第14話:それぞれの思い
エルネストの体調が回復するまでに三日かかった。
その間、俺は落ち着かない日々を過ごしていた。アステリアの研修が何を意味するのか、前の時間軸の記憶を持つ俺だけが知っている。だが、それを誰にも話すことはできない。
「クレイド、昨夜もほとんど眠っていないだろう」
朝の食堂で、ロウが心配そうに俺を見つめる。
「大丈夫だ」
俺は疲れた声で答えた。実際、この三日間でまともに眠れたのは数時間程度だった。
「エルネストのことを心配しているのか?」
「まあ、そんなところだ」
俺は曖昧に答えた。具体的な理由は言えない。
「あの星詠み司の研修、そんなに気になるか?」
ロウが首を傾げる。
「なんとなく、だが…」
俺は言葉を選びながら答えた。
「エルネストが変わってしまうような気がするんだ」
「変わる?」
「星詠み司って、権威のある組織だろ? そういう場所に長くいると、考え方も影響を受けるんじゃないかと思って」
これなら、時間逆行の話をしなくても説明がつく。
「まあ、確かにそうかもしれないな」ロウが納得したように頷く。「でも、エルネストはしっかりしているから、大丈夫だろう」
「そうだといいんだが…」
その時、食堂の入り口からエルネストが現れた。顔色はすっかり良くなり、いつもの清々しい表情を取り戻している。
「おはよう、二人とも」
「おはよう、エルネスト。体調はどうだ?」
「完全に回復した。医師からも、もう問題ないと言われた」
エルネストが席に着く。
「ということは…」俺が言いかけると、エルネストが頷いた。
「ああ。今日の午後、星詠み司庁に行くことになっている」
俺の胸に、重い感情が宿る。
「研修では、どんなことをするんだ?」
「預言の解釈方法や、星の読み方について学ぶそうだ。帝国の歴史についても教えていただけるらしい」
エルネストの表情は期待に満ちている。
「きっと多くのことを学べるだろう。将来、聖騎士団長になった時にも役立つはずだ」
俺は複雑な気持ちでエルネストを見つめた。彼の向上心と真面目さが、今回ばかりは裏目に出てしまう。
その時、食堂の扉が開いて、一人の生徒が入ってきた。下級生のようだが、その表情は緊張に満ちている。
「あの…エルネスト・フォン・アードラー様はいらっしゃいますか?」
「俺だが」エルネストが手を上げる。
「星詠み司庁からの使者です。お迎えに上がりました」
俺たちは顔を見合わせた。まだ午前中だというのに、もう迎えが来たのか。
「分かった。すぐに行く」
エルネストが立ち上がる。
「待て」俺も立ち上がった。「俺も一緒に行く」
「クレイド…」
「見送りだけでもさせてくれ」
エルネストが困ったような表情を見せたが、やがて頷いた。
「分かった。ただし、星詠み司庁の入り口までだ」
-----
王都の中心部にある星詠み司庁は、白い大理石で造られた荘厳な建物だった。その頂上には巨大な天体観測装置があり、常に空を見上げている。
建物の前で、俺たちは立ち止まった。
「それでは、行ってくる」
エルネストが振り返る。
「気をつけろよ」
俺は彼の肩を叩いた。
「何かあったら、遠慮なく学院に戻って来い」
「心配しすぎだぞ、クレイド。星詠み司の方々は、帝国でも最も尊敬される人たちだ」
エルネストが笑いながら答える。
俺は彼が建物の中に消えていく姿を見送った。その後ろ姿が、なぜかとても頼りなく見えた。
「おい、そんなに心配するな」
ロウが俺の肩を叩く。
「エルネストは俺たちが思っている以上にしっかりしている。少しくらい権威のある人たちと接したところで、簡単には変わらないさ」
「そうかもしれないが…」
俺は星詠み司庁の建物を見上げた。
あの中で、今頃エルネストは何をしているのだろうか。アステリアは、どんな言葉で彼を迎えているのだろうか。
「帰ろう」
ロウが俺の腕を引く。
「いつまでもここにいても仕方がない」
-----
学院に戻った後、俺は図書館で時間を潰していた。だが、本を読んでいても内容が頭に入ってこない。
エルネストのことばかり考えてしまう。
前の時間軸で、彼がどのように変わっていったかを思い出すと、胸が苦しくなる。
最初は些細な変化だった。星詠み司庁から帰ってくると、少し疲れた様子を見せるようになった。そして、預言について話す時の表情が、以前より真剣になった。
それが、徐々にエスカレートしていく。
「個人の感情よりも、全体の調和が大切だ」
「運命に逆らうことは、世界の秩序を乱す」
「預言は絶対であり、それに従うことこそが正義だ」
そんな言葉を、エルネストが口にするようになったのだ。
そして最終的に、彼は「自分が世界の敵になることが預言で定められているなら、それを受け入れなければならない」と言うようになった。
あの時の俺には、それを止める術がなかった。
だが、今度は違う。
俺は、エルネストの変化を注意深く観察し、おかしな兆候があれば即座に対処する。
友として、彼を支え続ける。
夕方になって、エルネストが学院に戻ってきた。
「お疲れ様」
俺が声をかけると、エルネストは微笑んだ。
「ああ、とても勉強になった」
その表情は、いつものエルネストと変わらないように見えた。
「どんなことを学んだんだ?」
「星の動きと魔力の流れの関係についてだ。とても興味深い内容だった」
エルネストが目を輝かせて説明する。
「アステリア様は本当に博識で、質問にも丁寧に答えてくださった」
俺は内心で警戒を強めた。アステリアへの好印象を持ち始めている。これは、前の時間軸と同じ兆候だ。
「それは良かった。疲れただろう?」
「少し。でも、充実した時間だった」
エルネストが伸びをする。
「明日も研修があるから、今日は早めに休もうと思う」
「そうしろ。無理は禁物だ」
俺はエルネストを見送った。
今のところ、目立った変化は見られない。だが、これからが本番だ。
アステリアの影響を受けないよう、俺はエルネストを見守り続けなければならない。
それが、親友としての俺の責務だった。