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風嘉の白龍 〜花鳥風月奇譚・2〜  作者: 緋影 あきら
4/12

ー深闇と白龍ー

穏やかな昼下がり、珍しく風嘉(フウカ)の後宮に美しい琵琶(びわ)の音色が響いていた。

音の出所(でどころ)は後宮内の泰瀏(タイリュウ)皇子の自室で、彼の専属(せんぞく)侍女(じじょ)を務める燠妃(オウヒ)が、(タイ)鴻夏(コウカ)のために琵琶(びわ)を奏でながら、美しい声で風嘉(フウカ)叙事詩(じょじし)を歌い上げていた。



“東の砂漠を治めるのは『蒼狼(そうろう)の大将軍』と名高き(ハク) 須嬰(シュエイ)

天下無双(てんかむそう)の仁義厚き武人

西の海を治めるのは『白鯨(はくげい)艦長(かんちょう)』と呼ばれる(タイ) 樓爛(ロウラン)

海上貿易を取り仕切る海の大商人

北の山岳地帯を治めるのは『銀鷲(ぎんしゅう)の策士』と恐れられる() 黎鵞(レイガ)

風嘉(フウカ)一の知恵者にして 銀嶺(ぎんれい)の如く(うるわ)しきその姿は 見る者の心を(とりこ)にする


そんな彼等の上に立つのは 南の草原を支配する若き皇弟(おうてい) (ソウ) 璉瀏(レンリュウ)

闇夜(やみよ)に浮かぶその白き姿に 敵は(おのの)き 味方の士気(しき)鼓舞(こぶ)される

その闘う姿は まさに天に昇る龍の如く その場に居並ぶ者達を (いや)(おう)にも平伏(ひれふ)させる


(たた)えよう 我等が主君を

(あが)めよう 我等が誇る『風嘉(フウカ)白龍(はくりゅう)』を”



美しく切ない余韻(よいん)を残し、燠妃(オウヒ)が一曲歌い上げると、それに聴き入っていた(タイ)鴻夏(コウカ)が惜しみない拍手を贈る。

それにニッコリ微笑むと、燠妃(オウヒ)は実に優雅に一礼をした。

それに対し、鴻夏(コウカ)が興奮気味にこう尋ねる。

「すごいわ、燠妃(オウヒ)。貴女は素晴らしい歌い手なのね。あと私、今の叙事詩(じょじし)は初めて聞いたわ。風嘉(フウカ)では有名なの?」

「お()め頂き光栄ですわ、鴻夏(コウカ)様。私が今、披露(ひろう)させていただいたのは、風嘉(フウカ)国内では好んで歌われている演目で、『風嘉(フウカ)白龍(はくりゅう)』と呼ばれております。作者は不明ですが、陛下が即位される以前から、密かに国民の間で広く歌われておりました」

柔らかな色味の金髪に薄い青の瞳の燠妃(オウヒ)は、見た目通りの穏やかな口調で、鴻夏(コウカ)の質問にそう答える。

そして少し迷いつつも、彼女は続けてこう付け加えた。

「私はこの叙事詩(じょじし)が大好きなのですが、実はこの詩は先帝の時代に禁歌(きんか)として、歌う事を禁じられていた事がありますの。おそらくそれもあって、他国にまでは広まらなかったのだと思いますわ」


「え、なんで?こんなに綺麗(きれい)な歌なのに…」

キョトンとして鴻夏(コウカ)が尋ねると、それを受けて(タイ)が冷静にこう答える。

「…(レン)が『白龍(はくりゅう)』と(うた)われているからじゃないかな?この叙事詩(じょじし)は、(レン)皇弟(おうてい)時代に作られた歌なんでしょう?『龍』とは本来皇帝を指す言葉なのに、皇弟(おうてい)である(レン)に対して使われている…。父上やその部下達にとっては、とても面白くない歌だったんだろうね」

