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風嘉の白龍 〜花鳥風月奇譚・2〜  作者: 緋影 あきら
9/12

ー悪意の果てー

鴻夏(コウカ)(レン)拘束(こうそく)されて動けなかった頃、密かに(レン)の指示を受けた嘉魄(カハク)暁鴉(ギョウア)は、宴を抜け出しそれぞれ別の場所で真相を探っていた。

嘉魄(カハク)は外で月鷲(ゲッシュウ)側の動向を、暁鴉(ギョウア)は砦の中で不審者もしくは内通者を探し出す。

(レン)の読みでは、砦の中に何らかの形で月鷲(ゲッシュウ)側の内通者が居り、そのせいで南方軍側の対応が後手(ごて)になっているのでは…との事だった。

「…あんまり考えたくない事態だけど、こういう時の(あるじ)の勘って外れないんだよねぇ…」

ボソッと誰に聞かせるでもなくそう呟くと、暁鴉(ギョウア)は手始めに南方軍の上官達の部屋が立ち並ぶ領域へと足を踏み入れる。

おそらく敵にとって、有益な情報が手に入る人物となると、下っ端などではなく、それなりの地位に居る者でないと無理な話だった。

しかもこちら側の対応が後手(ごて)になるという事は、南方軍側の作戦や動向が敵側に筒抜けになっている可能性が高いという事である。

『さてどこから行くかな…?』

心の中でそう考えながら、屋探(やさが)し対象の顔を思い浮かべ、すぐに暁鴉(ギョウア)は決断する。

…やはり偉い人順で確認すべきだろう。

裏切り者の身分が上であればあるほど、事態はより深刻なものとなる。

事と次第によっては、この南方領全体を揺るがす事態になり兼ねないと思いながら、暁鴉(ギョウア)はまず夜刃(ヤト)将軍の部屋へと足を踏み入れた。


夜刃(ヤト)将軍は古くからの(レン)の部下で、おそらくこの南方軍の中でも一、二位を争うほど盲信的(もうしんてき)(レン)に心酔している将軍である。

だが彼自身も知らないまま、利用されている可能性もあるため、一通り調べてはみたが、それらしいものは何も見つからなかった。

少し安心し、次は隣の副官の部屋の方へと移ろうとした暁鴉(ギョウア)は、思いがけず感じた人の気配に、慌てて手近な部屋へと滑り込む。

しばらくすると靴音も高らかに、二人の人物が話しながらこちらに向かって歩いてきた。

「…まったく、この砦の連中の『白龍(はくりゅう)贔屓(びいき)にはまいるよなぁ。伝説的な英雄だか知らんが、どうせ誇張(こちょう)された与太話(よたばなし)だろ?」

「だよなぁ。あんな妃にデレデレの優男(やさおとこ)が、一体どうやって『月鷲(ゲッシュウ)金獅子(きんじし)』と渡り合えるってんだよ?しかも当時はまだ十代だったってんだから、絶対話がおかしいって」

そう言って、堂々と自国の皇帝をこき下ろしつつ歩いて来たのは、まだ幼さの残る十代半ばと見られる少年二人だった。

(レン)が皇帝に立って三年、その前にも三年ほど彼は消息不明になっているので、少年達の年齢を考えると、南方領での『風嘉(フウカ)白龍(はくりゅう)』の活躍をあまり知らない世代なのだろう。

