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14/21

思い


その日、ガルシア男爵家は大騒ぎとなっていた。第一王子がお忍びで屋敷を訪れたのだ。驚く屋敷の家人をよそに、コーディとマリーナは真実の愛と疑わない不義の逢瀬を楽しむ。


「マリーナ、俺は必ず君を迎えに行く。それまで待っててくれ」

「コーディ様……はいっ」


マリーナは涙目でコーディを見上げ、嬉しそうに微笑んだ。ついで、あっと声を上げると、悲しそうに涙をこぼす。


「でも、ルーナ様が……」

「アイツなら大丈夫だ。人前で君を叱責したり、あれこれ口煩いあの女が王太子妃なんぞに相応しい訳が無い。君への嫌がらせも告発しよう。そうすれば皆が認めてくれるはずだ」

「コーディ様……」


マリーナはコーディの胸に顔を埋めた。万事うまくいっている。コーディはマリーナに甘く、多少の嘘でも真実と信じて気づくことはない。


無論、報告した全てが嘘ではない。何故か自分だけお茶会には呼ばれないし、人前で堂々と叱責されることもある。嘘に少しの真実が混ざると、より嘘は真実味を帯びる。


そっとほくそ笑むマリーナなぞ露知らず、コーディは微笑みながらその髪を撫でる。その瞳は愛しいものを見るように優しく、声もまた甘い。


「卒業パーティでは君をエスコートする。ドレスも俺から贈らせてくれ」

「コーディ様……嬉しいです」


消え入りそうな吐息とともに、感極まったようにマリーナは泣き笑いを浮かべた。それがか弱く、より繊細に見えて、コーディはマリーナをより強く抱きしめた。


「愛している。俺の隣にはお前しかいらない。必ず迎えに行くからな」

「はいっ。私も愛しています。コーディ様……」


一方、娘が王太子と逢瀬を重ねていることを知った男爵夫妻は、喜びに沸いていた。


コーディを見送った夫妻は、喜びもそのままに愛娘を抱きしめた。


「お前が王太子妃になれたら、私達は王太子妃の実家だ! 公爵家など目ではないぞ」

「あなたは私達の誇りよ。可愛いマリーナ」


まるで巷で流行りの恋物語のようね、と夫人はマリーナの頬を撫でる。


「イグニスフィアの月よりも、私達の娘のほうが素晴らしいということだな。王妃様の前例もあることだし、きっとマリーナを正妃にしてくださるだろう」

「えぇそうね、あなた」

「公爵家はどうも気に食わなかった。家格が上だというだけでふんぞり返りおって」


これからは正妃の実家ということで、きっと商売でも幅を利かせられるだろう。まったく、親孝行な娘だ。





「──らしいですわよ。お父様」


グラシエス公爵家の応接間にて、ルーナは報告書を手の甲でぱんぱんと叩いた。まったく、貴族同士の家のつながりなり面子なりを、どうにもあの男爵家はわかっていないらしい。


「男爵家自体も巻き込んだか。これで、マリーナ嬢が勝手にやったこと、なんて言い訳も通じなくなったわけだね。こちらとしては報復するのに丁度いいからいいけれど」


フロンスはそう言ってワイングラスを傾けた。卒業パーティまであと数週間。コーディとマリーナが婚約破棄劇場を繰り広げるまで、もうあまり時間がない。


「そういえばドレスは出来たのかい?」

「えぇ、決戦にふさわしいものが出来ましたわ」

「でも入場はどうするんだい?エスコートは本来婚約者の役目だが……」

「ではエスコートは俺がしよう。なに、兄上たちより後へ入場すれば、特に騒がれはしないだろう」

「あら、ありがとうございます、殿下」


ルーナは意外そうに目を瞠り、ついで少しホッとしたように微笑んだ。いざとなれば一人で入場する覚悟もしていたのだが、エスコートしてくださるというのなら乗らない手はない。


アルバートは、そういえば、と口を開いた。今まで聞いたことがなかったが、ルーナはコーディをどう思っているのだろうか。


「コーディ様を、ですか? そうですねぇ」


ルーナは優美に微笑むと、ワイングラスをそっと手に取った。白魚のような指が細い硝子に添えられ、つい、とそれを差し出す。


「例えば、私が床にこのワインを零したとして……床に溢れたそれを飲めますか?殿下」


ルーナのまっすぐな視線に、アルバートは僅かにたじろいだ。ルーナは変わらずに微笑みながら、同じことですよ、と続ける。


「愛とは酒のようなものです。一時は酔えど、零したら不純物が混じって二度と飲めはしない」


恋愛の意味で好きかと言われたら、それは否だと答えるだろう。しかしルーナは愛を知らないわけではない。家族が、友人が、国民が好きだ。


大好きな彼らを守るために、自らの務めを果たす。それが愛と言えずして何と言おう。コーディへの感情はと言えば、同じく民を導く者としての情だろうか。


「あの方の隣で、国母として王を支えて民を守るのだと信じていました。王に足りぬ部分は自らが補わねばならぬと努力もしました」


ルーナは懐かしむようにワインを見つめた。グラスを揺らすと、ふわりとワインの香りが鼻腔を擽る。


「恋など知りませんが、情ならありました。これも一種の愛でしょう。良い関係を築かなくてはと愛される努力もしました。すべて無駄だったと知ったとき、私の彼への情は、砂に吸われる水のように何処かに行ってしまったのです」


恨んでいるかと言われたら、それは違う。"イグニスフィアの月"と謳われる今の自分を作ったのは、彼との出会いも含めたこれまでの軌跡だ。それを否定することはしたくない。


彼のことは、最早全てがどうでもいいのだ。興味がないとでも言おうか。誰を愛そうが、破滅しようが、どうでもいい。愛の反対は無関心とはよく言ったものだ。


「私は私の誇りを取り戻すだけ。売られた喧嘩を買って、降りかかる火の粉を払うだけです。ついでにこの国に巣食う膿を出せるのであれば万々歳ですわ」

「……成る程な」


アルバートはルーナの言葉にただ頷いた。ルーナは静かにワインを飲み下すと、ふわりと笑みを浮かべる。


「それに、殿下にお誘いいただいて、王位簒奪なんて大それたことに首を突っ込みましたが、なかなかどうして楽しくなってしまいましたの」

「ははは、それは光栄だな。俺も、こうしてルーナ嬢と話せて嬉しく思うぞ」


アルバートは嬉しそうに笑ってグラスを呷る。ついでテーブルにグラスを置くと、流れる様に立ち上がった。


「俺はそろそろ行こう。またな、ルーナ嬢、グラシエス公爵殿」

「はい、おやすみなさいませ、殿下」


完璧な家臣の礼を取る二人に、アルバートはひらひらと手を振る。こうしたやりとりをできる人間は数少ない。実に満足そうに笑って、アルバートはふっと姿を消した。





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