方です。もし今、そうでないように見えるとしたら、それは本当の彼ではありません」
セレスティアの言葉に、俺は感動した。彼女の愛は、本物だった。
「ありがとうございます、セレスティア様」
「え?」
「今のお言葉、とても励みになりました」
俺は立ち上がった。
セレスティアの言葉で、俺は決意を固めた。
エルネストを元に戻す方法は一つしかない。アステリアの影響を断ち切ることだ。
そのためには、彼を星詠み司庁から引き離さなければならない。
-----
夕方、エルネストが学院に戻ってきた。
「エルネスト」
俺が声をかけると、彼は振り返った。
「何か用か?」
その冷たい口調に、俺は心を痛めた。
「明日、一緒に街に出ないか? 久しぶりに三人で」
「すまない、明日も研修がある」
「じゃあ、明後日は?」
「明後日も、来週も研修だ。しばらくは、そちらに専念したい」
エルネストが冷たく答える。
「エルネスト…お前、本当に大丈夫なのか?」
俺が心配そうに尋ねると、彼の表情が一瞬だけ柔らかくなった。
「心配してくれているのは分かる。だが、俺は今、とても重要なことを学んでいるんだ」
「重要なこと?」
「帝国の本当の姿、そして俺自身の役割について」
エルネストの瞳に、再び熱のこもった光が宿る。
「アステリア様は、俺に新しい考え方を教えてくださった。個人的な感情だけで行動するのではなく、もっと大きな視点で帝国のことを考える必要があるんだ」
俺は愕然とした。これは、もう取り返しのつかないレベルまで進んでいる。
「クレイド、お前にも理解してほしい。俺たちは、自分のことばかり考えていてはいけないんだ」
エルネストが俺の肩に手を置く。
「もっと大きな視点で、物事を捉えなければ」
その瞬間、俺は決意した。
もう、迷っている時間はない。
明日、俺は行動を起こす。
エルネストを、アステリアの魔の手から救い出すために。