六年前 葵 小学五年生になる直前
その日、葵は母親と一緒に学校に来ていた。新学期を前に、体操服や水着の一斉販売があったのだ。
一人で来るのも嫌な学校に、母親と来るのは憂鬱だった。誰も何も、余計なことを言わなければいいのだけど。
体育館に連なる廊下に二人で並んでいると、よりにもよって今一番会いたくないあいつがトボトボと前から一人で歩いてきた。
「あ、狼少女」
葵に気付いたあいつが立ち止まる。だが、隣に葵の母親がいることに気付いて気まずそうに目を伏せた。足早に立ち去ろうとする。
髪色は明るいがもじゃもじゃで、顔は悪くないが長い前髪のせいで目がほとんど隠れていて、何を考えているかよく分からないこの男のことが葵は苦手だった。
「お、狼少女じゃーん」
「あ、ホントだ。うぇーい」
あいつの後ろから、もっと馬鹿なクラスメイトたちが追い抜かしてくる。
その男子たちは口々に、母親には聞かれたくないことをどんどん吐き捨てていった。
「え、何、葵、あんたいじめられてるの?」
母親が慌てたように言う。
「そんなんじゃないって」
葵はうんざりした。まあ、でも仕方ない、悪いのは自分なのだ。あのとき、あんなことを言わなければ。
怪訝そうに葵を見つめる母の後ろの遠くの方に尻尾が何本もあるキツネのようなものが見えたが、葵は見なかったことにした。