人がよすぎる?
十二月一日。
キングスレイ様が年明けには帰って来られると聞いた。
クローネ様のご懐妊はもうすでに知っておられて、戦地であっても大喜びしていたと噂が届いている。
いや、この皇太子妃懐妊という報は、戦地の騎士、兵士たちの戦意をすさまじく高める結果となり、ゴート共和国の大軍を彼の国との国境線の向こうへと大きく押し返したそうだ。
そしてわたしは今日も朝の運動をおこなってから、朝食を食べた。そしてここからはいつもと違い、衣装選び、メイクの時間となる。
諸侯を招いての夕食会に参加するのだ。
エリザベス様がわざわざ招待状を手渡してくれた。
「あなたはクローネの隣の席よ」
嬉しくて言葉にならないまま、なんてお礼をと困っていると、エリザベス様に抱きしめられた。
「クローネを支えてくれてありがとう」
もったいないお言葉です、陛下。
わたしこそ、こんな身に余るような立場にいられて嬉しいのです。
頻繁に訪れる各国の使者の相手は、知的好奇心を満たしてくれる。そして本を交換したり、楽器をプレゼントしあったり、仲良くなった方々と手紙のやりとりはずっと続いている。
楽しいんです。
軍艦、と影口をたたかれ、デブでブスだと馬鹿にされていたわたしが、こんな楽しい毎日を送れるのは、わたしを皇太子殿下の妻に選んでくれたからです。
女性として期待されていなかったとしても! そうだとしても!
イエッタの特殊メイクのおかげで、鏡に映った自分はなかなかの美人だなと思えた。
「イエッタ、あいかわらずメイク、すごいわね」
「ありがとうございます……いえ、アメリア様、じつは以前に比べてメイクは薄いです」
「え? でもすごくない? 一重も逆になんかこう艶っぽく仕上げてくれて!」
「いえ、お痩せになられて……お身体だけでなくお顔もすっきりされたことで……アメリア様! 自信をもって! アメリア様はお綺麗なんですよ!」
「あはははは! お世辞の腕も落ちてないわ。爺! 行くわよぉ」
「かしこまりました!」
こうして夕食会の大広間へと向かう。
クローネ様は皇帝陛下と皇妃陛下に続いてご入室なさるから、わたしはそれまで席にはつかず、はしっこにいましょ。
クローネ様の隣だから、目立つのよ。一人でポツンといると……。
でかいから……。
「アメリア様、お綺麗です」
「ニールセン殿、ありがとう。お世辞のお礼に、またお菓子を連隊詰所に差し入れしますね」
「お菓子よりも、アメリア様が来てくれることを皆が喜びます」
「わたしのまわりは皆、お世辞がうまくて勘違いしないようにするのが大変です」
騎士殿と笑い合っていると、アニータがずいっとわたしの前に立つ。
……なにか?
「皇太子殿下の妻になろうというわたくしたちが、下々と軽々しく会話など! 恥を知りなさい!」
性格悪いなぁ、この特権階級自意識過剰お化けが! とは言わない。
「あら、失礼しました。ニールセン殿、お許しください。彼女はまだ若いので皇室のありように熱心なのかもしれません」
「いえ、アメリア様、私こそ失礼しました。皇太子殿下の奥方になられる方にお声をかけるなど、アニータ様の仰る通り、身の程をわきまえておりませんでした。お許しください」
ニールセン殿が、大人の対応で離れていく。
「アメリア様、ところで……」
アニータがからんでくる。いや、そこにパメラも加わった。
「何でしょう?」
「お痩せになられましたね?」
アニータの問いに、わたしは頷く。
「ええ、周囲の助けがありました。これで広い王宮の移動にも、息があがらなくてよくなりました」
本当にそう! 呼吸困難にならなくなったんだわ!
どれだけ重かったんだ? わたしは……。
ただ、痩せたといっても他の女性陣に比べたら……というかね! お前ら細すぎなんだよ! どれだけ努力してもそこまではできん! 骨格が違うのかなぁ……わたしは縦にもデカいから……。
「魔族と契約でもなさったのですか?」
パメラの質問……。
おめぇ、魔族と取引して体重を落としてもらったんだろと言いたいのか? そんな簡単な方法があったらとっくの昔にやってたわ、アホ! まだまだ贅肉は残ってるんだよ! とは言わない。
「まさか……そんな怖ろしいことを思いつきもしませんでしたわ」
「それならば、どうやってお痩せになられたのか、説明を果たさねばなりませんわね? 皇太子殿下が帰られたら、疑惑の追求をされるものと、覚悟なさっていたほうがよろしいですわよ」
アニータちゃん、殴るよ?
