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第15話:微かな綻び

 エルネストが星詠み司庁での研修を始めてから一週間が経った。


 表面上、彼に大きな変化は見られない。相変わらず真面目に授業に出席し、俺やロウとも普通に会話をしている。だが、俺は気づいていた。


 微細な、しかし確実な変化を。


「おはよう、クレイド」


 魔法史の教室で、エルネストがいつものように挨拶をする。


「おはよう。今日は研修はないのか?」


「午後からだ。午前中は学院の授業を受けることになっている」


 エルネストが席に着く。その動作は以前と変わらないが、どこか機械的に見える。


「研修の方はどうだ? 慣れたか?」


「ああ、とても充実している」


 エルネストが答える。だが、その表情には以前のような生き生きとした輝きが欠けているように感じられた。


「具体的には、どんなことを?」


「預言の解釈学、帝国史、星座の読み方…様々なことを学んでいる」


 エルネストが淡々と答える。


「アステリア様は本当に素晴らしい方だ。深い知識と、帝国への愛に満ちている」


 俺の心に警鐘が鳴った。エルネストの話し方が、どこか教科書を読んでいるような印象を受ける。


 その時、教室の扉が開いて老マクレー教授が入ってきた。


「諸君、今日は帝国の歴史について学ぶ」


 教授が教壇に立つ。


「特に、『星詠みの書』がいかに帝国の発展に寄与してきたかについて説明しよう」


 俺は内心で苦笑いを浮かべた。また星詠み司関連の話か。最近、こうした授業が増えているような気がする。


「帝国創成期において、初代皇帝は『星詠みの書』の導きにより、数々の困難を乗り越えた」


 教授が語り始める。


「それ以来、帝国の為政者たちは常に預言を重んじ、個人の感情や欲望よりも、全体の調和を優先してきた」


 その瞬間、俺はエルネストの表情が変わるのを見た。


 教授の言葉に、深く頷いているのだ。まるで、その考えに心から共感しているかのように。


 授業が終わった後、俺はエルネストに声をかけた。


「今の授業、どう思った?」


「素晴らしい内容だった」エルネストが即答する。「やはり、個人の思いよりも全体のことを考えるのが重要なんだな」


 俺の血が凍りついた。


 これは、前の時間軸でエルネストが言い始めた言葉とほぼ同じだった。


「エルネスト…」


「何だ?」


「お前は、個人の思いと全体の調和、どちらが大切だと思う?」


 エルネストが少し考え込む。


「それは…もちろん、全体の調和だろう。一人の我儘で多くの人が迷惑するのは良くない」


「でも、個人の思いも大切じゃないか? グリフォン事件の時だって、お前の『村人を守りたい』という個人的な思いがあったからこそ、うまく解決できたんだろう?」


 エルネストの表情が一瞬曇る。


「それは…確かにそうだが…」


 彼が言いよどむ。


「でも、あれは結果的に全体の利益にもなったから良かったんだ。もし個人の思いが全体の迷惑になるなら、それは抑えるべきだろう」


 俺は愕然とした。エルネストの考え方が、明らかに変わり始めている。


 その時、ロウが俺たちの元にやってきた。


「おい、二人とも。昼食にしないか?」


「ああ、そうだな」俺が答える。


「すまない、俺は星詠み司庁に行かなければならない」


 エルネストが立ち上がる。


「昼食も抜きか? 体に良くないぞ」


 ロウが心配そうに言う。


「大丈夫だ。星詠み司庁で軽食をいただけることになっている」


 エルネストが微笑む。だが、その笑顔はどこか作り物めいて見えた。


「それでは、失礼する」


 エルネストが去っていく。


「おい、最近エルネストの様子がおかしくないか?」


 ロウが俺に向かって小声で言う。


「どういう意味だ?」


「なんというか…前より表情が硬いというか、笑顔も不自然に見える」


 変化は他の人の目にも映り始めている。


「研修で疲れているだけじゃないか?」


 俺は表面上は軽く答えた。


「そうかもしれないが…」ロウが首を振る。「なんとなく、エルネストらしくない感じがするんだ」


-----


 夕方、エルネストが学院に戻ってきた時、俺は中庭で彼を待っていた。


「お疲れ様」


「ああ、クレイド。待っていてくれたのか」


 エルネストが近づいてくる。


「少し話がしたくて。時間はあるか?」


「もちろんだ」


 俺たちは中庭のベンチに座った。


「研修の方はどうだ? 楽しいか?」


「楽しいというより…有意義だ」


 エルネストが答える。


「アステリア様から多くのことを学んでいる。特に、帝国民としての在り方について」


「帝国民としての在り方?」


「そうだ。我々は個人である前に、帝国の一員なんだ。だから、常に帝国全体の利益を考えて行動しなければならない」


 俺の心配が的中している。


「でも、エルネスト。お前の個人的な優しさや正義感があったからこそ、グリフォン事件も解決できたんだろう?」


「それは…」エルネストが困ったような表情を見せる。「確かにそうだが、それも結果的に帝国の利益になったからだ」


「結果論じゃなくて、お前の心がそう動いたからだろう?」


 俺は必死に訴える。


「お前の優しさ、正義感、仲間を思う気持ち。それこそがお前の一番大切な部分じゃないか」


 エルネストが黙り込む。


 しばらくして、彼が口を開いた。


「クレイド、君は優しすぎる」


「え?」


「個人の感情を重視しすぎると、判断を誤ることがある。大切なのは、冷静に全体を見渡すことだ」


 俺は絶句した。これは、完全に前の時間軸と同じ変化だった。


「エルネスト…」


「心配してくれるのは嬉しいが、俺は正しい道を歩んでいる。アステリア様がそう教えてくださった」


 エルネストが立ち上がる。


「今日は疲れたから、部屋で休ませてもらう」


 彼が去っていく後ろ姿を見ながら、俺は拳を握りしめた。


 アステリアの洗脳が、確実に効果を表し始めている。


 このままでは、前の時間軸と同じ結末を迎えてしまう。


 俺は何か手を打たなければならない。


 だが、具体的にどうすればいいのか、まだ分からずにいた。


 夜空に浮かぶ星々が、まるで俺を嘲笑っているかのように見えた。

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