そう言って、(タイ)が年に似合わない大人びた見解(けんかい)を述べる。

それを受けて、鴻夏(コウカ)燠妃(オウヒ)が困ったように黙り込むと、(タイ)は床を見つめたまま、ひどく冷たい声でポツリとこう呟いた。

「…ねぇ、鴻夏(コウカ)。やっぱり僕もおかしいのかな?纜瀏(ランリュウ)帝は確かに僕の父上だけれど、僕はあの人のやる(こと)()す事、そのすべてが許せないんだ。特にあの人が(レン)と母上にした事は、一生かかっても絶対に許せない…。多分まだ生きていたとしたら、いつか僕自身が父上を討っていたと思うよ」

「…(タイ)!ダメよ、そんな事を言ったら…!」

そう言って、思わず鴻夏(コウカ)(タイ)を抱き締める。

纜瀏(ランリュウ)帝が(レン)(タイ)、そして他の皆に一体何をしてきたのかはわからない。

わからないが、例えどんな男であろうとも、(タイ)にとっては実の父親。

この優しい少年に、実の父を殺したいなどと思わせてはならないと、鴻夏(コウカ)は本能的にそう思った。

だから務めて(さと)すように、鴻夏(コウカ)はこう話す。


「…(タイ)。私は纜瀏(ランリュウ)帝と貴方達の間に、一体何があったのかは知らないわ。知らないけれど、例えどんな人であろうと、彼が貴方の父親である以上、私は貴方が纜瀏(ランリュウ)帝を()とうとしたなら全力で止めたと思うわ。でも勘違(かんちが)いしないでね?それは貴方の為よ、(タイ)。例えどんな男であろうと、可愛い貴方に父親殺しの大罪は犯させないわ。…きっと私と同じ事を(レン)も言うはずよ」

きっぱりとそう告げると、腕の中の(タイ)の身体がビクリと動く。

そっと腕を(ゆる)めて少年の顔を(のぞ)き込むと、(タイ)は泣きそうな顔で鴻夏(コウカ)を見つめた。

「…(レン)も本当にそう言うかな…?僕は(レン)(ひど)い事をしてきた男の息子なのに…」

「何を言ってるの!貴方は(レン)の大事な(おい)よ?あの人がどれだけ貴方を大切に思っているか、私も含めて皆が知ってるわ」

そう言って、鴻夏(コウカ)は再度 (タイ)を抱き締める。

少しずつ知らされる纜瀏(ランリュウ)帝と周囲の人達の(いびつ)な関係性に心を痛めながら、鴻夏(コウカ)は思った以上にその闇が深い事を感じていた。

そしてその最も深いと思われる部分に、自分の夫である(レン)が居るであろうという事も…。

『…いつか話してくれるわよね、(レン)?』

心の中でそう呟きながら、鴻夏(コウカ)は知りたいと思う欲求を自ら抑える。


(レン)にとって纜瀏(ランリュウ)帝は、命を()してて仕えた神のような存在。

だがその纜瀏(ランリュウ)帝の為人(ひととなり)が、かなり(ゆが)んだものであった事は、皆から()れ聞く内容だけでも容易(ようい)に想像がつく。

それだけに長年、彼がどれほど理不尽(りふじん)(ひど)い扱いを受けてきたのかと思うと、生まれてから一度もそういう扱いを受けた事がない鴻夏(コウカ)には、いくら考えても想像し切れない…。