「そう。すでに皇太子殿下には告発をいたしましたので、その日までせいぜい、ご自分のしてきたことを反省なさいな」
パメラぁ……本のことも忘れてねぇぞ。
さすがにカチンときて、言い返してやろうかと思った時だった。
「やあ、アメリア」
声をかけられて振り向くと、オーリエ侯ヴィルヘルムが、恋人のカテリーヌを連れてわたしへと歩み寄ってくる。
こいつに想いを寄せていた少女時代は黒歴史だと思う……。
「ひさしぶりだね! 彼女はカテリーヌ! 恋人だよ。妻が怒るから側室にも迎えられないけど、妻と離婚が成立するまでの我慢さ」
「カテリーヌと申します……元婚約者様? でいらっしゃいますわよね?」
「え? ええ……」
「お情けで殿下に拾って頂いてよかったですわね? 頭の中だけを是非、皇国のために働かせてくださいませね? ぽっちゃり姫……ふふ」
……ワンパンくらわしたい。
このカテリーヌって娘……クソ野郎にお似合いだわ……。
会釈を返すと、生意気な女はわたしを嘲るような笑みを浮かべた。
ヴィルヘルムが笑みを浮かべて言う。
「それにしても驚いたよ。皇太子の妻になるなんてね……彼も変わってるね? 君みたいに縦にも横にも大きな女性を迎えるなんてね。ベッドが壊れるんじゃないか?」
「いえ、わたしは各国の方々をお迎えするために、肩書を頂くだけでございますので」
「ああ、昔から難しいことには詳しかったよね。女は顔と身体が美しければいいんだよ。中身のことなんて、誰も気にしないというのに」
「さようですか……」
「そうだよ。見てごらん?」
彼が誘うように周囲を窺い、わたしもぐるりと会場を眺める。
「みんな、着飾って……結局、女は見た目なのさ……男が権力と金で評価されるようにね。その点、俺は全てをもっているから、カテリーヌのように美しい女性を恋人にできるし、君をお断りすることもできたわけだ」
「はぁ……」
過去の人なんだからさっさと離れて行ってほしんす……それにしても、ヴィルヘルムの隣で美しさを誇るようにポーズとっているカテリーヌは本当に残念な子だ……可哀想になってきた。
ここでヴィルヘルムが、アニータとパメラを見て口を開く。
「で、君たちはアメリアが痩せたと言いたいのかい?」
二人は、選帝侯に声をかけられて緊張していた。
「え? は……はい」
「そうです」
「あはははははは! これが痩せた? これで? あははははは!」
「おほほほほほほほほほ」
ヴィルヘルムとカテリーヌが大笑いする。
あ……アニータとパメラが、微笑みながら離れていった。
おまえら……わたしには高圧的なのに、偉い人が来たらこれか? 最低だな!
でも、あいつらのほうが面倒くささでいえばマシだったかもしれない。
「皇太子に言われたの? デブは嫌いだって」
「いえ、そのようなことは……」
「努力がまだまだたりないよ」
「ええ……わたしもそう思います」
これは事実、そう思う。
「ま、君の場合は痩せても駄目だよ。背が高いからねぇ……皇太子のために、膝から下は切っておいたほうがいいよ。はははははは」
笑い声を残して、嫌な男と女が去る。
ああいう奴が選帝侯? オーリエ選帝侯を継いでいるだと?
いくら皇室が口を出せないとはいえ、さすがに他に候補はいなかったのか? と疑ってしまう。
皇帝を選ぶ六人の選帝侯は、皇国でも皇室に継ぐ血筋で、権力もある。彼のように、皇太子はまだ皇帝ではないから、自分よりも下だとみる選帝侯も過去にいたし、現在もそうだ。
それなのに……いや、そうだからこそ、あのようなクズみたいな男になるのか。
ふと、端っこでローズマリーがポツンと立っていた。
三人が、二と一に割れた?
