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顔あわせ

 五月七日。


 わたしはひも理論の本を昨夜のうちに写本したので、図書室に返すべく散歩の延長で外宮に入った。ここは皇室の人たち、各大臣、要職に就く諸侯や官僚が仕事をする場所で、それ以外の人たちはさらに外にある行政府や立法府にいる。


 図書室の場所を見回りしていた兵士に尋ねると、親切に教えてくれたのでお礼にとチョコレートの包み菓子をあげた。そして通路を進み、階段を登ると到着した。


 外宮東棟二階の入り口から中へ入ると、真っ直ぐに通路が伸びて正面に受付がある。その奥には、入り口からでも本がたくさん並んでいる光景が見えて、胸が高鳴った。


 最高! 最高の環境!


 何を借りよう!? ……その前に、本を返さないと。


 ひも理論の本を、受付の女性に返す。


「あの、借りたい時はどうすればよろしいのですか?」


 わたしはもっと読みたい! 田舎で手に入らなかった本も、ここでなら読める! 最高! 都は最高よ!


「貸し出しは自由なので、棚から抜いて持って帰ってくださればかまいません」

「……返さない人がでませんか?」

「そのような常識がない者は、この図書室には入れませんから大丈夫です。ここは王宮の外宮ですので」


 なるほど。


 だけど、国家の政策などをいろいろと聞いているけど、常識ないやつはけっこう多いと思うけどなあ。


 ま、わたしには関係ないんだ。


 奥へと進むと、まさに絶景だった。


 見下ろし、見上げる。


 一階部分へと降りる螺旋階段は、上にもつながっている。わたしが今、立っているここは一階から五階あたりまで吹き抜けの空間の二階部分……図書室全体が巨大な円筒状の空間になっていて、中央部分は吹き抜けていて、その真ん中に螺旋階段がある。


 わたしは螺旋階段へと通じる橋を歩きながら、見渡す限りが本で埋め尽くされている空間にいることが嬉しくて胸に手をあてた。


 一階部分は茶屋があり、本を読みながら飲み物を楽しむことができるようだ。


 わたしは三階へとあがり、歴史の本が並ぶ棚を眺める。


 すごい。


 歴史の本がこんなに……ああ、竜王バルボーザの神話がある。これ、超貴重な本……借りる!

 あ、名将ザンニバルの本がある。これも借りよう。


「あ!」


 ザンニバルの本を抜き取ったわたしは、隣にニュッと現れた男性を見る。


 ひも理論の人だ。


「先日は本を貸してくださりありがとうございました」


 お礼を言うと、彼は笑っていた。


「いきなり帰っちゃうから……お、ザンニバルの本? 趣味いいね。物理のあとは歴史?」

「好きなんです。ただ、彼はマスドベークの戦いで、補給線を軽視する失敗をしてしまったのが残念ですね。名将も目の前の勝利に目がくらんで、その後のことを考える余裕がなくなったのでしょうね」

「なるほど。その一戦で勝利すれば、敵は降伏すると彼は思ったみたいだけど? だから決戦に共和国軍を吊り出そうとあえて隙を作った……決戦となれば勝つ自信があっただろうからね」

「彼のそれは希望的推測です。当時の資料によれば、ゴート共和国軍は連敗して後がないと見られていましたが、各地で逆転の攻勢をかけるべく兵と物資を集めていました。その軍勢集結の時間を稼ぐべく、わざとザンニバルの前に囮の軍勢を展開させ、戦う姿勢を見せながら距離感を保つことでザンニバルを騙したのだと考えています」

「それは偶然の産物じゃないかな? ゴート共和国はマスドベーグの戦いで敗れると、都ロマーナの人口一〇〇万人を潤す水源をザンニバルに奪われることになる。だからザンニバルも、この一戦に勝てば敵の戦意はしぼむだろうと思ったに違いないよ」

「いえ、それは当時のロマーナの都市構造を知らない意見でしょう? ロマーナはたしかに浄水をベルガ湖からひいていますが地下水をくみあげる風車がロマーナ近郊の農園には大量にあり、そこの水も飲料水として使っていた記録があります」

「君のその意見は乱暴だよ、それだと――」

「お静かに! 願えますか?」


 ひも理論の男性の言を遮ったのは、受付の女性だった。


 二階から、わたし達を見上げていた!