確かに一見しただけで、(レン)の真価まで見極めるのは難しいが、常識的に考えてもこの少年達の言い様は明らかにおかしかった。


『どうも(あるじ)の事をよく思ってない感じだね…。まさか()()って、南方領の中からこんなのが出てくるとはね』

呆れと驚きとを交えつつ、暁鴉(ギョウア)がそのまま黙って様子を伺っていると、どちらかというと気弱そうな少年の方がこう呟く。

「それはともかく、嫌な時に視察に来たよな…。毎年この時期に来てるとはいえ、今年は少し早くないか?」

「…おい、まさか何か感付かれてるとでも言うのか?普段中央にしか居ない奴が、どうやってこの南方領で起こってる事に気付けるって言うんだよ?」

「そ…れはそうなんだけど…ほら皇家(おうけ)にはお抱えの忍達が居るそうじゃないか。そいつらが各地に散ってて、常に中央に情報を送ってるって噂だから、あるいは…」

そう不安げに呟いた相手に、もう一人の少年が、フンと鼻を鳴らしながらこう答える。

「…何だよ、臆病風(おくびょうかぜ)に吹かれたのか?俺達で理想を実現するために、何でもやるって誓ったのは嘘だったのかよ?」

「そ…うじゃない!そうじゃないけど…っ!で、でもホントにこれが皆の為になってるのかが、最近分からなくなってきて…」

戸惑いながらそう話す相手に、もう一人の少年が、それを断ち切るように強く言い放つ。

觜絡(シラク)!今更そんな事言うなよ?俺とお前は一心同体(いっしんどうたい)、今更後には引けないんだ。いいか?これが上手くいったら、絶対に砦の皆の生活が楽になる。俺を信じろ!」

「わ、わかった。で…でも約束してくれ。絶対に砦の皆を裏切らないと…」

「ああ、約束する。絶対だ」

「…それならいい…」


觜絡(シラク)と呼ばれた少年は、まだ不安げではあったものの、相手を信じる事にしたようだ。

それを影から伺いながら、暁鴉(ギョウア)が静かに二人の少年の顔を確認する。

『あれは夜刃(ヤト)将軍の息子の…暁刃(アキト)…だったか?そうなるとあちらの觜絡(シラク)とかいう少年も、側近の誰かの息子の一人か…』

もう一人の少年の顔には覚えがなかったが、この辺りに居たという事は、間違いなく南方軍の上層部の誰かの身内という事になる。

思いがけずビンゴを引いたような気分になりながら、暁鴉(ギョウア)は少年達に気付かれないよう、そっと様子を伺い続けた。

すると少年達は暁鴉(ギョウア)の存在にまったく気付かないまま、廊下を奥の方へと進んで行く。

その行き先を静かに見守っていると、彼等はある部屋の前で立ち止まり、そのまま迷う事なくその扉を叩いた。

そして中から(いら)えがあったのか、彼等は周りを警戒しつつも、その中へと入っていく。

静かにその扉が閉まるのを確認し、暁鴉(ギョウア)はそっと隠れていた部屋から廊下へと滑り出て、

彼等の入っていった部屋を確認した。

そして暁鴉(ギョウア)はすぐに微妙な顔で眉を(しか)める。

そこは夜刃(ヤト)将軍の兄、光嚴(コウゲン)の部屋であった。

彼は武勇を()せる弟と違い、身体が丈夫ではなかったために、武人にすらなれなかった。

そしてその代わりに文官となり、この砦の経理関係を一手に担っていると聞いている。


『砦の金庫番と血気盛んな若者達…ね。どうにも嫌な組み合わせだね…?』

そう考えた暁鴉(ギョウア)は、彼等が消えた光嚴(コウゲン)の部屋を、そのまま探ってみる事にした。

もちろん中に人が居るのがわかっているため、手近な場所から天井裏へと上がり、天井伝いに目的の部屋へと辿り着く。

そっと天井板の継ぎ目から下の様子を伺ってみると、先程の少年達が一人の中年の男に対して、喰ってかかっていた。

「納得出来ません、伯父上!何故せっかくの機会を逃すのです⁉︎」

「少し落ち着け、暁刃(アキト)物事(ものごと)を為すには細心(さいしん)の注意を払う必要があるのだ。『白龍(はくりゅう)』が滞在している今は、無理をしない方がいい」