執事の人、言ってたな……。
周囲を窺い、あの嫌な二人がこちらを見ていないと確認してから、ローズマリーに近づく。
「どうなさったの? 二人と一緒ではないのですか?」
「あ……いえ、ちょっと今は……気まずいというか」
「……そうですか。でも、仲良くしたほうがいいですよ。わたしみたいに、嫌われるといいことはありません」
彼女は俯き、小さな声で言う。
「嫌われまいとすると……疲れてしまいました。だから今は、なるべく一人でいたいんです」
「そう……わかりました。もし、一人がつらかったら仰ってください。クローネ様の読書のお相手、多いほうが楽しいから」
言い終えて、会釈をして離れる。
ここで、楽団の演奏が始まった。
豪華な音曲は、皇帝陛下とお妃様のご登場を知らせるものだ。
そして、クローネ様も。
会場に、拍手がわいた。
それはとても大きなもので、少なくともこの会場ではクローネ様の懐妊を祝おうという優しさが満ちている。
わたしも手が痛くなるくらい両手を叩いた。
夕食会が始まる。
「アメリア、どうしてそこにいるの? こちらへ」
エリザベス様に呼ばれた。
……失敗した。
ご入場にあわせて素早く移動し席につこうと思っていたけど、拍手してたから……。
わたしは、クローネ様の隣に座る。
「アメリア、すごく綺麗。素敵」
クローネ様、ありがとう。本当にお世辞のうまい人ばっかで困りますねぇ。
わたしは夕食会のメニューを前に、カロリー計算を素早くする。
うーむ……フォアグラはやめておこう。
-アメリア-
十二月に入ってから、一気に気温が下がってきたように感じる。
わたしを取り巻く環境も、それくらいの変化を見せてきたように思えた。
というのも、クローネ様と仲良くしているせいで、アニータ、パメラ、ローズマリーからの嫌がらせがなくなったのである!
いや、シンクレア様が宮から追い出されたことが大きいだろう。
一説によると、彼女はわたしへした嫌がらせ……誰が皇妃陛下の耳に届けたのかは不明だけど、チーズタルトを投げつけてきたことなどが、エリザベス様の知るところとなり、クローネ様ご懐妊の件もあって、「おどれ、ええ加減にせえよ。もう用はないし、出ていってもらおか」という判断に繋がったと、宮中でコソコソと言われているのだ。
ともかく、わたしは彼女たちのターゲットから脱出できたわけです。
ただ……朝の散歩をしていて気付いたのは、ローズマリーが仲間はずれにされているという図だ。
アニータとパメラは、二人で仲良くお茶を飲んでいる。少し前はあそこにローズマリーがいたけど、今はいない。
執事の方はわたしにあんなことを言っていたけど、こちらが気をつかうことでもないと思った。それに、彼女は最初の頃、わたしを二人と同じ目で見ていたわけで、したほうは忘れているかもしれないが、されたほうが忘れられないのだ……。
とはいえ、わたしはのけ者、嫌われ者になっていたのでよくわかる。
どうして自分が? と意味不明なままそうされてしまったローズマリーは精神的に参ってしまっていないだろうか?
人がいいと、イエッタに笑われるかもしれないけど、散歩の帰りにローズマリーを訪ねてみた。
執事――リーダー伯爵家のジェロム殿が玄関を開けてくれて、わたしの訪問に安堵の表情を見せる。
「無礼なお願いをした私めを叱るでもなく、訪ねてくださり感謝いたします」
「いえ、ちょっと気になっただけで、散歩の帰りだから汗もかいているのでここで……彼女の様子は如何です? 二人と疎遠になって、時間をもてあましているのではありません?」
「はぁ……呼び出されるのも困る……呼び出されないのも寂しい……複雑なご様子で」
「……午後、クローネ様と朗読をするのですが、ご一緒にとお伝えくださいますか?」
ジェロム殿が驚いた顔となる。
「よ……よろしいのですか?」
「クローネ様はきっとお迎えくださいますよ。だから、必ず……迎えに参りますので、支度を終えておいてください」
わたしは時間を告げて、自分の屋敷へと帰る。
おせっかいかもしれない。
だけど、こんなところに来て、競うようなことをさせられて……皇太子のことを好きかどうかなんてわからないまま妻になる……わたしはいいんだ。
他に結婚する相手がいないから!
未来においても現れないだろうから!
こんなことがないと結婚なんてできそうにないから!
だけど、彼女……例の二人もそうだけど、ある意味、皇室の事情に振り回されているように感じた。
同情……とは少し違う。
なんだろう?
こんなことを、着替えを手伝ってくれているイエッタに話すと、彼女は笑って言った。
「姫様は人がよすぎるんです。そういうことです」
そういうことなのかなぁ?
実際、よくわからない。だけど、他人のことはよく見えるのに、自分のこととなると見えていないことは多くあるから、あまり考えても仕方ないことだ。自己分析なんて、意識高い系の人たちに任せて、わたしは意識低い系で生きていきたい!
