『小説の規定思想』
『小説の規定思想』
㈠
自由なる表現者よ、批評家に負ける時ではない。規定を破壊して、創造するのだ。悪夢が襲う夜の夢に、快楽を見るのだ。遠い遠景にそびえるバベルの塔を、もう一度創り変えるのだ。悪を殺せ、善が生き延びよ。類まれなる思想的小説・・・快楽に似た、不快な快楽。
㈡
完全なるものは、大体が邪悪かつ難解だ。雲の切間から差す光に依拠し、代替物を小説に変容させよ。思想は結実する。得てして、ノスタルジーに関する意見書をまとめて、小説学会に既存を打ち砕くと宣言する。そうか、何か、デーモンは言う・・・繋がらないのは、自身の心の有り様から規定されている。
㈢
怠惰に終わる精神論は、何も生まない批評に負けてしまうのであって、強靭なる思想精神が、片隅で傾いた思想を上空へと再現する。利巧に生きるより、泥にまみれても、純粋性を失わず、生きるがままに生きることで、本質は再生され、叙述される・・・規定思想は、此処に、規定される。
㈣
不明瞭な不可視の現象は、常に、あれだな、見抜けないと、自身に影響が与えられ、暗闇からの飛躍によって、光まで届かんとする意志の姿勢を垣間見られるのだ。此処にも、ある種の悪戯のような懺悔が響いていると言えるのだ・・・確かに、自分は見た、と断言するのだ、見た、と。
㈤
充足を得られた日には、後遺症も消え去り、新たな出発の姿勢が見て取れる。まさに、看守できるといった構図は、人々を安心させ、祈りを実現させ、奇跡を現出させるのだ。批評家に邪魔はさせないと、精神の独立が言う・・・結果論に終始するあまり、その辺りに懐疑は見られるが。
㈥
小説の規定思想は、或る場所に於いて、実現されるのだ。まだ光も通らぬ、薄暗い夜明けに、猫が歩道を通る時、確かに闇はその姿を隠した。この様な論理で、小説が隠されることだけは、あってはならないという決意の文言から・・・規定されるのではなく、規定するのだ、小説を、規定する。