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遭遇

学園に併設されたカフェ。学生で賑わうその場所のテラス席で、ルーナは一人優雅に紅茶を飲んでいた。


「先日の夜会では随分と面白いことがあったようだな」

「あらいやですわ。殿下はお耳が早いこと」


ぱらりと扇子を開き、口元を隠す。アルバートはどかりと向かい側に腰掛けると、優雅にアフタヌーンティーを楽しむルーナに視線を投げた。


「マリーナ嬢にワインをぶちまけられたとか。やれ"イグニスフィアの月は慈悲深い"だの"至らない令嬢にわざとワインをかけられたのでは"だのと噂で持ちきりだ。──で?真相は?」

「マリーナ嬢が、私に突き飛ばされたと証言するためにわざと転んだのです。その際にワインがかかってしまいまして」

「成る程、"不運な事故"か」


アルバートは楽しくてたまらないとばかりに目を細めた。テーブルに頬杖をついて飄々と笑う。


「台無しになったドレスの代わりに、俺がドレスを贈ってやろうか」

「結構でございますわ。婚約者でもない殿方にドレスを贈っていただくなんて……そんなみっともないこと出来ません」

「言うねぇ……昨日はその婚約者以外からドレスを贈ってもらったって自慢してた奴と、ニコニコお相手してたんだろうに」


ルーナはにっこり笑って扇子を閉じた。ぱちん、と扇子を鳴らす辺り、この話はもういいと言外に言っているのだろう。


「ところで、新規事業の計画書には目を通していただけましたか?」

「あぁ、公共事業を利用して就職の斡旋をするのはなかなか悪くない。治水事業というのも、あの馬鹿が投げ捨ててやらなかったものを、ダム建設という形で更により良い物にできるしな」


ところで、とアルバートは声を潜めた。毎年雨の多い時期になると氾濫する河川の治水工事なんて、急務中の急務だろう。一体なぜコーディはその事業に手を付けずにいたのだろうか。


「あら、単純なお話ですわ」

「生憎とあれ程単細胞ではなくてな。あれの思考は全く理解できないんだ」

「聞いても理解に苦しむと思いますわ。"治水工事なんて地味でつまらない仕事、王太子の俺には相応しくない"だそうですよ」


はく、とアルバートが息を呑んだのがわかった。何も言えずにぱくぱくと口を動かすのを見て、池の鯉のようだとルーナは思考を飛ばしつつ、殿下にお茶をいただける?と店員に声をかける。


実際、コーディからその言葉を聞いた時、ルーナも同じ顔をしていただろう。仕事の重要度は派手か地味かでは測れないのだ。しかも国王はそれを見ても何も言うことはない。焦り走り回るのは官吏と貴族たちばかり。


「我々の領地等、領主の自主裁量に任せられたものは勝手にしましたが、王都や直轄地はそうもいきませんからね。アルバート殿下には頑張っていただきませんと」

「……馬鹿の尻拭いも楽じゃないな」

「やっていただきたいお仕事は山のようにありましてよ」


ルーナはそう言ってカップを傾ける。そう、王子にやってもらいたい仕事は山程あるのだ。中途半端なコーディの事業をぶっ潰す為には、まだまだやるべきことが沢山ある。


「ルーナ様!こんなところで奇遇ですね!」


場違いな声が響いた。ルーナはぴたりと動きを止め、ついで優雅にカップを置く。ふっと視線を向ければ、マリーナがニコニコと笑顔で立っていた。


辺りがしんと静まり返る。学生たちは息を呑んで事の成り行きを見守っている。ルーナはぱたりと一つ瞬くと、ぱらりと扇子を開いて口元を隠した。


「……マリーナ嬢。社交界では身分が下の者から上の者に話しかけるのは不敬ですわ。この場合だと、あなたは私が話しかけるまで待たなくてはなりませんの。おわかりかしら?」