自分にも、他人にも優しい人でいたいのだ!
……ダイエット、まだ続けないと駄目か?
「イエッタ、もう贅肉もずいぶんと減ってきたし、もうダイエットはいいと思うのよ。ベルギモ先生とは、次の面談で最後に――」
「なりません! せっかくここまできたのに、姫様はすぐに甘いものやバナナを房ごと食べてしまって元通りに、あ!」
あ!?
彼女はためにためた……。
「――っと! いう間に戻ります! 先生にはこれまで通り通って頂きます」
「……」
反論できない。
しばらく、砂糖を使ったチョコレートにも再会できないのね……。
しょんぼりとして、ローズマリーの屋敷へ行ったせいで、彼女に心配された。
「アメリア様、今宵はありが……どうなさったのです?」
「あ……ごめんなさい。チョコレートとの再会が遠ざかったのです」
わたしは、侍女とのやり取りを教えてあげながら本邸へと彼女を誘う。
ローズマリーが、目を丸くしていた。
「侍女など、わたくしたちに仕えている身ではありませんか? そのような物言いを許してよろしいのですか?」
「イエッタは、本当によくしてくれるのです。それに、わたしたちは世話をしてくれる人たちのおかげで、暮らすことができています。そこに感謝をしないといつかご自分に返ってきます……執事の方に今度、ありがとう、と言ってみてください」
「ジェロムに?」
「ええ、彼はとっても素敵な方だと思います。ローズマリー様に彼をつけて送り出してくださったご両親も、きっと素敵な方々なのでしょうね」
彼女はよくわからないという表情ながら、「機会があれば言ってみます」と言う。
それから二人でクローネ様を訪ねた。
笑顔で迎えてくれたクローネ様は、ローズマリーがヴァスラ語を苦手だと知ると練習相手になると言ってくれた。
「ローズマリー、ヴァスラ語はギュレンシュタインのラーグ語と並ぶ公用語です。これから貴女が殿下を支えるにあたり、ヴァスラ語をラーグ語と同じように扱えることは必須となりますよ? わたしが相手になるので、勉強しましょう」
「よ……よろしいでのすか?」
「ええ、アメリア?」
「はい」
「貴女は何カ国語を話せる?」
「ラーグ語のほかには、ヴァスラ語、リーフ語、エルフたちが使う古代語、隣国の大和言葉は問題なく」
クローネ様は頷き、驚いた顔のローズマリーを見つめて口を開く。
「通訳を介して、各国の方々と話すことは可能でしょう……ですが、それはただ会話をするだけのものだと思います。また、大きな舞踏会などで他国の方のお相手をする際、困ることになるでしょう……ラーグ語とヴァスラ語は必須です。ラーグ語は公用語だから、ギュレンシュタインではあまり他国の言葉を習おうという人は少ないと聞きますが、貴女はそれではいけません」
「はい……クローネ様、わたし、頑張りたいです」
ローズマリーは、決意したような表情で頷く。
「よかったら、この後、夕食を一緒にどう? さっそく始めましょう?」
クローネ様のお誘いに、彼女は感激したように目を輝かせた。
わたしはここで辞す。
「クローネ様、わたしは失礼します。いつもメニューを考えてくれる料理人がいますので……」
「ええ、アーサーによろしく。貴女の差し入れ、いつも美味しいの彼のおかげでしょう?」
「はい。また次も楽しみにしていてくださいね」
クローネ様の意図を汲んで、わたしは席を外したのだ。それを言わず、わたしの事情で去ったのはローズマリーにそうだと気付かれないようにである。
クローネ様はきっと、皇太子の妻となることはどういうことか、これからしっかり、丁寧に、語学の練習を理由にしてローズマリーに教えるのだろう。
というのも、ローズマリーはあまりにも……こう言ってはなんだけど未熟な部分が多い。
皇宮にあがってからの顔合わせの際に、皇妃陛下の隣に座ろうとしたり、いろいろと作法も欠けている。それをわたしがあれこれと教えると、わたしと彼女の関係がおかしくなると思ったクローネ様は、その役をかってくださったのだ。
帰宅して、イエッタに化粧を落としてもらいながらこれを話すと、笑われた。
「競争相手を助けるなんて、本当にお人よしですねぇ……困った姫様です」
彼女はでも、嬉しそうなので尋ねる。
「そう言うのに、イエッタは嬉しそうじゃない?」
「嬉しいですよ。さすがわたしの姫様だなって思います」
鏡に映る二人の顔が、同時に笑顔となった。