「『白龍(はくりゅう)』、『白龍(はくりゅう)』って、警戒し過ぎなんじゃないですか?あんな妃に夢中なだけの優男(やさおとこ)、何を怖れる必要があるのです⁉︎」

そう言い切った少年 暁刃(アキト)に、対峙(たいじ)している中年の男はゆっくりと首を横に振る。

「…お前達はあの男の恐ろしさを知らんから、そう言えるのだ。あれは人の域を超えた存在だ。まさに神憑(かみがか)り的な強さで、征服される寸前だった南方領を救い、あの月鷲(ゲッシュウ)和睦(わぼく)を持ちかけさせた。そして三年前は、あの未曾有(みぞう)の大乱をも鎮圧して退けたのだ。無理をして何か気付かれようものなら、今までの努力がすべて水の泡になる。今は堪えよ」

そう言って中年の男は重々しく(たしな)めたが、あまり若者達の共感は得られなかったようだ。

そして実にあっさりと暁刃(アキト)はこう答える。


「…伯父上はお年のせいか、臆病風(おくびょうかぜ)に吹かれておいでのようだ。『白龍(はくりゅう)』がどうしたというのです?すべて過去の栄光でしょう?」

暁刃(アキト)!早まるでない!」

「いいえ、伯父上!冬の間は取引が出来なくなるのですよ?今のうちに多少無理をしてでも回を重ねておかないと、今年の冬は越せないかもしれません。私はこの砦の者達全員を守りたいのです。誰も飢えさせたくない」

