決意
人間、どうしようもなく衝撃を受けた際は思考が停止するらしい。
「……はい?」
ようやっと声を絞り出せば、アルバートはますます面白そうに目を細めた。
「ルーナ嬢もそんな顔をするんだな」
「お戯れを。御冗談も程々になさってくださいな」
「冗談ではない。先ほどの誘いだが、俺は本気だ」
紅玉の瞳は真剣そのものに燃えている。どうやら王位を簒奪するのは本気らしい。だが、だからこそ、こんな誰に聞かれるかわからない場所で答えるわけにはいかない。
「このような場所ですべき話ではありません。……なにより、公爵家を巻き込むのであれば父に話をしていただかなくては」
「それもそうだな。では場所を変えよう」
アルバートがルーナの手を取り、ぱちんと指を鳴らすと、そこは公爵家の屋敷の前だった。唖然とするルーナに、アルバートは茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。
「転移魔法だ。こればっかりは得意でな」
「人まで転移させられるとは……」
「俺に触れているもの限定で、だがな」
逆にこれ以外の魔法はとんと苦手なんだ、とアルバートは肩を竦めた。この世界には様々な魔法があるが、アルバートは物や人を転移させることのできる転移魔法以外は、どうもいまいち苦手だった。
「それでも、人を運べるなんて凄い魔術の精度ですわ……殿下は隠密に向いてますわね」
「褒め言葉と受け取っておくぞ。さて、それより公爵殿は…」
「こちらでございますわ」
ルーナは公爵家の執務室へとアルバートを案内する。途中メイドに紅茶を淹れるよう言付けると、執務室へと顔を出した。
「お父様、失礼いたします」
「おや、ルーナ。……!アルバート殿下……!?」
「急にすまないな。急ぎ話したいことがあって、早馬を出す前に直接来てしまった」
アルバートは来客用のソファに腰掛ける。足を組み、ひらひらと手を振るあたり、あまり堅苦しく話をする気はないらしい。
慌てて向かいに座る父の隣に優雅に腰掛け、ルーナはじっとアルバートを見つめた。アルバートはついと二人の顔を眺めた後、漸う口を開く。
「ここだけの話、俺はコーディ兄上から王位の簒奪を考えている」
「そ、れは……真でございますか?」
フロンスの顔が途端に強張った。その姿に、アルバートはついと目を細める。その瞳は真剣そのもので、彼が王位簒奪という大それたことを本気で考えているのだと如実に伝わってくる。
アルバートは国王と側室の間に生まれた王子だ。コーディとは同じ歳だがカリスマ性があり、実力も申し分ないものの、王妃を寵愛しコーディを可愛がる国王によって冷遇されている。
「俺には古参貴族たちを中心とした後ろ盾がいる。が、生憎と新興貴族や国民の中には、国王陛下と王妃殿下の身分違いの恋物語につられて、第一王子派につく声も多い」
「あぁ、お二人の恋物語は書物のモデルになったりしておりますわね」
「正直、あんなものにつられるのもどうかと思うんだがな。王妃殿下は、政務に関してはほぼ俺の母上任せ。陛下もそれに何も言わないどころか容認している始末だ。……恥ずかしい話、馬鹿ばっかりだ」
その上、我儘放題のコーディは現在浮気騒動を起こしてくれている。これは中立派であるグラシエス公爵家は勿論、古参貴族たちに喧嘩を売る行為だ。
「この機に乗じて、俺は彼等の失脚と兄上からの王位の簒奪を考えている」
「……成る程」
フロンスは眉根を寄せ、張り詰めていた息をついた。ルーナはぱらりと扇を開き、口元を隠して思案を巡らせる。
現在中立を守っているグラシエス公爵家であるが、公爵家の宝であるルーナを蔑ろにされて黙っているはずもない。何かしらの報復をしてやろうと考えてはいたが、これはなかなかどうして面白い。
「僭越ながら…勝算はお有りでしょうか?」
「あぁ、ルーナ嬢。そんなにかしこまった話し方をしなくてもいい。俺達は共犯者になるんだからな」
「あら、まだお返事をしておりませんわ」
アルバートは実に楽しそうに口角を上げた。勝算はある、と歌うように軽く告げると、彼はふっと柔らかく微笑む。ルーナをじっと見つめるその目は優しく、ルーナは探るようにその紅玉の瞳を見つめ返した。
「そう気負わずともいい。俺を踏み台に、あの愚兄に目にもの見せてやるくらいの気持ちでいてくれれば」
グラシエス公爵家は優秀だ。それを取り込めるというだけで、アルバートにとっては十分な成果である。
「さぁ、改めて聞こうじゃないか」
アルバートはそう言うと、悠然と足を組み替えた。その姿は実に君主然としており、膝を折らせる重圧感を感じさせる。
「第一王子やめて、俺につかないか?」
「──承知いたしました」
筆頭貴族グラシエス公爵家の頭脳たちは、若き王子の前に膝を折った。