だがそれでも(レン)は、()るべくして皇帝になった真の為政者(いせいしゃ)であり、『白龍(はくりゅう)』の呼び名に相応しい卓越(たくえつ)した存在であった。

そして鴻夏(コウカ)はボンヤリと考える。

もし…(レン)がもっと凡庸(ぼんよう)な男であったなら、もう少し幸せな人生が送れたのだろうか?と。

だが鴻夏(コウカ)はすぐに自らそれを否定する。

…もしもなんて仮定は無意味だ。

どんなに願っても過去は変えられないし、それがどれだけ(つら)い出来事であったとしても、それ無くして現在の自分は有り得ないのだ。

何かがほんの少しでも違っていたら、自分と(レン)は一生会う事もなかったかもしれない。

そう思うと皆と出逢(であ)えたこの奇跡(きせき)を、むしろ喜ぶべきなのだろうと鴻夏(コウカ)は思った。


そうこうしているうちに、(タイ)がいつもの落ち着きを取り戻してくる。

それを肌で感じた鴻夏(コウカ)は、そっと(タイ)から身体を離すと、彼を安心させるかのように微笑み、その考えを頭の片隅(かたすみ)へと追いやった。

とりあえず今は、そんな事を悠長(ゆうちょう)に考えている場合ではない。

不確かな自分の回想より、まだ不安定な(タイ)を落ち着かせる事の方が重要だった。

そして鴻夏(コウカ)は、(タイ)に集中しつつもこう思う。

とりあえず今日の収穫は、燠妃(オウヒ)が素晴らしい歌い手であり琵琶(びわ)名手(めいしゅ)であったという事。

あと(レン)(レン)の側近達の事を(うた)った叙事詩(じょじし)が存在していたという事。

そして自分の夫である(レン)には、実はもう一つの(ふた)()が存在していたという事実だった。

こうして昨日よりまた少し、皆の事を知れたのは、きっと良い事なのだろうと思う。

…毎日少しずつでいい。

(レン)と周りの人々の事を知り、理解し合えていけば、いつかは本当の意味で分かり合える。

そう鴻夏(コウカ)は思った。




そんな矢先(やさき) 鴻夏(コウカ)は本日最後の授業で、偶然にも先ほどの叙事詩(じょじし)にも登場していた風嘉(フウカ)の地理や歴史について、詳しく習う事になった。

鴻夏(コウカ)(とつ)いだ西の大国 風嘉(フウカ)は、武芸(ぶげい)(ひい)でた近代的な軍事国家であるが、そもそも風嘉(フウカ)が軍事国家となっていった経緯(けいい)は、その(きび)しい立地(りっち)条件(じょうけん)からに他ならない。

元々国の東は砂漠地帯で、穀物(こくもつ)はあまり実らず、またその最果(さいは)てには花胤(カイン)との国境があるため、その花胤(カイン)に向かう商隊を狙って、盗賊(とうぞく)達の横行(おうこう)が絶えなかった。

一方 西は唯一 他国と接しておらず、海上貿易が盛んな土地であったが、その分 治安もとても悪く、商人らは海賊らに対抗すべく自らも武装化(ぶそうか)し、殺伐(さつばつ)とした雰囲気となっていた。

また北は険しい山岳地帯で、鳥漣(チョウレン)への天然の防衛線(ぼうえいせん)ではあったものの、冬は氷雪(ひょうせつ)に閉ざされ人も物も一切の行き来を(はば)む、冷たく厳しい土地でもあった。

そして南は大きな草原となっていたが、騎馬民族の国である月鷲(ゲッシュウ)と国境を接しているため、長きに渡って小競(こぜ)り合いが絶えない戦場となっていた。

そのため南の土地は非常に()せ、人々はいつ月鷲(ゲッシュウ)(おそ)われるとも知れない恐怖(きょうふ)(おび)え、南方領の軍は常に戦に明け暮れる日々だった。



そこにある時、一人の男がやって来た。

それが現皇帝であり、当時は末の皇弟(おうてい)であった(ソウ) 璉瀏(レンリュウ)だった。

彼は即位五年目である異母兄(いぼけい)纜瀏(ランリュウ)帝の命により、(わず)か十四歳にして、南方領の長官として派遣(はけん)されてきた。

まだ少年に過ぎない彼が、国一番の激戦区(げきせんく)派遣(はけん)された事により、当時は皇城(おうじょう)内でも派遣(はけん)先の南方領でも、纜瀏(ランリュウ)帝が彼を合理的(ごうりてき)に始末するべくそうしたのだと誰もが思っていた。

