第2話 長の失踪
この世は三つの世界で成り立っている。
人間が住まう顕界、神として崇められる霊獣が住まう天界、悪徳高い異形が跋扈する鬼界。
人間は死後、生前の行いによって霊獣か異形のどちらかに生まれ変わり、三界を輪廻転生すると考えられていた。
天界と鬼界が一体何処に存在するのかを知る者はいない。しかし、それらの存在は確かだと人々は信じている。
何故なら、実際に異形は時空の歪である鬼門を通じて顕界に流れこみ、霊獣は人に憑依して顕界に降臨するからだ。
鬼門発生の原因も不明だが、一つだけ分かっているのは、異形が顕界において悪事ばかり働いているということ。
約千年前、異形が齎す災厄によって、日本は一度滅びかけた。そこで、数多の骸と寥落した風景を憂いた天上の神々は、異形に対抗出来る力を人々に授けた。しかし、全ての人間に己が力を分け与えたのではない。
何の因果か、霊獣たちは双子にのみ力を分け与え付き従うようになった。
力を賜った双子たちは、後に〈鎮守官〉と呼ばれる異形討伐の警察組織に身を置くようになり、現在の東京、長崎、和歌山、北海道、京都と五つの拠点で、管轄内で起こる異形案件の対処に当たっていた。
柳義たち四兄妹は、高位霊獣である四神をそれぞれ従える腕利きの鎮守官。〈社殿〉と呼ばれる拠点の長――〈社殿主〉であり、〈四天王〉の二つ名を持つ。普段は日本の東西南北を守護するため、離れて暮らしている。
そして彼らは今、とある事件の知らせを受けて京都の社殿〈央殿〉に集結していた。
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柳義も桐玻の右隣に座り、兄妹水入らずでしばらく閑談に耽っていると、先ほどの女性、央殿鎮守官の鳴見荷風が大広間に入室した。
「皆様、お待たせいたしました。李様がお見えです」
荷風の言葉に四兄妹はすぐに閉口し、居住まいを正す。そして、一斉に首を垂れた。
荷風も入口の襖の傍で叩頭するなか、御成になったのはまだ年端もゆかぬ幼い少女だった。
黄檗色を基調とした豪奢な着物に包まれ、橙黄の長髪は煌びやかな簪で結い上げられている。
柳義たちから見て右側の座布団に腰を下ろす所作も、稚さを感じさせない程気品があり優雅だ。
「お久しぶりです、四天王の皆さん」
つぶらな瞳から放たれる気迫と可憐な声に宿る威厳は、まさに鎮守官を統べる絶対的権威の象徴。
かの少女こそ、鎮守官の長——鎮守総監の一人である天宮李だった。最高位霊獣の麒麟を従えた、最年少の鎮守官でもある。
「急な召集にも関わらず遠路はるばる央殿に参じてくれたこと、心より感謝申し上げます。どうぞ、皆さんお顔を上げてください」
京の都特有の雅やかな訛りを含んだ指示に、四兄妹と荷風は顔をあげる。
年上の部下たちの注目を一斉に浴びる中、李は滔々と事の経緯を説明した。
「事前にお伝えさせてもらった通り、もう一人の総監にして愚弟の桃也が、職務放棄して突然姿を消してしまいました。なので、うちらが創る央殿の守護結界が徐々に薄まりつつあります。北東の県境にある大鬼門の封印結界もまた然りで、今にも結界が解けて大量の高位異形が氾濫しそうな状態です。このまま大鬼門が完全に開いてしまったら、いずれ〈四凶〉も出て来てしまう」
四凶は、四神と同等の強大な力を有する四匹の最高位異形を指す。
歴代の鎮守総監と彼らが使役する龍麒(黄龍と麒麟の総称)の力によって、大鬼門は千年もの間滞りなく封印されてきた。だが今、黄龍の力が抜けてしまった事によりその封印結界が徐々に弱まっていた。
故に、通常の鬼門に対して約五倍の大きさを誇る大鬼門が今にも開きそうになっている。
四凶は、その大鬼門から出現すると古代の文献に記されていた。
鎮守官の統帥にして要でもある総監の一人が欠けることなど、前代未聞。それが世界にどれほどの影響を齎すか、想像に難くない。
李は苦渋の面持ちで、その小さな尊顔を垂れた。
「身勝手なお願いやとは重々承知してます。せやけどどうか、御力をお貸し頂けないでしょうか」
まさか、総監たる者が己より地位の低い者に頭を下げるとは……。
異例の行為を伴った李の嘆願に、四兄妹は動揺する。
「頭をお下げにならないでください、李様」
最初に開口したのは桐玻だった。
「総監でいらっしゃる貴女様が、私たちのような下位の者に対して叩頭するなんて……」
「面目丸潰れだな」
「要梅ちゃん」
「っと、ごめんよ姉ちゃん」
許して、と茶目っ気たっぷりに片目をウインクする要梅。
掌を返したような柔らかい態度に、柳義は辟易する。
要梅は重度のシスコンであり、淑やかかつ聖母の如き優愛を持つ姉にだけは温和かつ子供じみた振る舞いを見せる。
桐玻の言葉に、李は顔を上げて言った。
「今回の騒動は、こちらの監督不行き届きが原因で起きた事です。本来なら龍麒一門(央殿に所属する鎮守官の総称)だけで対処すべきなんですけど、大鬼門が関係してくるとなると、どうしても四天王を頼らざるを得んくて……」
白皙の小さな手が、きゅっと着物の裾を掴んで力む。
「本当に情けなくて、お恥ずかしい限りです」
「責任感じてる暇があるなら、世話が焼けるもう一人の総監を早く探しに行った方が良いと思うけど」