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日常と陰り


イグニスフィア王国。小さくも緑豊かで資源に富んだ王国に、"イグニスフィアの月"と謳われる麗人が暮らしていた。


「ルーナお嬢様ぁー!」

「お嬢様ー! 僕達宿題終わったよー!」

「魔法教えて! 魔法!」


四大公爵家の一つ、グラシエス公爵領の学校では元気な子供たちの声が響いていた。お嬢様と呼ばれた麗人は、読んでいた本からついと視線を上げ、あら、と鈴の鳴るような声で応える。


「みんな偉いわね。そうねぇ……じゃあ少しだけ、魔法の使い方を教えてあげましょうね」


形の良い唇がゆるりと弧を描き、アメジストの瞳が優しく細められる。長い蜂蜜色の髪が風に揺れ、白魚のような指を一振すると、その指先に小さな光が現れる。


「ルーナお嬢様」


護衛の騎士……ステラが難しい顔をして声を上げる。それにころころと笑うと、大丈夫よ、と歌うように告げる。子供たちに囲まれながら、魔法の使い方を教えていく。その姿を温かく見守りながら、領民たちはうんうんと頷いた。


「お嬢様は今日も麗しいなぁ」

「誰にでもお優しくて、まるで女神様よねぇ」

「流石"イグニスフィアの月"だな」


公爵令嬢という雲の上の存在でありながら、老若男女問わず領民たちの声に応え、次々と施策を打ち出しては市井に繰り出し、人々の声を聞く。


社交界でもその名は知られており、優美な所作と思慮深さ、そして学者もかくやな彼女の知識は貴族たちの間でも評判だ。まさに最高の淑女。


「お嬢様が王太子妃様になったら、こうしてお声をかけることなんてできなくなるんだろうね」

「むしろ、公爵令嬢様に気軽にお声をかけている今の状況がおかしいのさ」

「あら、民あっての貴族ですもの。貴族たるもの、皆様の声を聞くのは当然ですのよ」

「お、お嬢様!」


領民たちは揃って肩を跳ね上げた。ルーナはぐるりと領民たちを見回すと、ふわりと微笑む。そのまま他愛ない話に花を咲かせつつ、子供たちの面倒をみる。


「お嬢様、今度秋祭りがあるんでさぁ。今度は領主様と」

「えぇ、お父様やお母様たちも連れて、皆で見に行きたいですわね。……あら?」


ルーナは、はたと目を瞠った。見れば、ステラが何処か慌てた様子で駆け寄ってくる。どうやら公爵家の"影"から何か伝言があるらしい。


「ルーナお嬢様、お話中失礼いたします」

「あら、ステラ。何かしら?」

「旦那様がお呼びです。至急屋敷にお戻りください」

「お父様が?」


どうやら、ご婚約の件で─────


さっとルーナの顔色が変わった。眉根を寄せ、何処か険しい表情でふむ、と独り言ちる。白魚のような指が細い顎に添えられ、何事か考え込む姿もまた一幅の絵画のように麗しい。


「皆様、私急用ができましたの。申し訳ありませんが失礼いたしますね」

「え? は、はい……?」


ルーナは困ったように微笑むと、ついと優雅に手を振った。困惑しきりでこくこくと頷く領民たちが、ハッと気がついたその時には、ルーナとステラの姿は忽然と消えていた。




広大な屋敷の一角。領主の執務室では、グラシエス公爵家当主フロンスが頭を抱えていた。後ろに流した蜂蜜色の髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、執務机に突っ伏す。彼が唸り声を絞り出すのと同時に、扉が開いた。


「お父様。お呼びと──……あら、既にお疲れのご様子」

「ルーナ……嗚呼こっちにおいで……私の可愛い娘」


フロンスはのろのろと手を伸ばすと、傍らに膝をつくルーナの頬をそっと撫でた。目に入れても痛くない自慢の娘。その娘にこれから残酷な話をしなくてはならないとは、これほどまでに神を───否、王家を恨んだことはないだろう。


「ルーナ。落ち着いて聞きなさい。──お前の婚約者がどうやら浮気をしているらしい」

「は?」


ルーナは思わず手元の扇子をぱちんと鳴らした。ぱらりと開いたそれで口元を隠し、ふむ、と独り言ちる。


「コーディ殿下がですか?お父様、それは確かな情報で?」

「殿下につけていた影からの報告だ」

「それは……成る程、この上なく確かな情報ですわね」


コーディ王子は、このイグニスフィア王国の第一王子である。王太子であり、なにより現国王が寵愛している王妃との間に生まれた王子だ。


(あの天上天下唯我独尊俺様至上主義なコーディ殿下が浮気ねぇ……)


過去に受けた数々の傍若無人っぷりを思い出し、ルーナはついと目を細める。この際、愛のない婚約のため、浮気なんぞどうでもいいと言えばどうでもいいのだが、そう言ってもいられない事情があるのだ。


「あの方、ご自分のお立場をご存知ないのでしょうか」

「その可能性はあるだろう。…いや、そうでなければこのようなことをなさるはずがない」


この国では現在、新興貴族が中心の第一王子派と、古参貴族たちを中心とした第二王子派に分かれている。現国王が正式な婚約者であった公爵令嬢を側室にし、寵愛していた恋人の男爵令嬢を正妃に据えてしまったことが原因である。


ルーナと第一王子との婚約も、古参貴族筆頭であるグラシエス公爵家と婚約することにより、心が離れてしまった古参貴族を取り込むためのものであった。


「ちなみに、浮気相手はどこのどなたで?」

「新興貴族の男爵令嬢だそうだ。ガルシア男爵家、でわかるか?」

「あぁ、マリーナ嬢ですわね。そう、彼女が殿下と懇意にされてますの」


また男爵令嬢か、とルーナは柳眉を寄せた。ルーナとしては、側室を設けることに全くもって異論はない。しかし、問題なのは心変わりしたというその点だ。


「……教えていただきありがとうございます、お父様。あとはこちらで調べますわ。学園でご一緒する機会もあるかもしれませんし……」

「ルーナ……」

「生憎と、黙ってされるがままになっているほど人間出来てはおりませんの」


ぱん、と扇子が掌を打つ。凛と顔を上げたルーナの姿は、"イグニスフィアの月"に相応しく、どこまでも美しかった。



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