「そ、そんな……私、ルーナ様と仲良くなりたかっただけなのに……っ」


ルーナは力なく項垂れたかと思えば、次の瞬間目に涙をいっぱいに浮かべてばっと顔を上げた。


「ルーナ様、酷いです……! どうしてそんな酷いことを言うんですか!?」


ルーナはちら、と横目でアルバートを見た。アルバートは我関せずといった様子で優雅にカップを傾けている。……が、若干肩が震えている辺り、相当笑いを堪えているようだ。


次に書類を渡すときは、容赦なく仕事量を倍にしてやろう、と心に決め、ルーナはマリーナに向き直った。


「何がどう酷いのでしょうか? 学園ならいざ知らず、これが夜会やお茶会だったら? マナー違反を知らずに、今後困るのはマリーナ嬢ですわ」

「でもっでもっ」

「でももだってもへちまもありませんの。それから、淑女たるもの、人前で軽率に涙を見せるのはおよしなさい」


柔らかな声が優しく諭す。固唾をのんで見守っていた学生達は、ルーナの言葉にうんうんと頷いた。マリーナは変わらず酷い酷いと泣きながら、ぐしぐしと乱雑に目元を拭っている。


「そうやって私を笑い者にするんですね……っ」

「あなたが笑い者になっていると自覚しているなら話は早いですわ。礼儀作法の先生について、しっかりと学ぶことが必要です。周りも好きで笑っているわけじゃありませんの。自分ではどうすることも出来ないことに直面した時、人は笑うことしかできないんですのよ」


お前のせいだ、とルーナは言外に告げる。それから、とルーナはアルバートに視線を投げた。それまで我関せずを決め込んでいたアルバートはぎくりと動きを止めた。


「こちらにおわすは第二王子アルバート殿下ですわ。今は殿下と国政にまつわる大切なお話をしておりましたの。遠慮して下さるかしら」

「アルバート、様……?」


マリーナは上目遣いにアルバートを見つめた。アルバートはひくりと頬を引きつらせ、ついでひらひらと手を振った。


「あー、そうだな。今は他人に聞かせられるような話をしていない。下がってくれないか」

「そんな……! アルバート様までっ」

「それから、俺は名前を呼ぶことを許可していない。控えてくれ」

「ぁ……失礼致しました。殿下……」


アルバートの瞳が苛烈に光る。怒りの片鱗を垣間見、ルーナは小さく息をつく。マリーナの視線を遮るようにアルバートの前に立つと、ルーナはふわりと微笑んだ。


「早くお行きなさい。私が執り成しておきますから」

「っ……」


カーテシーもそこそこに、マリーナはばっと身を翻して走り出した。しくしくと本当に悲しそうに泣くその才能だけは褒めてやりたいと、ルーナはぼんやり考えながら背筋を正す。完璧なカーテシーを披露して、ルーナは麗しく微笑んだ。


「皆様、お騒がせして申し訳ございません。どうぞ先ほどのことは忘れて、楽しいひと時をお過ごしくださいませ」


周囲の生徒たちは皆そそくさと席に戻っていく。アルバートは苛立ちも顕に足を組み替えながら、すっかり冷めてしまった紅茶を啜った。


「成る程、あれに絡まれていたわけか。先日は想像の倍以上災難だったな」

「彼女がなぜ此方に絡んでくるのか、理解に苦しみますわ。コーディ様は人前で接触して、嫉妬に狂った私が嫌がらせをしないようにと心を砕いておりましたのに」

「なんだそれは。新手の冗談か?」

「それならばどれほど良かったでしょう」


ルーナはぱちんと扇子を鳴らした。アルバートはふむ、と何事か考え込むと、ついであぁと納得したような声を上げた。


「成る程、寝取った男の婚約者にわざわざ浮気を匂わせて、その顔が嫉妬に歪むのをみたいわけだ」

「まぁ、なんですの? その性悪な発想は」

「巷で流行りの三文小説で似たような展開があったような気がしてな」

「まぁ、殿下ったら……」


ルーナはころころと声を上げて笑った。和やかな雰囲気に、はらはらと見守っていた生徒たちは皆ほっと息をつく。不敬で王族の機嫌を損ねるなど、一般の生徒たちからしてみれば恐怖でしかない。


何を言ったかわからないが、あっという間に機嫌をとるルーナに、生徒たちは羨望の眼差しを向けるのだった。


「何の騒ぎだ」

 

刹那、再び空気が凍りついた。


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