「…暁刃(アキト)…」

暁刃(アキト)の隣に立つ少年、觜絡(シラク)が感動したように熱い視線を暁刃(アキト)に送る。

しかし肝心の中年の男、光嚴(コウゲン)には何の感動も呼び覚ませなかったようだった。

光嚴(コウゲン)は呆れたように深い溜め息をつきながら、重ねて暁刃(アキト)にこう告げる。

暁刃(アキト)、勝手な事は許さん。お前の独りよがりで皆を危険な目に合わせるんじゃない」

「…お断りします。伯父上がいつものように渡りを付けてくれないのなら、俺が一人ででもやります」

暁刃(アキト)!馬鹿な事はやめろ。皆の今までの努力を無に帰す気か⁉︎」

そう言って光嚴(コウゲン)は止めようとしたが、相手はまったく耳を貸さなかった。

「…失礼、伯父上。これ以上話していても無駄なようだ」

暁刃(アキト)!」

バタンという音と共に、若者二人がそのまま部屋から退出する。

それを仕方なく見送ると、光嚴(コウゲン)は深い溜め息をつきながらこう呟いた。


「…愚か者が…。こうなってはもう仕方がない。計画より早いが、撤退するとしよう」

そう言うと光嚴(コウゲン)は急いで手紙をしたため、それを鳩の足へと巻き付け空へと放った。

それをそっと見届けると、暁鴉(ギョウア)は素早く天井裏から外へと飛び出し、その行方を追う。

目を()らすと鳩は何もない空を、ただひたすら一直線に、月鷲(ゲッシュウ)の方へと向かっていた。

それを眺めながら、暁鴉(ギョウア)が不敵にこう呟く。

「…結構離されたけど、これはもう追うしかないね。さぁて、何が出て来るかな…?」

フフンと独りごちると、暁鴉(ギョウア)は勢い良くその場から駆け出し、口笛で愛馬を呼び寄せる。

するとよく慣れた愛馬は、暁鴉(ギョウア)意図(いと)を読み取り、すぐさまその場へと駆け付けた。

それと一歩二歩と並走し、軽やかに馬上へと上がると暁鴉(ギョウア)はそのまま馬を疾走させる。

途中砦の門があったが、それも門番に合図を送って開けさせると、暁鴉(ギョウア)はまったく勢いを殺す事なくそのまま草原へと駆け出した。

その間も暁鴉(ギョウア)の目は、常に鳩を見失わないようその行き先を注意深く見守っている。

しばし走り続けると、鳩はあっさりと国境の壁を越え、月鷲(ゲッシュウ)側へと飛び去った。

『まずいね…。国境を越えられたか…』

そう思ったが、ふいにその鳩が不自然な動きで羽をバタつかせ、いきなり壁のすぐ向こう側へと堕ちていく。


一瞬何が起こったのか分からなかったが、ほどなくして壁の向こう側から、その鳩を手にした男がこちら側へと戻ってきた。

それを見た途端、暁鴉(ギョウア)が思わず破顔する。

「…なんだ、嘉魄(カハク)か。また良い所に居てくれたね、あんた」

そう言って声をかけると、相変わらず言葉少なに嘉魄(カハク)暁鴉(ギョウア)に確認する。

「お前がこれを追ってるように見えたんで、捕らえてみたが…それで良かったか?」

「ああ、助かるよ。多分そいつが面白い手紙を付けてるはずさ」

そう言って暁鴉(ギョウア)は素早く馬から飛び降りると、嘉魄(カハク)が捕らえた鳩から手紙を外し、丁寧にその中身を確認した。

そして予想通りと言った口調で、こう呟く。

「…やはりそういう事か」

「何が書いてあった?」

そう問われ、暁鴉(ギョウア)はニヤリと勝ち誇ったようにこう告げる。

嘉魄(カハク)、やっぱり(あるじ)の勘は当たってたみたいだよ。読んでみな?」

そう言って手渡された手紙に素早く目を通し、嘉魄(カハク)は無言でそれを折り畳む。

「…(あるじ)に報告するしかないな。こちらもこれに(から)んで、少々厄介な事になった」

「厄介って…?」

月鷲(ゲッシュウ)御仁(ごじん)(あるじ)との会談を希望してる」

ボソッと嘉魄(カハク)が告げた内容に、さすがの暁鴉(ギョウア)も声もなく目を見張った。





まだまだ宴たけなわといった感じで周囲が盛り上がり続ける中、ずっと鴻夏(コウカ)を腕の中に閉じ込め続けていた(レン)は、ふと誰かの視線を感じそちらへと目線を向けた。

すると先程調査に出した嘉魄(カハク)暁鴉(ギョウア)が、(とばり)の影から無言で(レン)に合図を送っている。

それをさり気なく確認し、(レン)はようやく腕の中の鴻夏(コウカ)を解放した。

「れ、(レン)…?」

急に解放され驚く鴻夏(コウカ)の耳元で、(レン)鴻夏(コウカ)にだけ聞こえる声でそっと囁く。

「…嘉魄(カハク)に呼ばれました。申し訳ありませんが、少しだけ席を外しますね…。鴻夏(コウカ)はここで待っていてください」

そう言い終わると、(レン)はゆったりとした長衣を(なび)かせ、スッとその場から姿を消す。

宴の最中に璉を呼び出すくらいだから、おそらくよほどの緊急事態が起こったのだろうという事はわかったが、それが一体何なのかまでは鴻夏にはわからなかった。

とりあえず璉の指示通りに大人しく待っていると、急に先程までは感じなかった鋭い視線が、あちこちから容赦なく鴻夏(コウカ)を貫く。

それと共に悪意に満ちた囁きが、さざめきのように鴻夏(コウカ)の耳まで届いてきた。

「あの方が『白龍(はくりゅう)』の奥方…?」

「確かに見目麗(みめうるわ)しい方だけれど、どう見てもまだお子様じゃない…」

「仕方ないわよ。だって政略結婚でお迎えになった方ですもの」

「あんな細い方じゃ、抱き心地も悪いでしょうし、お子様もちゃんと産めるのやら…」

ボソボソといくつかの声が、聞こえよがしに鴻夏(コウカ)の事を(けな)し始める。

それに対し『聞こえてるんだけど…』と思いつつ、鴻夏(コウカ)はそっと声のする方を伺った。

するとそこには、女性らしい豊満な肉体を持った美女達が、チラチラと鴻夏(コウカ)の事を伺いながらキツい視線を投げかけてくる。

どの女も容姿は鴻夏(コウカ)に遠く及ばないものの、皆それなりに美しく魅惑的(みわくてき)な女達であった。


『これはやっぱり、昔 (レン)と関係を持った方々…なのよね…?(レン)の奥さんが私だってのが、気に入らないんだろうけど…でも私の方だって気に入らないんだけどね…』