しかしそれが大きな間違いであった事は、その後すぐに勃発(ぼっぱつ)した月鷲(ゲッシュウ)との一戦(いっせん)で、明らかとなった。

それまで草原の覇者(はしゃ)である月鷲(ゲッシュウ)に対し、風嘉(フウカ)側はどうしても対抗し切れず、ジワジワと国境線は後退の一途(いっと)辿(たど)っていた。

ところが(レン)は、いつものように侵攻してきた月鷲(ゲッシュウ)軍を一戦して打ち破ると、その後も連戦連勝を重ね、あっという間に本来の国境線まで月鷲(ゲッシュウ)軍を追いやったのだ。

そしてついに根を上げた月鷲(ゲッシュウ)側から和睦(わぼく)の申し込みをさせると、(レン)はそれを受ける見返(みかえ)りとして、草原を横断するかのように頑強(がんきょう)で長い石壁を建築し、誰の目にも明らかな国境線を引いて見せたのだ。

これによって月鷲(ゲッシュウ)側は容易に風嘉(フウカ)側に攻め込めなくなり、ようやく風嘉(フウカ)の南方領は長い長い戦の日々から解放されたのだ。

この前人未到(ぜんじんみとう)偉業(いぎょう)により、(レン)は一気にその名を各国に(とどろ)かせ、纜瀏(ランリュウ)帝の懐刀(ふところがたな)として風嘉(フウカ)国内でもその地位を確立していく事になる。

いまや彼をただの少年と見る者はおらず、その後も彼は北に東にと風嘉(フウカ)内で起こる全ての紛争に駆り出され続け、いつの間にか『戦場の鬼神』との渾名(あだな)の下、各国から(おそ)れられる存在へとなっていった。


そしてこの頃になると、纜瀏(ランリュウ)帝もその支配を完全なものとし、在位八年を迎える頃には、風嘉(フウカ)もまさに繁栄(はんえい)の極みを迎える事になる。

ちょうどその頃、纜瀏(ランリュウ)帝は思いがけず一人の美姫(びき)との運命的な出会いを果たす。

当時そのあまりの美しさから、『金晶(きんしょう)姫』と呼ばれ、父である鳥漣(チョウレン)帝の寵愛(ちょうあい)を一身に浴びていた紫翠(シスイ)姫に纜瀏(ランリュウ)帝は心奪われたのだ。

そして親子ほどの年齢差があったにも関わらず、纜瀏(ランリュウ)帝はその武力に物を言わせ、(なか)ば強引に紫翠(シスイ)姫を自らの皇后(こうごう)として迎え入れた。

時に纜瀏(ランリュウ)帝 三十八歳、紫翠(シスイ)妃 十六歳、そして皇弟(おうてい) 璉瀏(レンリュウ) 十七歳の春だった。

そして紫翠(シスイ)妃と(レン)は、皮肉(ひにく)な事にこの結婚を()に運命的な出逢(であ)いを果たす。

まるで向かい合う鏡のように、纜瀏(ランリュウ)帝を中心に存在する二人は、その年齢が近かった事もあり、徐々にその仲を深めていった。

だがちょうどその頃から、賢帝(けんてい)と名高かった纜瀏(ランリュウ)帝の精神に(ほころ)びが(しょう)じ始める。

彼はありもしない妻の紫翠(シスイ)妃の浮気を疑い、彼女に少しでも関わった男の召使いや騎士、官僚(かんりょう)などを次々と投獄(とうごく)・処刑していった。

そして彼女自身については鎖で(つな)ぎ、どこへも行けないよう後宮の一室へと閉じ込め、自分以外の者と関わるのを固く禁じたのだ。


そのあまりの非道ぶりに、纜瀏(ランリュウ)帝を(いさ)めようとした(レン)はその怒りを買い、自らの側近すべてを取り上げられ、お互いが連絡を取り合えないよう地方へとバラバラに散らされた。

