婚約者〜Sideシェイド〜
「シェイド様。まさかとは思いますが……ルナ・ハリスを好いておられることを、自覚していないのですか……?」
ルナのことが好きなのだと自覚したのは、ルイスのこの発言がきっかけだった。
俺にとって、ルナ・ハリスという存在はとにかく異質だった。
異質だったからこそ、いつも他人を判断する時に使う好きだとか嫌いだとか、そんなふうに判断したことがなかった。ルイスがそう言うまで、ルナのことをどう思っているかなど、考えたことがなかった。
ルナとの本当の出会いは、小屋ではなく、女神のしらべを聞いた時だと知ったのは、ルナと生活し始めて少し経ってからだった。
誰にも知られずひっそりと消えたくてやってきた処刑のための森で、聞いたことがないような歌が聞こえてきた。それは、この世のものとは思えないほど美しく、まるで女神のしらべのようだった。
ルナに助けられてから、それを歌っていたのがルナだったのだと知った。ルナは歌うことが好きなようで、小屋でもよく歌っていた。その歌は、聞いたことがないような旋律に、聞いたことがない言語だった。そして、なにより歌っている姿は、とても美しく、心に響くものだった。
歌っている時は目が離せないような美しさを放っているルナだが、日常生活では全く美しくない。
粗末な食事のせいで痩せ細った体と、なんの手入れもされていないボサボサな髪と服。マナーもなっていないし、言っていることもよく分からない。俺が貴族の身分だと気付いていながら敬う様子もない。虫が出れば騒ぐし、泣くし怒るし、すぐ転ぶ。
そして、ルナには常識や固定概念というものがなかった。言っていることが分からない時があることや、身分というものにこだわらない理由もそれだろう。
初めて平民と対面した俺は、これが平民というものか……と納得していたが、そうではなかった。平民は皆、貴族に平伏し、許しを得なければ口を開くことも顔を上げることもない。自分が下であることが当たり前だと思っている。身分の差というのはこの国において絶対的なものだ。
しかしルナは、身分の差を絶対的なものだと思っていない。初めはただの無知かと思っていたが、人前ではそれなりの振る舞いをするし、王太子殿下、ルイス様、と呼ぶ。ルナは身分を理解した上で、絶対的なものではないと思っているのだと知った時……その異常性に鳥肌がたった。
一体どんな人生を送ればそうなるのか、と疑問に思ったが、ルナが育ったガラク村は、ただの貧困村だった。両親も普通の人間だ。ルナだけが異質だった。
そして何より……ルナは時々、背筋がゾクゾクするような威圧感を放つことがある。言いようのない感覚が全身を駆け巡って、目が離せなくなる。時に慈悲深く、時に哀愁を纏って、時に怒りを纏って放たれるその威圧感だが、本人は自覚していなかった。自覚のないまま、何事もなかったかのように元の貧相なルナに戻る。
貧相な平民の少女が時折見せる、女神のような美しさと威圧感。その得体の知れない落差を目の当たりにするたびに、言いようのない感覚が全身を駆け巡るのを感じた。
その感覚は、麻薬のようにとてつもない依存性をもっていて、俺はルナから離れることが出来なくなっていた。
ずっと見ていたい、話していたい、泣かせたい、笑わせたい、その威圧的な目で見られたい、屈服させたい、自分のものにしたい、ルナのものにしてほしい。
相反するその感情は、魔法のように制御し、理解できるものではなかった。とにかくルナがいなければ、ルナを側に置かなければと、それが許されるような地位を築いてきた。国にとって有益な婚約者を迎えることも、王太子として必要なことだった。しかし……
「婚約者になりましたら、殿下の全てに従います。」
「……ならば、私が死ねといえば死ぬのですか?」
「はい。もちろんでございます、殿下。」
……違う。ルナはそんなことは言わない。
(「は?絶対嫌に決まってるでしょ!なんでそんなこと言われなきゃいけないの!?っていうか、簡単に死ねとか言っちゃいけません!……シーくんってば、時々物騒なんだよなぁ。なんなの?なんか私に不満があるの?ストレス溜まってるなら、アイドルのライブ映像でも見る?」)
「あなたのことを、教えてくれますか?」
「はい。恐れながら、お話させていただきます。我がレギュモンド侯爵家は、強大な魔法石の鉱山をもっており……」
……違う。それは家の自慢話であって、自分のことではない。