少々ムッとしながらも、売られた喧嘩(けんか)は買うとばかりに、鴻夏(コウカ)はわざとそちらの方に視線をやり、ニッコリと笑ってみせる。

すると一瞬、戸惑う雰囲気を見せたものの、女達はお互い顔を見合わせ、そして意を決したように鴻夏(コウカ)の方へと近付いてきた。

「お妃様…でいらっしゃいますね?少しお話させていただいても…?」

女の一人が、挑戦的に鴻夏(コウカ)に声をかける。

それを受けて、鴻夏(コウカ)は表面上は優雅に微笑みながらこう答えた。

「ええ、よろしいですよ」

「ありがとうございます。まずは御成婚おめでとうございます。『白龍(はくりゅう)』は南方領の者にとっては、誰よりも大事な御方…。『白龍(はくりゅう)』の幸せは私達の喜びでもあります」

「…ありがとうございます。私も陛下に嫁げて、本当に良かったと思っております」

出だしはお互い無難(ぶなん)な事を語りつつ、相手が何を思っているのか、どういった人物なのかを無言で探り合う。

どの女もまるで品定めをするかのように、頭のてっぺんからつま先に至るまで、じっくりと鴻夏(コウカ)の姿を眺めていたが、そのうちの何人かが少し悔しそうに顔を背けた。

おそらく自分と鴻夏(コウカ)の容姿とを比較し、勝手に負けた気になったのだろう。


今まで自分の容姿に関し、さほど関心がなかった鴻夏(コウカ)だったが、この時ばかりは母譲りのこの容貌にひどく感謝した。

些細(ささい)な事ではあるが、(レン)の隣を維持するために、この顔が役立つのなら利用するまでだ。

どう頑張っても自分は女性にはなれないのだから、彼女達のように豊満な肉体を持つ事も、好きな相手の子供を産む事も出来ない。

女性に生まれている時点で、すでに彼女達の方が何倍も(レン)にふさわしい位置にいる。

だからこそ鴻夏(コウカ)は、数少ない自分の持ち札を最大限に活かす必要があった。

もちろん鴻夏(コウカ)がそう思っている事など、彼女達は知る(よし)もないのだろうが、鴻夏(コウカ)鴻夏(コウカ)なりに結構必死なのである。

『私が彼女達に勝てるのは、家柄の良さだけだもの…。女性ではないというだけで、最初から不利な立場に居るのだから…』

そう思いつつも、鴻夏(コウカ)は完璧に平静を装いながら、毅然(きぜん)とした態度で女達を見つめ返す。

すると女のうちの一人が、急に吹っ切れたように、鴻夏(コウカ)に向かってこう尋ねてきた。

「お妃様は…政略結婚で『白龍(はくりゅう)』に嫁がれておられますが、実際のところ『白龍(はくりゅう)』の事をどのように思っておいでですの?」

「…武と智を兼ね備えた、尊敬すべき方だと思っております。また私のような者にも御心を砕いて下さる、とてもお優しい方です」


皇帝の正妃としては模範的な回答だったが、相手はそうじゃないとばかりに、両手を肩の位置まで引き上げ、盛大に溜め息をつきながら首を横に振る。そして実に挑戦的な態度で、鴻夏(コウカ)に向かってこう(のたま)った。