そして彼自身には『接待(せったい)』との名目(めいもく)で、各国要人の(ねや)の相手が命じられ、その地位と矜恃(きょうじ)は完全に(おとし)められたのだ。

そんな段階になっても(レン)は不満一つ()らさず、ひたすら纜瀏(ランリュウ)帝の命に従い続けた。

そんな最中に紫翠(シスイ)妃が妊娠し、彼女は一人の男の子を出産する。

それが後の泰瀏(タイリュウ)皇子であり、纜瀏(ランリュウ)帝のただ一人の後継者(こうけいしゃ)となった。

そして気がつけば、心ある官僚(かんりょう)達はすべて地方へと追いやられ、中央には纜瀏(ランリュウ)帝のご機嫌伺いをするしか能のない、無能な官僚(かんりょう)しか残っていなかった。

かつて繁栄(はんえい)(きわ)みにあったはずの風嘉(フウカ)国は、この頃から急激に傾いていく事となる。

それと同時に国内では次々と内紛(ないふん)が起こり、その度に纜瀏(ランリュウ)帝は(レン)を戦場へと派遣(はけん)した。

そしてあろう事か、戦の最中でさえも纜瀏(ランリュウ)帝は気まぐれに何度も(レン)皇城(おうじょう)へと呼び戻し、自身や各国要人の相手をさせ続けた。

誰もがそんな纜瀏(ランリュウ)帝に怒りを感じていたが、一番の被害者であるはずの(レン)が、纜瀏(ランリュウ)帝に逆らう事なくそのまま従い続けたため、表面上は何の変化もなく纜瀏(ランリュウ)帝の治世(ちせい)が続いた。

しかしそれから四年経ったある日、突然 (レン)忽然(こつぜん)とその姿を消したのだ。

誰もがついに(レン)決起(けっき)するものと思ったが、彼は(かすみ)が如くその姿を隠し、それから三年もの間、政治の舞台から一切姿を消した。

彼がその間、一体どこで何をしていたのかは未だに謎とされている。


そして璉に去られた纜瀏(ランリュウ)帝の方は、ついに政務を放棄(ほうき)し、完全に後宮へと閉じ(こも)った。

彼はいつか自分を殺しに来るであろう(レン)を恐れ、ひたすら酒と女に(おぼ)れ続けた。

その間も纜瀏(ランリュウ)帝は側室との間に何人もの子供を設けたが、何故か男女問わず、生まれてすぐにすべての子供は惨殺(ざんさつ)された。

その理由は不明だが、生き残ったのは皇后である紫翠(シスイ)妃の生んだ泰瀏(タイリュウ)皇子ただ一人で、彼は他の子供には一切(いっさい)見向きもしなかった。

一説では寵愛(ちょうあい)している紫翠(シスイ)妃の子供に、確実に皇位(おうい)を継がせたかったから、他の子供を始末したのではないかとも言われているが、それが本当に真実であったのかはわからない。

ただ事実として、生まれた他の子供はすべて纜瀏(ランリュウ)帝自身が始末したのは間違いなかった。

そしてこの頃になると、もはや彼の事を真面(まとも)だと思う家臣は一人も居らず、纜瀏(ランリュウ)帝は狂帝として人々から恐れ遠ざけられていく。

ただこの段階になっても、なお纜瀏(ランリュウ)帝の紫翠(シスイ)妃への執着(しゅうちゃく)は変わらず、彼女は人生のその最後の瞬間まで(くさり)(つな)がれたまま、後宮の一室に閉じ込められてその短い生涯を閉じた。

彼女が結局 誰を愛し、自分を閉じ込め続ける纜瀏(ランリュウ)帝をどう思っていたのかはわからない。

ただその魔的なまでの美しさは生涯変わる事なく、纜瀏(ランリュウ)帝もその最後の瞬間まで、決して彼女を手放さなかった。

そして二人の唯一の息子である泰瀏(タイリュウ)皇子は、あの未曾有(みぞう)大乱(たいらん)の最中、いつの間にか後宮から連れ出され、叔父である(レン)の手によってその身を保護されていた。

