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郊外の駅。
そのホームにて。
僕は真田誠二。
四十六歳、小さいが堅実な経営をするM商事で経理部門の部長をやっている。
年収は年齢相応、最終学歴は地方国立大卒。
特に目立った能力は無いが、勤続年数の長さと大きなミスが無い事を見込まれて今の役職にある。
家族は妻と娘の三人。
家はローンで購入した郊外の一戸建てがある。
自分で言うのもなんだが、かなり平凡な人生だと思っている。
それでも僕はとても満足だ。
そう思いつつ、僕は電車が来る待ち時間の間、スマホを取り出すとメッセンジャーアプリを起動する。
”今日はさゆりの誕生日だから早く帰って来る”
僕は慣れた手つきでアプリを操作し、入力した文章を送信する。
”分かったよ。気をつけて帰ってきてね”
すぐさま、妻から返事がきた。
僕はそんなささやかで温かい言葉を噛みしめ、スマホをポケットにしまうと、到着した電車に乗った。
電車内。
今日も電車は満員で、人と人が密着している。
僕はどうにか吊革につかまったが、片手はカバンを持っているし急停車したらよろけるくらい体勢も不安定だ。
「…………」
電車内は静かで、朝からワイワイする人は滅多と居ない。
他の乗車客は目を閉じて耐えているか、無理矢理スマホを見ているかの二択だ。
座っている人らは悠々としている、ちょっと羨ましい。
「…………」
ガタンガタン。
電車が線路の上を走る音だけが響く。
「…………」
ガタンガタン。
今日は早く仕事を終わらせて帰ろう。
娘の誕生日を一緒に祝いたい。
僕は娘の喜ぶ姿を想像すると、自然と口元が緩んだ気がした。
その時だった。
「次は~、〇〇~」
「きゃあ! やめてください!」
「おいお前、次の駅で降りろ」
僕が降りる駅の手前の駅への車内アナウンスが流れると隣に居た女子高生が悲鳴をあげ、タンクトップの男からそう声をかけられる。
「どういう事ですか? 僕は何も――」
「この人痴漢です!」
その言葉を聞いた瞬間、僕は全身が寒くなった。
僕は決して何もしていない。
そもそもする動機が無い。
大事な家族や今の幸福を守る為、間違っても法を犯すなんてありえない。
ならば答えはただ一つ。
これは冤罪だ。
だが冤罪と訴えたところで無駄だ。
潔白を証明するために警察と一緒についていったが、証明できず罪を着せられてしまった事例があるのも知っている。
そうなれば、やる事はもう……。
僕は電車の扉が開くと、人を押しのけて全力で走って逃げた。
「おい待て! 痴漢!」
違う僕は何もやってない。
だいたい、あいつはなんなのだ?
私服警官?
いや違う、もう一人スマホを持って撮影する人がついてきている。
恐らく最近動画で流行っている私人逮捕をしている男だろう。
だが今はどうでもいい。
ともかく逃げるんだ。
僕は走り続けた。
ネクタイは曲がるがもうそんなのは関係ない。
捕まれば全てが終わる。
頼む、どうかこのまま逃げ切れて……!
「ぎゃあっ!」
「逃げてんじゃねえぞコラァ!」
だがその願いも叶う事は無かった。
僕の視界が大きくよろめき暗くなると、次に気がついた瞬間地面が近かったからだ。
「おいおい! あれって私人逮捕系動画配信者のG2さんじゃないか!」
「まじかよすげえ!」
「オラァ! 大人しくしろや!」
「ぐううう……」
どうにか逃げようと試みるが、タンクトップ男が上手く腕と胴体を固めているせいで動くことが出来ない。
「やべー、動画撮影中とかラッキーじゃん」
「俺写真撮ろ、SNSに乗せたらバズるんじゃね?」
やめろ……、やめてくれ!
そんな事したら僕は……僕の幸せが壊れてしまう!
「た、助けてくれ……、俺は……無実だ……」
「違いますっ! この人が私に……股間をなすりつけて……」
「ご、誤解だ……、僕は何も……」
「なら何で逃げたァ? ナア!」
冤罪であったとしても、一度罪をなすり付けられたら終わりだ。
それを分かって逃げたのに……!
くそっ、外れない……、逃げられない……!
「警察です。痴漢を捕まえたと通報がありましたが?」
「お巡りさん! こいつです!」
「ち、違う……」
「はいはい。話は署で聞くからね。G2さんもいつもお疲れさん」
「うっす、後はよろしくっす」
僕の腕に手錠がかけられる。
この瞬間、僕は全てを失った事を確信した。
はは……、何もかもが終わった……。
何もやってないのに……、こんな……こんな事って!