「そういう意味ではありませんわ。お妃様ご自身のお気持ちの話です。失礼を承知でお聞きしますが、お妃様はちゃんと『白龍(はくりゅう)』の事を想っておいでですの?」

もっともな問いかけではあったが、その裏には自分達の方がずっと(レン)の事を想ってると言いたいのは明らかだった。

それに対しどう答えるべきなのかを一瞬迷った鴻夏(コウカ)は、それっきりその答えを言う機会を(いっ)してしまった。

何故なら女達の態度を見かねた暁鴉(ギョウア)が、突然その場に割って入って来たからである。

「…ちょっとあんた達、醜い嫉妬はそこまでにしてくんないかな?」

鴻夏(コウカ)をさり気なく背後に(かば)いながら、暁鴉(ギョウア)は堂々と正面から女達を睨みつけた。

すると知己(ちき)であったのか、鴻夏(コウカ)を取り囲んでいた女達から次々と驚きと怒りの声が飛ぶ。

暁鴉(ギョウア)…っ⁉︎あんた、なんで…」

「そっちこそ、引っ込んでてくれないかしら?私達は今、お妃様とお話ししてるのよ」

「それとも何?あんた出世のために、お妃様に取り入っておこうっていうわけ?」


暁鴉(ギョウア)に対し毒々しい言葉を吐く女達に、鴻夏(コウカ)はこれ以上ないほど激しい怒りを覚える。

自分の事はともかく、大事な暁鴉(ギョウア)が女達に(おとし)められるのは我慢がならない。

そして怒りのあまり思わず立ち上がりかけた鴻夏(コウカ)は、何故かそれを暁鴉(ギョウア)自身に制された。

暁鴉(ギョウア)はスッと手をかざして鴻夏(コウカ)の動きを止めると、少しだけ鴻夏(コウカ)の方へと振り返り、安心させるかのようにフッと優しく微笑む。

そしてすぐに女達の方へと向き直ると、暁鴉(ギョウア)は彼女らしく堂々とした態度でこう言った。

「…まったく、その嫉妬で(くも)った目を何とかしなよ?このあたしが、出世なんか気にするわけないだろ。あたしは大事な鴻夏(コウカ)様が、あんた達なんかに(さげす)まれてるのが、我慢ならないんだよ」

暁鴉(ギョウア)…」

まさか自分と同じ事を、暁鴉(ギョウア)も思っているとは思わず、鴻夏(コウカ)の口から驚きの声が漏れる。

しかし女達の方はそれが気に入らなかったらしく、怒りも(あら)わに暁鴉(ギョウア)の周囲を取り囲むと、容赦なく言葉で責め立てた。

「ちょっと!失礼な事を言わないでくれる?私達はお妃様とお話ししていただけで、特に何もしてないわよ」

「そうよ、そうよ!南方領の恩人である『白龍(はくりゅう)』のお妃様に、私達が何かするとでも?」

「そもそもお妃様とあんたに何の関係があるっての?部外者は引っ込んでてくれない?」


そう言われ、暁鴉(ギョウア)(ひる)む事なくこう告げる。

「…関係?あるよ。あたしは鴻夏(コウカ)様の『影』だからね。鴻夏(コウカ)様の身も心も護るのが、あたしの仕事さ。それをさっきから聞いていれば、鴻夏(コウカ)様がお優しいのをいい事に言いたい放題…。あんたらみたいなのはね、礼儀も性根もなってない恥知らずって言うんだよ」

「何ですって⁉︎」

さすがにそれは言い過ぎではないかと思ったが、暁鴉(ギョウア)の方はまったく気にしてない。

相手の女達の精神力も相当なものだが、暁鴉(ギョウア)のそれはその遥か上をいっている気がする。

そしてすでに収拾がつかなくなってきた事態に、どうしたものかと頭を悩ませていると、ふいにこの騒ぎの元凶とも言える男が、ふわりと背後から鴻夏(コウカ)を抱き締めてきた。

そして自分のせいで起こっている騒動であるにも関わらず、彼は実にのんびりとした口調でこう呟く。

「…せっかく皆が宴を楽しんでいる最中に、随分と剣呑(けんのん)ですねぇ…。一体、何事です?」

「れ、(レン)っ⁉︎」

「『白龍(はくりゅう)』⁉︎」

鴻夏(コウカ)とほぼ同時に、周囲の女達からも一斉に驚きの声が上がる。

一体いつ戻ってきたのか、まったく気配も感じさせずにその場に現れた(レン)は、さも当然のように鴻夏(コウカ)を腕の中に閉じ込めると、チラリと女達に冷ややかな視線を向けた。