彼の処刑を望む声がなかったわけではないが、(レン)(がん)としてそれを許さず、彼を自らの後継者に指名し、その地位を確立させた。



そしてそれから三年。

風嘉(フウカ)(レン)とその側近達によって急激な復興(ふっこう)を果たし、かつての繁栄(はんえい)を取り戻す事となる。

今はもう悲しい過去として、纜瀏(ランリュウ)帝と紫翠(シスイ)妃の事は人々から忘れ去られつつあるが、彼等の遺児(いじ)である(タイ)にとっては、その事実は今もなお忘れられない(とげ)のように彼自身を(さいな)み、苦しめ続けている。

あまりにも深すぎる風嘉(フウカ)の闇の部分に触れ、鴻夏(コウカ)は一人身震いをした。

実際どこの皇家(おうけ)にも、多少の闇は存在する。

だが風嘉(フウカ)纜瀏(ランリュウ)帝については、その(ゆが)みや闇があまりにも深く、常軌(じょうき)(いっ)しているとしか言えなかった。

そしてふいに鴻夏(コウカ)脳裏(のうり)に、先日 黎鵞(レイガ)に言われたある言葉が(よみが)る。

『…鴻夏(コウカ)様、どうか(レン)を救ってやって下さい。纜瀏(ランリュウ)帝と真逆の位置に居る貴女にしか、(レン)は救えません。私達では無理なのです…』

あの時、確かに黎鵞(レイガ)はそう言った。

自分は纜瀏(ランリュウ)帝とは真逆の人間だと。

そして真逆であるからこそ、(レン)も無意識に自分に()かれ始めていると…。

正直、黎鵞(レイガ)が自分の何を見てそう思ったのかはわからない。

そして世間知らずの自分が、一体どうやって(レン)を救うのかもわからなかった。

しかも自分は纜瀏(ランリュウ)帝に会った事もなければ、夫である(レン)の事も彼の周りの人達の事も、実はあまりよく知らない。

ただ何も知らないからこそ、(レン)は自分が側に居る事を許容(きょよう)してくれたのかもしれないと、鴻夏(コウカ)漠然(ばくぜん)とそう思った。





その夜、いつものように鴻夏(コウカ)の部屋を訪れた(レン)は、鴻夏(コウカ)に会うなり抱きつかれていた。

突然の事に驚く(レン)に、鴻夏(コウカ)は告げる。

今日の授業で、先帝の時代の風嘉(フウカ)の事を習ったと。

その言葉を聞いて、(レン)は優しく抱き返しながら、すべてを悟ったかのようにこう答える。

「…そうですか。貴女にとっても(タイ)にとっても、楽しい授業ではありませんでしたね。でもその時代があったからこそ今があるので、避けては通れないところではありますが…」

ポンポンと(なだ)めるように鴻夏(コウカ)の背を叩くと、(レン)は優しすぎるほど優しい声でそう言った。

多分一番辛い思いをしたのは(レン)であろうに、こんな時も自分の夫はひどく優しい。

その事実が逆に哀しくて、鴻夏(コウカ)は余計に泣けてきた。

それを感じ、(レン)が困ったようにこう呟く。

「…泣かないでください、鴻夏(コウカ)。貴女に泣かれると私はどうしていいのかわかりません」

「だ…って、だって(レン)が泣かないから…っ!貴方が泣かない分、私が泣いてるのっ!」

支離滅裂(しりめつれつ)な言葉だったが、何となく相手に気持ちは伝わったようだった。

そして(レン)は少し困ったように微笑むと、自分に(すが)鴻夏(コウカ)の頭を優しく()でる。


薄暗い部屋の中で、(レン)の体温を全身で感じながら、鴻夏(コウカ)はボンヤリと白く輝くように浮かび上がる(レン)の姿に、昼間 燠妃(オウヒ)が歌っていた叙事詩(じょじし)の一節を思い出していた。

“闇夜に浮かぶその白き姿に 敵は(おのの)き 味方の士気(しき)鼓舞(こぶ)される”

