Scene1
その日、春休みだった葵は、普段は中々通らない道の途中にある喫茶店まで足を延ばしていた。家からそこまで遠いわけではないが、いつも外から見ている住宅街に少し足を踏み入れただけでこんなにも景色が変わるのか、というようなところにその店はあった。
店の中で葵はなかなか落ち着くことができず、身体が強張ったまますっかり冷めてしまったコーヒーをすすっていた。たっぷり砂糖を入れたのに、甘さもほとんど感じない。身体が火照り、頬も紅潮していた。
葵がこんなにドキドキしているのは初めての店に入ったからではない。以前ここの店から、同じ学年の男子である相良恭一が出てきたのを見たのだ。一年生のときにクラスが一緒で、葵にとって気になる存在だった。
見た時に結構ラフな恰好をしていたのでこの近くに住んでいるのではないかと思い、何日かの逡巡の後、少し気合いを入れて服を選び、勇気を出してこの店に出向いてきたのだ。
何気なく選んだように見せかけて腰を下ろした窓際の席で、鮮やかなステンドグラスの隙間から外を覗く。
大丈夫、大丈夫。私がここにいるのは何も不自然なことではない。素敵な店を見つけたから、時間のある春休みにふらっと訪れただけ。その店があまりに素敵すぎて、長居してしまっているだけ。―葵はもう、五時間ほどその店に滞在していた。