途端にビクッと周りを取り囲んでいた女達が、気圧されたように一歩後ろへと後退(あとずさ)る。

(レン)が自分の背後に居るため、鴻夏(コウカ)自身はよくわかっていなかったが、その鋭い射るような視線を受けて、女達は声もなく蒼ざめた。

そしてそんな女達にダメ押しをするかのように、(レン)が静かにこう告げる。

「…下がりなさい。これ以上、私の妃に無礼は許しません」

その一言で充分だった。

(レン)の不興を買ったと肌で感じた女達は、ガタガタと震えながらも一礼をすると、蒼白な顔でその場から逃げ去ってしまう。

まるで蜘蛛の子を散らすように、我先(われさき)にとその場から居なくなった女達を見送ると、暁鴉(ギョウア)(レン)に向かって恨みがましい一言を放った。

「出て来るのが遅いよ、(あるじ)?自分の仕出かした事の後始末くらい、ちゃんとしなよ」

「…暁鴉(ギョウア)が居ましたからね。私が出ると余計に(こじ)れるかと思い、しばらく我慢していたのですが…思ったより愚かな人達でしたね」

そう冷たく告げると、(レン)は優しく鴻夏(コウカ)の額に口付けながら素直に謝る。

「すみません、鴻夏(コウカ)。嫌な思いをさせてしまいましたね…」

「れ、(レン)…あの方達ってやっぱり…?」

恐る恐る(レン)に向かってそう尋ねると、彼は事も無げにこう答える。


「…昔 南方領に居た頃、相手をした事のある方々ですね。『抱いて欲しい』と迫られて、まぁ特に断る理由もなかったですし、ご希望通りに相手をした覚えがあります。でも恋人にした覚えはないですし、誰か一人を特別扱いした事もないですよ」

男としてはかなり最低な発言をしながらも、(レン)は悪いのはあちらだと言わんばかりに、軽い溜め息をつく。そして何も言えずに固まる鴻夏(コウカ)他所(よそ)に、(レン)はそれでもう話は終わったとばかりに、別の内容を語り出した。

「それより少々面倒な事になりました」

「面倒な事…?」

「はい。詳細は後で説明しますが、明日はちょっと月鷲(ゲッシュウ)側に出掛けてきます」

「は⁉︎」

ニコリと微笑みながら、さらりと壁を越えて隣国へ行って来るという(レン)に、『仮にも皇帝の地位にある者が、そんな簡単に他国に侵入していいのか⁉︎』と心の中で突っ込んだが、続けて(レン)は更に衝撃的な事を語り出す。

「実は鴎悧(オウリ)帝に呼び出されまして…。私の方も直接会って話したかった事があるので、この機会に会って来ようかと…」

「…っ⁉︎」

思わず叫びそうになったのを、自らの手で口を塞いで何とか堪えた鴻夏(コウカ)は、あまりの事の重大さに呆然とする。


(レン)は何でもない事のように語っているが、非公式とは言え皇帝同士による直接会談など、一体何事が起こったのかと蒼くなる。

とりあえず周りを見渡し、鴻夏(コウカ)は今の話の内容が聞かれていなかったかを確認したが、宴も終盤とあって、皆はお互いの会話に夢中でまったくこちらには気付いていなかった。

それを密かに確認し、鴻夏(コウカ)がホッとした表情で胸を撫で下ろしていると、(レン)がその様子を見ながら穏やかにこう告げる。

「…大丈夫ですよ。そこまで深刻な話ではないです。ただそろそろお互いの陣営に巣食う膿を、出す頃合いだなってだけの話で…」

「お互いの…膿…?」

「そう…。その(から)みで今回の視察には、樓爛(ロウラン)も西方領から呼び寄せています。明日には合流出来るとの連絡が来てますので、鴻夏(コウカ)も明日の夜には会えますよ」

相変わらず(レン)の表情からは何も読み取れなかったが、わざわざ西方領から樓爛(ロウラン)まで呼び寄せているとなると、実は結構大きな話なのではないか?という気がした。