 わたしはここで、こんなところでほぼ初対面の男性とザンニバルの失敗に関して議論していたことに気付き、恥ずかしくて本を抱えてペコリとする。


「失礼いたしました。ごめんくださいませ」

「あ、ちょ――」


 わたしは、自邸へと急いで帰ったのだ。


 そして昼食の時間を迎え、鶏肉と根菜のリゾットを頂いた。デザートには甘くないチョコレートケーキを食べて、紅茶を飲む。それからイエッタとチェスをして、爺相手に将棋をさして、夕食の時間までは散歩だ。


 三伯爵家のご令嬢たちが、内宮の庭園にテーブルや椅子を運び出してお茶会をしていた。


 呼ばれていない。


 嫌われているようだ。


 せっせと歩くわたしを、彼女たちは優雅に笑う。


 ほほほほほ、と笑っているに違いない。


 体当たりくらわして細い腰を折ってやるぞ、という怒りを胸中にとどめ、歩きに歩いた。


 夕食は豚肉を中心に作られた料理だったけど、脂身を丁寧に取り除いて処理をしてくれたアーサーの腕は見事だと思う。


 砂糖を溶かした葡萄酒を飲めないのは残念だが、炭酸水で口の中がさっぱりすれば、次の料理もまた美味しいのだ。


 夕食後、湯浴みをイエッタにしてもらう。


「アメリア様、少しお痩せになられてますよ。お腹のたるみがほら」

「本当! でもまだまだよ。せめて、内宮内を歩くくらいで息切れしないくらいにはなりたいもの」

「頑張りましょう」


 目標は、十キロ減! 




 -アメリア-




 五月一〇日。


 この日、内宮の皇帝家族が暮らす本邸へと呼ばれたので、自分ではとても無理な特殊メイクじみた化粧をイエッタにしてもらう。


 彼女はすごい。


 わたしだったら半日はかかるのではないかと思われるメイクを、一時間ちょっとでしてくれた。


 睫、空まで届け! みたいなの、逆に重い……。


 女性としての期待というより、各国の知識人をお招きする際のお相手用として妻になるわたしは、三番目、四番目、五番目の次、最下位の六番目になるだろうとわかっているけど、公式な食事会や人前に出る時は身支度をちゃんと整えていることが大事なのだ。


 これはいずれ、殿下の妻になった際の接待役を務める時も同じである。


 各国の要人の前に出て、知的な会話をすることも大事だけど、そういう人たちと会うために衣装を選び、小物をそろえて、化粧もしてきましたとみせることが礼儀になる。


 本邸に到着……巨大すぎて正面に立っても建物全体がどれほどの規模なのかわからない……。


 玄関口というには大きな扉は開け放たれていて、まっすぐに伸びる廊下の左右には有名な画家たちの絵画が飾ってある。


 本物を堂々と飾ってある!


 ああ……宗教画家の祖とも言われるティマプレの主神(アロセル)の誕生……。


 ああ、これはバスティアの歩く男……。


 わたしは芸術家ではないけど、知識はある。例えば芸術はフランソーヌ派が流行っていたが、最近は市中の壁にゲリラ的に絵画を描いて消えるジャネクシーという画家が人気なので、彼のようなメッセージ性のある絵が好まれはじめて宗教系は下火だ……などと話ができるのは、亡き母上のおかげ。


 絵、詩、歌、楽器、外国語、数学、歴史、宗教、哲学……好きなものを好きなだけ学ばせてくれた母上と、それを仕方なくにしても許可をしてくれた父上に感謝だ。


 廊下で絵画を観賞していると、背後から声をかけられた。


「大きな身体で邪魔ですわよ」


 振り向くとヴェルズ伯家のアニータ……その後ろに二人もいて、三人はわたしを馬鹿にした笑みを浮かべていた。


 よーし、体当たりで倒そう! というわけにもいかないので、「あら、ごめんなさい」と謝り、彼女らの後ろに続いて歩いた。


 すると、廊下の真ん中でわたしたちを待つ初老の男性がいて、彼は一礼でわたしたちを迎えると、食事会の室まで先導してくれる。


 通された室は広く、中央には長方形の卓がどーんとある。蝋台には新品の蝋燭がずらりとたてられて、火が点されていた。昼間なのにもったいないという感覚はないようだ。


 ついに、目通りである。


 上座には皇帝陛下がお掛けになるであろう椅子と、その左脇には王妃陛下、右には皇太子殿下の椅子だろう。そして、その皇太子殿下の席からみて左隣にはすでに美女が二人、並んで腰かけているので、殿下の席に近い方が正妻のクローネ様で、その左隣が第二夫人のシンクレア様だとわかった。