確かに以前 (レン)と夜の散歩した時も思ったが、暗い闇の中で(レン)の白い肌と色素の薄い亜麻色(あまいろ)の髪は、白く輝くように浮かび上がる。

彼が髪を長く伸ばしているという事もあるが、決して闇に溶け込まないその姿を見ていると、まるで彼自身が輝いているかのように見えて、その姿はとても神秘的で美しい。

そしてその幻想的な光景に、鴻夏(コウカ)は無意識のうちに(レン)の長い髪に手を伸ばしていた。

「…鴻夏(コウカ)?」

いきなり髪を(つか)まれて、(レン)が不思議そうに鴻夏(コウカ)の名を呼ぶと、鴻夏(コウカ)はハッと我に返った。

そしてしっかりと(レン)の長い髪を握りしめている事に気づいた鴻夏(コウカ)は、自分でも驚くほど分かり易く焦りまくる。

「ご、ごめんなさいっ⁉︎私ったら勝手に…」

慌てて(レン)の髪から手を離すと、自然とその手を(レン)に取られ、そのまま軽く口付けられる。

暖かく柔らかい(レン)の口唇が、流れるようにすうっと手の甲から手首、そして上腕部(じょうわんぶ)へと移るのを感じながら、鴻夏(コウカ)は戸惑うように(レン)の方へと視線を向けた。

するとその視線を感じたのか、チラリと(レン)が横目で鴻夏(コウカ)の方に視線を投げる。

その妙に色気のある眼差しに、鴻夏(コウカ)は思わずドキリとした。

そんな鴻夏(コウカ)の耳に、優しい(レン)の声が響く。


「…鴻夏(コウカ)は私の髪が好きなんですか?」

ふいに(レン)にそう聞かれ、鴻夏(コウカ)戸惑(とまど)いつつも素直に答える。

「え…ええ…。私と違って色素が薄くて、こういう暗い場所だと白く輝くように見えて、とっても綺麗…」

「ありがとうございます。でも…私は貴女の黒髪の方が好きですよ」

そう言うと(レン)鴻夏(コウカ)の手をそっと離し、代わりに美しい黒髪に手を伸ばすと、そのひと房に指を絡めそのまま自然に口付ける。

別に髪自身に神経が通っているわけでもないのに、(レン)に口付けられた瞬間、鴻夏(コウカ)は驚きとあまりの恥ずかしさに息が()まった。

『ちょ…ちょっと?何かおかしな展開に…。しかもこの人また妙に色気出してきてない?』

そう思って(レン)を見ていた鴻夏(コウカ)は、ふいに視線を向けた(レン)と目が合いドキリとする。

(レン)綺麗(きれい)(みどり)の瞳が、(つや)っぽく自分を見つめていて、鴻夏(コウカ)は恥ずかしくて目を()らした。

そして今更ながらに、何で迂闊(うかつ)にも自分から(レン)に抱きついてしまったのかと後悔する。

完全に(レン)から離れる機会を(いっ)してしまった事に、改めて動揺していると、くすりと笑う気配がして(レン)の口唇が鴻夏(コウカ)の頰に降りてきた。


「え、あの…?」

驚いて(レン)を見返すと、それを待っていたかのように、自然と(レン)に口唇を奪われる。

慌てて離れようと、相手の胸を押すために両腕を添えたがその腕ごと強く抱き込まれ、するりと(レン)の舌が鴻夏(コウカ)の口腔内に侵入した。

途端に(あらが)いがたい快感が身体を支配し、あっさりと鴻夏(コウカ)は抵抗の意志を(くじ)かれる。

意識が白く混濁(こんだく)していくのを感じながら、ガクリと身体の力が抜けると、その段階になってようやく(レン)の口唇が離れた。

「…すみません、鴻夏(コウカ)。貴女の反応があまりにも可愛くて、つい許可も受けずに手を出してしまいました…。このまま続けても…?」

何を言われてるかも理解出来ず、ボンヤリとしているとふわりと身体が浮く感覚がして、そして再び口唇が奪われる。

与えられる快感に酔いしれていた鴻夏(コウカ)は、自分がどこに運ばれているのかも気付かず、そのままうっとりとしていたが、ふいにドサリと何かの上に転がされた感触に、唐突に意識が覚醒(かくせい)した。

