第12話:見えない檻
アステリアが去った翌日から、学院の雰囲気が微妙に変わった。
それは、表面的には何も変わっていないように見える。生徒たちは相変わらず授業に出席し、教師たちは普段通りに講義を行っている。
だが、俺には分かる。
星詠み司が来院したという事実が、まるで見えない波紋のように学院全体に広がっているのだ。
「おはよう、クレイド」
魔法史の教室に入ると、エルネストが既に席に着いていた。彼の表情はいつも通り穏やかだが、どこか疲れているようにも見える。
「おはよう。昨日のセレスティア様とのお茶はどうだった?」
「ああ、それは…」エルネストの頬が少し赤くなる。「とても楽しい時間だった。彼女は本当に聡明で、古代詩についても深い見識を持っている」
「それは良かった」
俺は微笑みながら答えたが、内心では別のことを考えていた。
前の時間軸では、この頃からエルネストとセレスティアの関係に、外部からの圧力がかかり始めた。アステリアの策謀の一環として、二人の交際を問題視する声が上がったのだ。
今回もそうなるのだろうか?
「ところで」エルネストが声を潜める。「昨日、星詠み司の方が学院に来られたそうだが…」
俺の心臓が跳ねる。もうエルネストの耳にも入っているのか。
「ああ、アステリア様という方だった。俺たちも少し話をしたよ」
「何の話を?」
「グリフォン事件について、詳しく聞かれた。エルネストの判断が素晴らしかったと、褒めていたぞ」
エルネストの表情が複雑になる。
「褒められるのは嬉しいが…なぜ星詠み司が、そこまで関心を持たれるのだろう」
「功績が大きかったからじゃないか? 王都にも報告が上がっているし」
俺は軽い調子で答えたが、エルネストの不安は消えないようだった。
その時、教室の扉が開いて老マクレー教授が入ってきた。だが、いつもとは違って、彼の後ろに一人の男性がついてきている。
その男性は、星詠み司の紋章を胸につけた若い魔法使いだった。
「諸君、今日は特別な授業を行う」
マクレー教授が教壇に立つ。
「星詠み司庁から、ルーカス師がお見えになった。『預言と現実の相関性』について、特別講義をしていただく」
教室内がざわめく。星詠み司による特別講義など、前代未聞のことだった。
ルーカス師が前に出る。年齢は三十代前半ほどで、知的な印象を与える男性だ。だが、その瞳には冷たい光が宿っている。
「皆さん、はじめまして。私はルーカス・バン・テンペストと申します」
彼が教室を見回す。
「今日は、預言がいかに現実と密接に関わっているかについて、お話しさせていただきます」
ルーカスが魔法で映像を投影する。そこには、『星詠みの書』の一部が映し出されていた。
「『災厄の火種』の預言を例にとりましょう。この預言は『放置すれば、炎は野を焼く』と記されていました」
俺の血管に緊張が走る。やはり、グリフォン事件について話すつもりか。
「そして実際に、グリフォンという災厄が現れました。しかし…」
ルーカスの視線が、明らかにエルネストに向けられる。
「この災厄は、預言通りの解決を見ませんでした」
教室内が静まり返る。
「預言では『炎が野を焼く』とあります。つまり、災厄によって何らかの破壊が起こることが予見されていたのです。ところが、実際には平和的に解決された」
エルネストの顔が青ざめていく。
「これは一見すると喜ばしいことです。しかし、預言学の観点から言えば、非常に興味深い現象です」
ルーカスが一歩前に出る。
「なぜなら、預言が外れることは滅多にないからです。もし外れたとすれば、それは…」
彼が言いよどむ。
「何らかの『異常』が発生した可能性があります」
俺は拳を握りしめた。これだ。これがアステリアの手口だ。
グリフォン事件の平和的解決を『異常』と位置づけ、エルネストの行動を『預言への干渉』として問題視する。そうして、徐々に彼を追い詰めていくのだ。
「もちろん」ルーカスが慌てたように手を振る。「これは学術的な興味からの話です。実際に災厄が平和に解決されたことは、素晴らしいことです」
だが、彼の言葉の真意は明らかだった。
授業が終わると、エルネストは青い顔で席に座ったままだった。
「エルネスト、大丈夫か?」
俺が声をかけると、彼はゆっくりと顔を上げた。
「クレイド…俺は、何か間違ったことをしたのだろうか?」
「何を言っている。お前は村を救ったんだ。誰も傷つけずに」
「だが、預言に逆らったとしたら…」
「預言に逆らったんじゃない」俺は強く言った。「災厄を防いだんだ。それが問題になるはずがない」
だが、エルネストの不安は深まっているようだった。
その時、教室の扉が開いて、一人の生徒が入ってきた。
「エルネスト様、星詠み司の方がお呼びです」
俺の心臓が激しく鼓動する。ついに来たか。
エルネストが立ち上がろうとしたとき、俺も同時に立ち上がった。
「俺も一緒に行く」
「だが…」
「グリフォン事件は俺たち三人で解決したんだ。俺にも責任がある」
エルネストが迷っていると、ロウも立ち上がった。
「俺も行く。三人一緒でやったことだからな」
エルネストの表情が少し明るくなる。
「ありがとう、二人とも」
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学院長室に向かう廊下で、俺は必死に対策を考えていた。
アステリアの狙いは明らかだ。エルネストを『預言に干渉する危険人物』として印象づけ、監視下に置くことだ。
だが、俺には前の時間軸の記憶がある。彼女の手口も、その後の展開も知っている。
必ず、この策謀を阻止してみせる。
学院長室の扉が見えてきた時、俺は深く息を吸った。
今度こそ、親友を守り抜く。
そのために、俺は全力で戦う。
扉の向こうで、アステリア・ヴォン・エクリプスが俺たちを待っていた。
美しい微笑みの裏に隠された、冷酷な野心と共に。