 正妻のクローネ様は、疲れたご様子だ。政略の為にこの国に来て、身体が弱いから多くの時間を内宮本館でお過ごしになられる。籠の鳥のように思えて、気の毒に感じた。


 第二夫人のシンクレア様は……はっきり言って超生意気そう、というか性格が絶対に悪いという顔だ……美人だけど、仲良くなりたくないタイプだ。室に入ったわたしたちを睨んでいる……わたしを見た彼女は、馬鹿にしたように笑った……。


 皇妃陛下の席からみて右隣はわざと席を空けて着席を……おっと、注意しよう。


「ローズマリー様」

「はい?」

「皇妃陛下のお隣はお空けください」

「あ……」


 彼女は知らなかったようだ。


 ひとつ席を空けて、ヴェルズ伯家アニータ様が当然のように腰掛け、その右隣にワーデン伯家パメラ様がお着きになった。その隣をリーダー伯家ローズマリー様に譲り、わたしは皇帝陛下から最も離れた下座に腰掛ける。


 少し待つと、その声が聞こえた。


「待たせた」


 皇帝陛下が入られる。


 ベルフダーグ皇帝陛下と、お妃様のエリザベス様、そしてその後ろが皇太子のキングスレイ……キングスレイ? あれがキングスレイ? 犬を飼っていて本を貸してくれた、あの男の人が、イケメンで剣豪の恐い皇太子キングスレイ?


 ……。


 やばい……やらかしているぅ!


 顔を伏せる。


 わたしたちは一度、席を立って一礼し、順番に名乗った。


 それから食事会が始まり、カロリー高めな料理が次々と運ばれてきてわたしを誘惑するも、ベルギモ先生に教わったように、野菜を中心に食べて肉類は脂身を徹底して取り除いてからチマチマと口に運んだ。


 皆様は、楽しそうな会話をされている。


 いろいろと、舞踏会やらお茶会の話題で皆様が盛り上がっているが、わたしは目の前に運ばれてきた料理のカロリーを瞬時に計算し、許容範囲内で収まるように口をつけ、あとは残し、次の料理に挑むという作業を繰り返す。


 忙しい。


 日ごろの努力が一度の食事会で台無しになるくらいの高カロリーじゃない!? クローネ様をちらりと見ると、食べるのが大変そうだ。ご病気なのにこの食事はご負担だろう……。


「アメリア」


 えっと、これは鶏肉のむね肉のところだから……。


「アメリア、ザンニバルの本は読んだ?」

「はい、昨夜読みましたが……」


 思わず答えたところで顔をあげると、皇太子殿下の笑みが向けられている。そして、意外そうな表情の皇帝陛下ご夫妻の視線と、なんでお前がという顔の第二夫人と三人娘……正妻のクローネ様は殿下を見つめておられた。


「どうした? 読んだけど? 何があった?」


 固まっていたわたしは、殿下に促されて口を開く。


「いえ、失礼しました。あの……写本をしておりませんで、今夜中に済ませようと思います」


 右隣のローズマリーが、わたしを睨む。


「なんで殿下が貴女に笑顔なの?」


 彼女の囁きが聞こえてきた……。


 なんと言えばいいのか……犬と本のせい。


 キングスレイ様だけが、楽しそうだ。


「アメリア、君、アメリアっていう名前なんだな? いつも名乗り合う前にいなくなるからさ。今日、君がここにいることに驚いたよ」


 デブだから驚いたわけではないことを祈ります……。


 途中の人たちをかっとばして上位の席と、最下位の席で会話をする。


「ところで、写本をするって君がしているの?」

「はい、わたしがしています」

「他にもたくさん、写本をしているのかい?」

「実家からまだ届いていませんが、購入した本は必ず写本し、そちらを読みます。原本は保管庫に」

「すごい! 珍しい本はあるかい?」

「手に入りにくいものでいうと、大魔導士アルギウスの魔法物理学の本でしょうか。写本しています」

「古代ラーグ時代の解明にも使える本だね? 実家から届いたら教えてくれ。城の図書室にもない本だと思うから、写本させてほしい」

「承知しました。十五日には届くものと聞いていますので、改めてご報告いたします」

「ところで、君は歴史も――」


 こうして、食事会でキングスレイ様は途中を全て飛ばしてわたしに話しかけるので、わたしは料理を食べなくてすんだ。


 身体のためにはいいことだが、立場的には最悪だったのである……。

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[気になる点] 人口一〇〇万人は「人口百万人」の方が読みやすいです。
[良い点] さっそく伏線の回収で良いテンポです。 解りやすい伏線はとっとと回収するに限りますね。 小気味良く感じます。 [気になる点] 《上座には皇帝陛下がお掛けになるであろう椅子と、その左脇には…
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