誓い(ステラ視点)
出会ったのは、恐らく十二になる頃だったと記憶している。
爵位だけはある貧乏貴族に生まれ、幼い頃からあらゆる仕事をして生きてきた。行儀作法や剣術なんかは学べたものの、物心つく頃には破産して一家離散。私は犯罪組織に売り飛ばされ、地獄のような日々を過ごしていた。
「もし、もし。だいじょうぶですか……?」
犯罪組織のアジトを抜け出し、命からがら逃げてきたものの、とうとう力尽きて道端に倒れ込んでいた時。鈴の鳴るような声で揺り起こされた。
ぱあっと温かい光が満ちたかと思えば、体中の傷が癒えて痛みが消える。思わず呆然と目を見開けば、年の頃は7つほどだろうか。この世のものとは思えないほど美しい少女が、心配そうに小首を傾げていた。
「ほかにいたいところはない? だいじょうぶ?」
「あ、なたは…」
「ルーナお嬢様!」
使用人がバタバタと駆けてくる。ルーナと呼ばれた少女は、慌てた様子でぱたぱたと手を振った。シュンとしながらごめんなさい、と謝る姿も愛らしい。
「おへやから、この子がたおれてるのがみえたの。だから、なおしてあげたくて……」
ルーナはそう言うと、こちらへと向き直った。
「あなた、おなまえはなんていうの?」
愛らしい手が無骨な手を取り、宝石のような瞳が真っ直ぐにこちらを見つめる。困惑しつつも遠慮がちに名を名乗れば、ルーナは素敵な名前ね、とうれしそうにわらった。
「これは何の騒ぎだい?」
「おとうさま!」
屋敷の中から一人の男が出てくる。ルーナと同じ蜂蜜色の髪をした男は、愛娘の頭を撫でて此方を見つめた。思わず立ち上がり、紳士としての所作を思い出しながら頭を下げる。
「ステラと申します」
「ステラ……君は随分と所作が優雅だね。何があったのか聞かせてもらえないかな?」
「私、は……」
柔らかい声は不思議と貴族特有の威圧感がなく、自然とこれまでの経緯を話していた。うんうんと頷いた男は、そうかそうかと目を細めると、ルーナへと向き直る。
「ルーナは、どうしたいんだい?」
「わたしは、ステラともっとおはなししたいです!」
「そうかそうか」
男は優しく微笑むと、此方に視線を投げた。
「私はグラシエス公爵家当主、フロンス・グラシエスだ。もし君に行くところがないのなら、我が家でルーナの騎士になってもらえないかな」
「!」
「まぁ!」
ルーナの表情がぱっと明るくなった。嬉しそうにこちらに歩み寄ると、両手で此方の手を握る。キラキラと輝くアメジストの瞳が、期待に満ちた様子で此方を見つめる。突然のことに困惑しながらも、何処か温かい気持ちになって、私は口を開いた。
「私、は──」
「ステラ。今日は街に行くわよ」
あれからゆうに十余年の月日が流れた。ルーナお嬢様は蜂蜜色の髪を靡かせ、今日も今日とて麗しく微笑む。
「承知いたしました。お嬢様」
「あのね、今日はブティックに行きたいの」
「新しいドレスをお求めですか?」
「いいえ。……あのね、マリーナ嬢がコーディ様と、どこのブランドでドレスをお買い求めになったか調べたいの」
それに、たまには息抜きしないと息が詰まってしまうわ。
「ふふふ、そうでしょう?ステラ」
白魚のような指がいたずらに袖を引く。藤色のスカートがひらりと翻り、まるで花から花へと飛び回る蝶のように、ルーナお嬢様はくるりと振り返った。
「危険なことはなさらないとお約束ください」
「ステラは真面目ねぇ。ふふっ貴方がいるから大丈夫よ。あなたも欲しいものがあったら言ってね? 何でも買ってあげるから」
「私はお嬢様にお仕え出来ているだけで十分幸せですよ」
それは心からの言葉だった。お側に仕え、こうしてお仕えできている。それはこれまでの人生を思うと、奇跡のようなことだった。
彼女の笑顔を守り抜きたい。貴族社会という不自由な世界であっても、どこか自由に生きる彼女のすべてを守りたい。そのためなら、自分の何を差し出しても惜しくはない。
ルーナお嬢様はぱち、と数度瞬いて、ついで破顔した。
「まったく……ご主人様冥利につきるわね」
──貴方を信じてるわ。
鈴の鳴るような声で告げられたそれは、何よりも嬉しい言葉で。仄かな思いに気が付かないように目を瞑る。
自分にできることは、いつまでも、この命尽きるまで守り抜くだけだ。
「行くわよ、ステラ!」
「畏まりました。お嬢様」
この笑顔がずっと続くように。