誘い
翌日、ルーナは王立学園へ登校していた。公爵家の影から報告をもらい、マリーナとコーディが逢瀬を重ねているという校舎裏の四阿へとそっと近づく。
(気分はさながら密偵のようね)
先々に待つあれやこれやを考えると、どうにも明るい気分にはなれないが、一つ頭を振って気持ちを切り替える。
(あぁ、丁度いいわ。ここなら隠れられそう)
そっとバラの茂みに身を隠す。むせ返るような甘い香りに辟易する。そうして暫く身を潜めていると、きょろきょろと辺りを気にした様子のコーディとマリーナが連れ立って現れた。
「……よし、ここまでくれば大丈夫だろう」
コーディの明るい茶髪が木漏れ日に揺れる。空の色を溶かし込んだような青い瞳が、愛する少女の姿を映して甘く蕩けた。おいで、と無骨な手がマリーナの細い手を引き、マリーナも嬉しさを隠しきれない上擦った声音で返事を返す。
(とんだ茶番ね)
ルーナはつまらない演劇を観ているかのような錯覚に陥って、欠伸を堪えるように目を細めた。マリーナの肩口で切りそろえられたピンクブロンドの髪を、コーディの節くれ立った指が撫でていく。マリーナの海のような深い青色の瞳が愛しさに揺れた。
ルーナと比べ、十人並みの容姿だが愛嬌があり、笑顔が可愛らしい。成る程、よく綺麗だと評されるルーナとはまた系統の違う、所謂美少女というやつである。
コーディは四阿の椅子に腰掛けると、流れるように自身の膝にマリーナを座らせる。それを至極当然のように受け入れたマリーナは、薔薇色の頬をぷうと膨れてみせた。
「コーディ様。いつまでこのように隠れて逢瀬を重ねなくてはならないのでしょうか」
「そう言うな。一応、まだ俺の婚約者はルーナなんだ。あの女が下手に嫉妬でもして、お前に危害を加えたりしたら困るだろう」
(まぁ! 殿下の中では、私は愛人に嫉妬して嫌がらせをする、可愛げのある女だと思われていたのですね)
ルーナは思わずあんぐりと口を開ける。こんな時でも扇子で口元を隠す辺り、淑女らしさは忘れない。だが、コーディにどう思われていようと、ルーナはそこまでの可愛げは有していないのだ。
そう、ルーナにとってマリーナとの浮気は、全く歯牙にもかけない…かける価値すらない瑣末事なのである。
「なんとかして婚約を破棄させれば…そうすれば、何のしがらみもなくお前が俺の婚約者になれるのに」
(うん? 婚約破棄ですって?)
コーディの言葉に、思わず眉尻を上げる。成る程、もう彼らの中では正妃と側室、どころの話ではなく、マリーナこそが正妃であり、側室を置くことなんて考えていないらしい。
──いや、成る程じゃないだろう。
(どうしてそうなるのです……!? 何をどうとち狂えばこの国を守るための策をかなぐり捨てることになるのですか……!!)
頭がくらくらする。目の前の大馬鹿二人は、キャッキャウフフとこちらの内心などお構い無しに乳繰り合っている。さぁどうしてくれようか。
「嗚呼、どうせなら卒業記念パーティの場で婚約破棄と新しい婚約を宣言しよう。あのパーティには父上と母上もご出席なさる。俺たちの新しい門出には相応しいだろう」
("卒業記念"のパーティであって、貴方がたの門出はどうだっていいのだけれど……全くわかってなさそうね)
というか、公衆の面前で婚約破棄劇場を繰り広げようとしているとは。思わず卒倒しそうになるのを堪え、ルーナはなんとか聞き耳を立てる。
やがて、一頻り睦み合った後、コーディとマリーナは仲良く手を繋いで何処かへ去っていった。どっと疲れが出て、ルーナはよろよろと立ち上がる。
「馬鹿だ馬鹿だと思っていたけど、ここまで馬鹿だとは思わなかったわ……」
古参貴族との仲を取り持つための苦肉の策をかなぐり捨て、なんなら王立学園の卒業記念パーティで婚約破棄を試みる無謀さ。できることなら、二人の後頭部を扇子で引っ叩いてやりたいが、そんなことできるわけもない。
「さて、どうしたもんかしら……」
「これはこれは、随分とお困りのようだな」
飄々とした甘い声が頭上から降ってくる。ルーナがぎょっと身構えると、声の主は楽しそうにくつくつと笑って木の上から飛び降りた。
烏の濡羽色をした艶やかな髪を項でひとまとめにし、紅玉の瞳を妖しく光らせた青年がそこにはいた。均整のとれた体躯を着崩した制服に包み、形の良い唇がゆるりと弧を描く。
「よぉ、"イグニスフィアの月"」
「……失礼いたしました。アルバート殿下」
完璧なカーテシーで挨拶を返す。元公爵令嬢である側室と国王の間に生まれた第二王子……アルバートである。
「驚いたな。ルーナ嬢には覗きの趣味があったのか」
「滅相もございません。……殿下、わかって聞いていらっしゃいますね?」
「はははははっ、まぁそんなところだ。……愚兄が迷惑をかけているようで、すまないな」
アルバートは苦虫を噛み潰したような顔で、ついと瞳を伏せた。彼も一部始終を見てしまっていたらしい。今さらどう取り繕う事もできず、ルーナは曖昧に微笑んだ。
「すまないついでに、提案があるんだが」
「提案、でございますか?」
「あぁ、ぜひともこれはルーナ嬢に……グラシエス公爵家に頼まれて欲しいことだ」
アルバートはじっとルーナを見つめ、にやりと口角を上げる。その笑みに何か不穏なものを感じ、ルーナは背中にじっとりと嫌な汗が伝うのを感じた。
「俺について、あの愚兄から王位を簒奪しないか?」