6-7
世界は色を失っていく。
今まで傍にいた隅坊の姿は消えて、そこには春先と紫陽花の二人だけとなった。
「えっ……」
紫陽花はただ戸惑っていた。
見慣れた風景が、今まで見た事のない風景に変貌してしまったからだ。
「ようやく入り込む事が出来たよ」
春先は紫陽花の戸惑いを気にせず、ゆっくりと紫陽花へと近寄っていく……。
「な、なにここ……」
紫陽花は体を震わせてひどく怯えていた。
「精神世界。君がいつも住んでいる世界の裏側……と言うべきかな」
「え……、なにそれ……」
「説明しても無駄だからしない。だって忘れるんだから」
春先はつまらなさそうにそう答えると、自らの口の中から白く光り輝く小さな芋虫のようなものを指で取り出し……。
「君は今日から星になるんだ。その為の力を与えよう」
光り輝く芋虫を、呆然とする紫陽花の口の中へ押し込んだ。
唐突な言動に紫陽花は一切抵抗する事無く光り輝く芋虫を口の中に入れられてしまい、そして飲み込んでしまった。
「……さあこれで君は存分に輝ける」
光り輝く芋虫を飲み込んだ紫陽花はがくりと俯いたまま動かなかった。
その様子を見た春先の口角は上がっていた。
…………。
…………。
世界は急速に色を取り戻していく……。
隅坊は辺りを見回した。
アイドル候補生に辛辣な現実を突き詰めてほくそ笑む春先と、ショックでもう泣くこともしなくなった紫陽花が居た。
「用事が終わったなら帰らせてもらう」
「まだ終わってない」
「他に何かあるっていうのか? こんなところに居れない」
居た堪れなくなったのか、隅坊はそう告げて練習部屋から出て行こうとした。
その時だった。
「燻木ちゃん。いや、今日から君は輝木紫陽花だ。アイドルのショウカだ。光の魔法少女ショウカだ」
「はっ、さっきクビにしておいて何を馬鹿な事言ってるんだ?」
「さあショウカ、この男の人にも君が今感じている素晴らしい体験を共有してあげるんだ」
「あんた、頭おかしいんじゃないか? もう二度と連絡とらないでくれ」
唐突な春先の発言に、隅坊は大きくため息をついてそう言い放った。
そして再び、練習部屋から出て行こうとする。
だがそれは出来なかった。
今まで俯いて動かなかった紫陽花が唐突に立ち上がると、隅坊へと抱き着きその場に押し倒してしまったのだ。
「……えへへ、はぁい☆」
「な、なにを!」
「私、とっても幸せ。だってすっごくキラキラしてるんだもん☆」
紫陽花は隅坊の上に乗りながら、満面の笑みを見せてそう言った。
この時、紫陽花の目には一つの星のような輝きを宿していた。
「気でもおかしくなったのか! はやまるな!」
隅坊は当然紫陽花に抗った。
体をひねらせたり、手や足を使って体に乗っている紫陽花をどかそうと試みた。
「くそ、体が動かない……。なんなんだこれは!」
しかし、体は一切動かない。
当然、紫陽花を振りほどくことも出来ない。
「や、やめろ……! やめてくれ!」
紫陽花は笑顔のまま、自身の顔を隅坊の顔へと近づけていく。
「えへへ、いっぱいキラキラしちゃお☆」
「やめろおーーー!!!」
瞳に強い星の煌めきを宿した紫陽花は、そのまぶしさと相反して表情はどこか虚ろだった。
顔と顔、紫陽花の口と隅坊の口が合わさる瞬間にその事に気づいた隅坊は、目を見開き動けずにいた……。
…………。
…………。
…………。
…………。
それからしばらくの時が経った。
「さて、こっちは済んだっと……」
二人の行為を見届けた春先は、満足気な表情で練習部屋から出て行った。
そして外に止めてあったスポーツカーに乗ると、ある場所へと向かった。
とある郊外の住宅街にて。
春先はある家のインターホンを鳴らした。
「はーい」