ふと目を開けると、見覚えのある天蓋(てんがい)が目に入り、自分が寝台に転がされた事を知る。

途端にサーッと理性が戻ってきて、鴻夏(コウカ)は思わず叫んでいた。

「待って、待って、待って⁉︎何でこんな事になってんのっ⁉︎」

「え、何でって…私ちゃんと聞きましたよ?このまま続けていいですかって」

「え、言ってた⁉︎ていうか、私も『いいよ』って言った⁉︎」

「うーん…そう言われると、確かに『いいよ』とまでは言われてないですねぇ…」

「ですよねっ⁉︎止めましょう、今すぐ止めましょう」

焦りながらそう言うと、鴻夏(コウカ)の上に乗っている(レン)が少し考え込む。


「あ、わかりました。『いいよ』って言わせればいいんですね」

「ち、違〜うっ!そうじゃなくて、とにかく無理っ!これ以上は無理っ!」

身体の前で大きくバツを作ると、鴻夏(コウカ)は真っ赤な顔でそう叫ぶ。

それを見た(レン)はくすくすと笑うと、あっさりと鴻夏(コウカ)の上から退()いてくれた。

「…残念ですねぇ。途中までは鴻夏(コウカ)も乗り気だったのに…」

「なっ⁉︎ち、違…っ!」

「あれ、そうです?結構気持ち良さそうにしてましたし、嫌がってはなかったですよ?」

「そ、それは…確かにそうなんだけど…っ」

そう答えつつ、鴻夏(コウカ)は答えを言い(よど)む。

確かに意識が混濁(こんだく)するほど気持ち良くて、ボーツとしてしまったのは認める。

あと(レン)に触られるのは嫌いではないし、いつかは…とは思ってる。

だがこの夫はとにかく手慣れ過ぎていて、こっちが覚悟を決める前に、あれよあれよと言う間に事を運ばれてしまう。

正直こういう事はちゃんと自分の意思で、手順を踏んでしたいと思う。

そう思っているのに、この夫はまたまた不穏な事を言い始める。

「…もうちょっと完全に理性が戻らない程度まで、意識飛ばしてからにすれば良かったですねぇ…。次回からはそうします」

「あ、いやそうじゃなくて…っ!」

何となく本気で実行しそうな嫌な予感に囚われながら、どう説得しようかと考えていると、突然 (レン)が思い当たったようにこう呟く。


「あ、そう言えば…私 一番肝心な事を確認し忘れてました」

「…肝心な事…?」

「そうなんですよ。考えてみれば私も鴻夏(コウカ)も男性なので、どっちが上か下かを決めとかないといけないんでした」

一瞬何を言われたのかがわからず、鴻夏(コウカ)はポカンとする。

「上…?下…?それって一体何の話…?」

「ああ、つまりどっちが女役をやるかって事です。鴻夏(コウカ)が可愛いらしいので、つい確認もせず勝手に抱く気になってましたけど、考えてみれば鴻夏(コウカ)も男性なので、抱く側にもなれるんですよね。どっちにします?私はどっちも出来るので、別に鴻夏(コウカ)が抱く側がいいって言うならそれでもいいですけど…」

あっけらかんととんでもない事を言い出した夫に、鴻夏(コウカ)は思わず絶句する。

(こと)色事(いろごと)に関する感覚が、常識からかなりズレているとは思っていたけれど、正直ここまで()()けに聞かれると、もはや何と返していいのかもわからない。

呆然として固まっていると、それをどう勘違いしたのか、さらに(レン)がとんでもない事を言い始める。

「あ、試してみないとわからないとか、どっちも試したいとかって事なら、両方やってみるってのでもいいですよ?」

「…ど、どっちもしませんっ!」

真っ赤になって否定しながら、それでもきっとこの夫ならいつか勝手に実行するんだろうなと鴻夏(コウカ)は密かにそう思ったのだった。

続く

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