(「シーくんが、何か偉い貴族の家の子なのは何となく分かってたけどさ……シーくんは知られたくなかったみたいだし、そもそもどうでも良かったし。……ん?だってさ、家がすごくたって、そこの家の人もすごいとは限らないじゃない。……あ、まって、そうじゃないよ!シーくんはとてもいい子だよ!自信持って!……とまぁこんな感じだからさ、シーくんがどこの家の人だろうと関係ないよ。私にとって、目の前のあなたが全てだから。」)
「ああ、いたの。そんなところにいたから踏んでしまったじゃない。靴が汚れたわ。」
……違う。そもそも、このメイドはこの令嬢が落としたカップを片付けていたのだ。それなのに、その言い方はなんだ。
(「もう!何度言ったら分かるの!悪いことをしたらごめんなさいっていうのよ!……え?そんなの関係ないよ。悪いことをしたらどんな立場の人間だって謝るの。赤ちゃんでもできるのに、シーくんはできないの?……え、だって私が知ってる子は、話せなくってもちゃんとごめんなさいポーズしてたよ。」)
「あなたの宝物を、ひとついただけますか?たとえば……そのブローチとか、」
「は……はい。」
……違う。なぜ嫌だと言わない。それは亡き父親からの、唯一の贈り物なのだろう。
(「え、この石欲しいの?なんで?……嫌だ、あげない!……なんでそこまでするの!?そんな宝石見せられたってあげない!……これはね、唯一お母さんと一緒に家の外に出た時に、ふたりで拾った思い出の石なの。ただの石だけど、大事な思い出だから……っていうか、なんでそんなただの石欲しがってるの?もしかしてこれ、実は貴重な石だったり……ちがうのかよ!じゃあなんでそんな欲しがってんの?!……嫌って言われてムキになった?はぁ、やっぱりまだまだこどもだねぇ。」)
「顔を上げてください。どうぞ、こちらを見てお話をしましょう。」
「は、はい……」
……違う。なぜ下を見る、なぜこちらを見ない。
(「人の話を聞くときは、ちゃんと相手の目を見て聞いて……あ、まって、ずっと見られるとお互い気まずいから眉間のあたりがいい。」)
「殿下は、第二子ながらも王太子となられたのですよね?葛藤はありましたか?周りの目も厳しかったでしょう、お察しします……。どんなお辛いことでもお聞きします。私に教えてくださいませ。」
……違う。ルナはこんなふうに人の心に土足で踏み込んでこなかった。
(「え、本当の名前?教えてくれるなら聞きたいけど……あ、そうだよね。なら聞かない。……え?そりゃあ、一緒に住んでるんだし、知りたくないと言ったら嘘になるけど、言いたくないことは言わなくていいよ。私の目の前にいるのは、シーくん!それだけ分かれば十分だよ。気にしてくれてありがとう。」)
誰と会っても、ルナのことを思い出してしまい、なかなか婚約者が決まらない。父はついに貴族の第一子だけでなく、第二子までもを婚約者候補として連れてきたが、誰が来ても一緒だった。ルナの方が……そんなことばかり考えてしまって、全く決まらない。有益な相手ならば誰でもよかったはずなのに、なぜかいいと言えない。
「シェイド様。まさかとは思いますが……ルナ・ハリスを好いておられることを、自覚していないのですか……?」
そんな時、ルイスに言われた言葉は一瞬理解できなかったが、理解した途端……あぁ、そうだったのか、とあっさり納得できた。
ならば、今まで以上に完璧な王太子にならなければ。たとえ平民しか娶らない、と言っていたとしてもこの人しかいない、と思われるような王太子にならなければ。
あとは……どうやってルナに婚約者となることに対してうんと言わせるかだ。普通ならば、王太子が平民に対して求婚すれば、それを断ることなどできないだろう。でも、ルナにはそんなこと関係ない。嫌ならはっきり断られる。
どう攻略しようかと、さまざまな策略を考える。悔しそうに頷くルナの姿を想像して……思わず笑みが溢れた。
……平民の結婚適齢期が貴族と比べてずっと早いだなんて知らなかった俺だったが、ルナの嫌といえるその姿勢のおかげで、無事ルナを婚約者として迎えることができた。
「……やっと手に入れた、俺の婚約者だ。」
そう。唯一無二の、異質な少女。絶対に離さない。俺のものだ。俺以外の人間が傷つけるなんて……絶対に許さない。
自分でも純粋な愛でないことは分かっているが、分かっていながら愛が重い、のひとことで済ませるルナは、やはりおかしい、と俺はひとり笑った。
明日起こるであろうことを、想像しながら。