「こんばんは。音楽プロデューサーの春先と申します。ちょっとお仕事の事でお話に来ました。旦那様はいらっしゃいますか?」
すると大した間を置かず、一人の女性の声が聞こえてきた。
春先が向かった場所。
それは隅坊の家だった。
「すみません、ただいま隅坊は外出しておりまして……」
「そうですか、大事な話なのでなるべく早めにかつ直接したかったのですが」
「それなら、中で待っていてください。今日は仕事ではないので、そこまで時間はかからず戻ってくるはずです」
本来なら過激なファンやいやがらせを警戒して、事前に連絡のあった人物や芸能事務所関係者以外は家の中へ通さないようにしていた。
だが春先が大物音楽プロデューサーである事を知っていた隅坊の嫁は、少し躊躇いつつも家の中へ通したのだ。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えてそうさせてもらいますよ」
家の扉の鍵が開く音がして、扉がゆっくりと開いていく。
それを見た春先は隅坊の家の中へと入っていった。
クリーム色の壁紙に、六十インチの壁掛けテレビと布地のソファー、そして木製のテーブルが置かれた部屋に通される。
本棚やふわふわのカーペットはゴミや塵が一つも落ちてない事から、日々の掃除がしっかりされているのが容易に想像出来る。
飾り気はないが全体的に綺麗で、日々真面目な手入れをしている事は誰の目から見ても容易に想像がつく部屋だ。
「隅坊さんの奥様ですね?」
「え? ええ、はい」
「綺麗な方だ。噂には聞いてましたが予想以上ですよ」
「はあ……、ありがとうございます」
部屋に通された春先はソファーに座らず、隅坊の嫁をまじまじと見ながらそう言った。
その言葉に対し隅坊の嫁は、作った笑顔を春先に見せた。
「ふーん、娘さんが居らっしゃるのですね。今どちらに?」
そんな時、春先は部屋の隅に片付けられていたままごとセットに視線を向ける。
「……娘は習い事で今家には居ません」
「そうですか、いやそれは残念だ。本当に残念」
実はこの時、娘のひがんは上の階で寝ていた。
だが春先の嫁はその事を隠したのだ。
「残念だ、ああ残念。あなたの娘ならさぞかし可愛いんでしょうにねえ」
春先はその事を聞くと大きくため息をついて首を何度か振り……。
「ひっ、な、なにをするんですか!」
隅坊の嫁の両肩を強く押して床に無理矢理伏せさせたのだ!
「本当、とても残念ですよ。娘さんも輝けるチャンスでしたのに」
春先は口角をあげながらそう告げた。
家の照明が逆光となり春先の顔に濃い陰影がついているせいか、隅坊の嫁に迫る春先の表情は一段と怪しさを増している。
「警察……呼びますよ」
「ええどうぞご自由に」
隅坊の嫁はポケットからすかさずスマートフォンを出して片手で操作する。
普段は表には一切出ないが、芸能人の嫁として有事の際には少ない操作で警察と連絡が取れるようにしていたのだ。
「な、なんで……! どうして反応しないの!」
隅坊の嫁の操作は決して間違っていなかった。
だがアプリ上の通報するアイコンを何度もタップしても、一向に反応を示さなかったのだ。
「ホーリネスになるには、パラライトを直接取り込むかホーリネスの体液を交わす事」
「ど、どういう意味……」
「知ったところでどうせ忘れるから言わない」
春先はそう告げると、肩を握る手の力を強めて隅坊の嫁へ顔をさらに近づけた。
「きゃあっ」
「いつもはさ、アイドルの子を食べてるんだ。でもたまには人妻も食べないとさ。偏りは良くないよね。バランスが大事」
「い、いやあ! あなた! たすけ――」
春先の嫁は涙目になりながらそう訴えた。
だが、その願いが叶う事は無かった……。