この南方領で何が起こっているのかはわからないが、(レン)が無理を押してまでここに来たのは、おそらくその後始末のためである。

それが何なのかが気になり、その後 鴻夏(コウカ)はまったく宴に集中出来なかったが、周囲は我関(われかん)せずで最後まで大盛り上がりだった。

そして早く終われと念じ続け、ようやく宴から解放され、(レン)と共に用意されていた部屋へと戻った鴻夏(コウカ)は、今度はすっかり忘れていた問題に再び焦る事になるのだが、この時の鴻夏(コウカ)は完全にその事を失念していたのだった。



その一方、先ほど伯父である光嚴(コウゲン)と交渉決裂した暁刃(アキト)は、友人である觜絡(シラク)と共に、宴の席から上座に座す皇帝『白龍(はくりゅう)』を燃えるような目で睨みつけていた。

年若い妃を腕に抱き、穏やかに杯を傾けるこの優男(やさおとこ)が、何故こうも砦の皆の尊敬と愛を受けるのか…まったくもって理解出来ない。

しかも武勇を()せる自分の父親まで、この男には心酔しているようで、先ほどからまるで少年のように頰を紅潮させ、何事かを熱心に語りかけ続けている夜刃(ヤト)将軍の姿を、暁刃(アキト)は苦々しく思っていた。

そしてその気持ちを代弁するかのように、隣に座る觜絡(シラク)がポツリとこう呟く。

「何で親父達は、あそこまで『白龍(はくりゅう)』に心酔してるのかなぁ?どう見ても見た目は普通…だよな?」

「ああ、そうだな」

「華やかな容姿ってわけでもないし、体つきもごく普通…。隣に居る暁刃(アキト)の親父の方がよっぽど強そうなのに、なんであんなにペコペコしてるんだか…」

「まったくだ。あんな俺でも勝てそうな優男(やさおとこ)に、なんで親父はああも()(へつら)うのか…」

ギリッと悔しそうに口唇を噛み締め、暁刃(アキト)は心底腹ただしい思いで『白龍(はくりゅう)』を睨む。


長い亜麻色(あまいろ)の髪を軽く一つに(まと)め、青を基調とした長衣を身に付けているその男は、こうして上座に座っていなければ、その存在に気付かないほどひどく印象が薄い。

体型も中肉中背、容姿も別に整っていないわけではないが、野に咲く名もない花のようにひっそりと優しげで、相手の気持ちを鼓舞(こぶ)させるような華々しい雰囲気はない。

隣国 月鷲(ゲッシュウ)の皇帝は、『金獅子(きんじし)』の渾名(あだな)を持つ筋骨逞しい美丈夫で、容姿も浅黒い肌に黄金の髪、黄金の瞳という実に華やかな美男。

ただそこに居るだけで、圧倒的な存在感を放ち、敵ながらまさに仕えるに足る皇帝らしい皇帝だというなのに、この差は一体何なんだと暁刃(アキト)は文句を言いたくなる。

そして暁刃(アキト)は、憎々しげに自国の皇帝を睨み付けながら、心の中で叫んでいた。

『この男のどこが各国に名を(とどろ)かせる武帝だって言うんだ?絶対、優秀な部下達に担ぎ上げられてるだけで、本人自体は大した事ないってやつだろう?』

そう暁刃(アキト)は思っていたが、それこそが大きな間違いであった事を、この時の彼はまだ知らなかった。そして何も知らない愚かな若者達は、分不相応な理想を掲げて語り合う。

「…觜絡(シラク)。俺達でこの砦を変えよう」

「ああ、暁刃(アキト)。俺も他の仲間達も、皆がお前を信じてる。どこまでも付いていくよ」

ニッと笑いながら、少年達は手を叩き合う。

キラキラとした少年特有の希望に満ちた瞳が、自分達こそが正しいのだと信じていた。

けれど彼等は知らなかった。

汚い大人の悪意は、そんな彼等の純粋な気持ちさえも利用するのだという事を。

その事を彼等が思い知るのはまだ後の事で、現時点ではまったく気付いていなかった。

続く

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