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心密かに(アルバート視点)


初めて出会ったのは、兄の婚約者としての顔合わせだった。


「はじめまして、アルバート殿下。ルーナ•グラシエスと申します」


綺麗なお辞儀をする女の子だと思った。所作の一つ一つが優雅で、とても同じ歳とは思えない。まるで妖精のように愛らしい女の子。



──俺の初恋は、自覚したと同時に儚く散った。



流石に、兄の婚約者に手を出そうと思えるほど愚かではない。身を引かざるを得ない状況に、子供ながらに二人を応援しようと心に決めたのだった。


王城での俺の扱いは、コーディと比べて明らかに差があった。服も、家庭教師も、全てがコーディのお下がりだった。コーディがいらないと言ったものが俺に下げ渡される。


「アルバート、お前は優秀な子です。もっともっと、知識をつけなさい。知識は必ずお前を守る武器になる。この王城で生き残るためには、自分の身は自分で守らなければなりませんよ」


側室である母は、口癖のようにそう言っていた。若かりし頃の母は、社交界でも理想の令嬢として名高く、公爵令嬢という立場もあって国王の婚約者に上り詰めた。


それでもなお、国王が"真実の愛"とやらに目覚め、側室落ちしてしまったのだから、現実とはうまくいかないものである。


いや、政治的な立場がありながら、愛だの恋だのに溺れた国王と、考えなしにそれを享受した王妃に問題があるのだが。それにより全てのしわ寄せを受けることになったのが、王妃教育を完了している母だった。


「馬鹿は馬鹿なりに大人しくしときゃあいいのに、なんでお前が王太子それなんだよ」


コーディの姿を遠巻きに見てはそう思った。自分より成績も低く、決して有能だとは言えない兄。そのくせ、婚約者であるルーナには無理難題を押し付けていると聞く。


(俺ならそんなことしないのに)


今さら何を言っても詮無いことだとは分かっていた。国王と王妃が身分の差を超えて結ばれてから、古参貴族と新興貴族の間に溝があり、離れゆく人民の心をつなぐための婚約が、今回の婚約だとわかっているからだ。


筆頭公爵家であり、コーディと同じ歳。その上押しも押されもせぬ完璧な淑女であり、幼くして魔術から政治に至るまで才能を開花させた才女。


まさに国の安寧のためには画期的な生贄だった。


(どいつもこいつも最低だ)


貴族も、王族も、皆彼女の細い肩に全ての重荷を背負わせようとする。


だが、それでも彼女は折れなかった。


弱音を吐くところは一度も見たことがない。どれだけ厳しいことを言われようと、決して涙を見せたりせずに微笑むのだ。そして、何事にも血の滲むような努力を欠かさない。


誰よりも強く、美しい彼女は、まさに"イグニスフィアの月"に相応しかった。


コーディは自分の所有物と見なした人間に、俺が近づくのを嫌うため、表立って接触はしなかった。会えば挨拶をするものの、特段何かするでもない。


王妃が開く個人的なお茶会も、コーディは呼ばれても俺と母上だけは呼ばれない。完全に囲われているルーナを遠巻きに見ながら、俺はひっそりと部屋に戻る。


(俺は俺だけのものを、自分で掴み取らなくてはならない)


いつ取り上げられてしまうのかと、それだけに怯える生活はしたくなかった。だから、目立たぬようにひっそりと味方を増やした。


レイとカルナは、母上の実家である公爵家経由で雇われた御側付きだった。物心ついたときから共に過ごし、気づけば王城で唯一信頼できる家臣になっていた。


(俺だけの手駒は少ない)


古参貴族が第二王子派なのは知っていた。だが、彼等には彼等の思惑がある。いつ裏切られるともしれないその関係に依存するのは、いささか危うい。



そんな時だった。コーディの浮気が発覚したのは。



初めてその話を聞いた時、頭をかち割ってやろうかと一瞬本気で考えた。あれほどまでに優秀な婚約者がいながら、一介の男爵令嬢に夢中になるとは。


国王たちによって引き起こされた悲劇をまた繰り返したいのかと、胸倉を掴んでやりたい気持ちでいっぱいになる。


(何故彼女を悲しませるようなことをするのか)


その考えも間違いであったと気づいたのは、裏庭でルーナと再会した時だった。


彼女の目には呆れが浮かんでいながらも、そこに悲嘆に暮れる弱々しい少女はいなかった。


その時思った。これはチャンスなのだと。



「俺について、あの愚兄から王位を簒奪しないか?」



気づけばそう声をかけていた。事実、彼女は想像をはるかに超えるほどその優秀さを遺憾無く発揮してくれた。


「情報戦は農業と一緒ですわ。まずはそっと種を蒔いて。時折影から手を回して手助けをして。最後は頃合いを見計らって摘み取るのです」


──私は、そういった読み合いが楽しくて仕方ないのです。


何手先をも読んだ宰相としての才能。為政者として、これほどまでに有能な人材は喉から手が出るほど欲しい。


何より、何があっても前を見て、自分や公爵家の名誉のために策を巡らせる彼女を、心底美しいと思ったのだ。





ふわりと体に浮遊感が襲い、とん、と音を立てて着地する。そこは王城にある自室で、遅くまで待っていたらしいレイとカルナが、此方を見てホッとしたように眉尻を下げた。


「よかったー。あんまり遅いから帰ってこないんじゃないかと心配してたんですよ」

「いくらお気に入りでも、婚約もしてないうちからお泊りはいけませんよ。殿下」

「お前たちは俺を何だと思ってるんだ」


軽口を叩きながらソファに腰掛ける。外套を無造作に放り出せば、紅茶を入れたカルナがさっとそれを回収する。


今日の公爵家での会話を報告すると、レイは楽しそうに目を細めた。


「グラシエス公爵令嬢のお相手を務めるなら、そろそろ本腰入れて衣装を決めなくちゃ。どんなものをお作りになりたいのか、希望はあるんです?」

「そうだな。……月を映えさせる夜空のような色の衣装を仕立てようか」

「あららら、それはまた……はいはい。かしこまりましたよっと」


此方の気持ちを悟られているのだろう。レイは心底嬉しそうに笑って頷いた。


(公爵家では顔に出ていなかっただろうか)


少し気恥ずかしくなって、口元を手で覆う。


彼女をエスコートできるなんて、まるで夢のようだ。だが、いつまでも浮かれてはいられない。その日の結果次第で、此方の命運は大きく変わるのだから。


(あと少し。あと少しで、方がつく)


そうなった時、彼女との距離はどのように変化してしまうのだろう。そんな一抹の不安を飲み下すように、俺は勢いよく紅茶のカップを呷った。





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