10 施設で 1
「ここで待っていてください。ここはどこなのか、私は誰なのか、ここはどんな施設なのかと言ったことについては、後で詳しく説明しますので」
そういうと彼女は奥の方に行き、自分のデスクと思われる場所に座った。そこにおいてある電話(ボタンを押すタイプの、今の日本でも見られるような固定電話)を取り、何かを会話し始めた。
彼女は僕たちと話すときは日本語だが、その時以外は城平語(勝手に命名)で話す。何を言っているかは聞き取れなかった。
「お待たせしました、こちらについてきてください」
彼女は僕たちを、面談室のような場所に連れて行った。彼女は僕たちに自然な日本語で、状況を説明してくれた。
「今から状況を話します。私がしゃべっているときでも、何か気になることがあればなんでも答えるので気軽に質問してもらって構いません」
僕は、わかりました、と相槌を打つ。相川も、了解しました、と答えた。僕たちの様子を見て彼女は話をつづける。
「まず、私の名前はチャン・ジェン・リンといいます。あなた方の言語でいうならば、張川凜といった名前になるでしょうね。その名前で呼んでもらって大丈夫です」
そういいながら、彼女は彼女の鉛筆で紙に文字を書いた。スペルはChaang Zjen Lin。見た感じ中国人の名前っぽい印象を受けた。
「もう聞いている・気づかれているかわかりませんが、ここはあなた方が『異世界』と呼ぶ場所です。足を滑らせて頭を打ってしまう・不意に溺死する・最近だとトラックに轢かれてしまうといった、予期せぬ”事故”の結果ここに来る人は、あの城壁が築かれる前からいた、とされています」
僕は、いつからあの城壁はあるのですか、と聞く。彼女はそれに対して、僕たちがさらに聞きたくなるであろうことも考慮して話をしてくれた。
、あの城壁は300年以上前(1年は約372日)に建てられたらしい。(昔も今も)ここから60km以上離れた場所に違う国(そこそこ大国)があり、この街は320年前にその国の軍隊から攻め込まれて一回滅びかけた。残った人たちは、外からの攻撃に備え、大きな城壁を築いたようだ。
しかし時は流れ現代、共通暦(世界中で用いられている暦)2309年。あの城壁はシンボルとして残しているだけで、実際には使われていなくなってしまった。城壁内には10万人の人が住むが、外から入ってきた人も普通に受け入れている。世界の人が繋がる時代には、あのような城壁は観光名所以上の役割をもたないようだった。
「だいたいここに来る人は、周り60kmを囲む草原のどこかに『気づいたらいた』と言っています。それは昔から変わりません。あなた方もそのような感じではありませんでしたか?」
僕たちは、まさにその通りです、と話した。2人は草原を彷徨っている途中に出会ったことも伝えた。
「やはりそうなんですね。あなた方は日本という国から来たと先ほど言っていましたが、同じところからきている人もいますので安心してください。世界中色々な国からきている人がいますが、特に漢字を使っている国から来ている人が多いですね」
「言葉については覚えなくても、この帽子があればコミュニケーションをとることはできます。他にもその場にいなくても会話・電卓・買い物ができるので、被っている人は多いです」