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風嘉の白龍 〜花鳥風月奇譚・2〜  作者: 緋影 あきら
11/12

ー紅凰の目覚めー

(レン)に緊急連絡が届く一時間ほど前、南方領の砦では予想外の事態が巻き起こっていた。

視察団が留守の間に、闇取引を決行しようと砦を抜け出した暁刃(アキト)達を、何も知らない宝砂(ホウシャ)が無邪気に追いかけていったのだ。

その上 それを見かけた鴻夏(コウカ)暁鴉(ギョウア)が、宝砂(ホウシャ)を連れ戻そうと慌ててその後を追いかけ、そのまま芋づる式に砦の外へと出てしまった。

そして更に間の悪い事に、暁刃(アキト)達と取引するため、砦の近くまで来ていた闇商人らが、あろうことか鴻夏(コウカ)に目をつけてしまったのだ。

鴻夏(コウカ)(たぐい)(まれ)な美しさに()かれた闇商人らは、相手の素性も知らずに、すぐに鴻夏(コウカ)を捕らえて連れ去る事を決断した。

そして鴻夏(コウカ)宝砂(ホウシャ)に追い付く頃には、すっかり周りを取り囲まれてしまったのである。

もちろん鴻夏(コウカ)には優秀な『影』である暁鴉(ギョウア)が付いているが、いくら暁鴉(ギョウア)が優秀でも、鴻夏(コウカ)宝砂(ホウシャ)の二人をかば)いながら、二十人以上もの敵を一人で相手するのはさすがに分が悪い。

一応砦を出る前に、密かに(レン)嘉魄(カハク)に向けて知らせは飛ばしていたが、今すぐ駆けつけてくれるほど近くに居るとも思わなかった。

『…とにかく時間稼ぎをするしかないね』

そう決断すると、暁鴉(ギョウア)鴻夏(コウカ)にだけ聞こえる声でこう(ささや)く。

鴻夏(コウカ)様…。さすがに人数が多いから、この場は一旦逃げるよ?煙幕(えんまく)を張ったら、突破するからちゃんと付いてきておくれ」

「…わかったわ」


短くそう答えると、鴻夏(コウカ)は腕にしっかりと宝砂(ホウシャ)を抱え直し、そして彼女を安心させるかのようにこう(ささや)く。

「…宝砂(ホウシャ)、今からあのおじさん達と隠れんぼをするからね。だからビックリしても、絶対に声を出しちゃダメよ?」

「うん?わかったわ」

無邪気にそう答えると、宝砂(ホウシャ)はその小さな手でしっかりと自らの口を押さえた。

それを見て、鴻夏(コウカ)が優しく微笑みかける。

「良い子ね、宝砂(ホウシャ)。そのまま私に捕まっているのよ?…暁鴉(ギョウア)、いつでもいいわよ」

そう鴻夏(コウカ)が答えると、それを聞いて暁鴉(ギョウア)が短くこう答える。

「…行くよ」

その呟きと共に、暁鴉(ギョウア)が目の前の地面に向かい、隠し持っていた黒い球を叩き付ける。

その途端ドンッという鈍い衝撃と共に、辺り一面が白い煙で(おお)われた。

「行くよ!」

グイッと肩を引かれ、鴻夏(コウカ)暁鴉(ギョウア)うなが)されるまま、その場から走り出す。

腕の中には鴻夏(コウカ)の言いつけを守って、口を押さえたまま耐える小さな宝砂(ホウシャ)(すが)っていた。

その小さな体をしっかりと抱き締めながら、鴻夏(コウカ)は強い決意で目の前を見据える。

『絶対にこの子を守らなければ…!』


その鴻夏(コウカ)の決意を叶えようと、暁鴉(ギョウア)が動揺する敵の一人を容赦(ようしゃ)なく始末する。

それによってポッカリと開いた敵の包囲網を()り抜け、鴻夏(コウカ)宝砂(ホウシャ)暁鴉(ギョウア)の三人は、そのまま一気にその場を抜け出した。

ところがすぐにその事に気付いた敵が、大きな声でこう叫ぶ。

「おい、抜けられたぞ!女達が逃げる!」

「囲め、囲め!」

「東だ、東側を塞げ!砦に戻らせるな!」

煙の中から男達のそんな怒号が聞こえ、暁鴉(ギョウア)が鋭く舌打ちをする。

「…仕方ないね、他へ逃げるよ」

「え、ええ…」

どんどん戻るべき砦から離され、鴻夏(コウカ)も不安がないわけではなかったが、それでも大人しく捕まるわけにはいかない。

暁鴉(ギョウア)の指示に従い走りながら、鴻夏(コウカ)は心の中で必死で(レン)に助けを求めていた。

『…怖い!助けて、(レン)(レン)…っ!』

言い様のない不安に押し(つぶ)されそうになりながら、それでも鴻夏(コウカ)は必死に走り続ける。

腕の中の小さな命を守る事、それだけが鴻夏(コウカ)の気持ちをこの場に繋ぎ止めていた。

そしてそんな鴻夏(コウカ)(かば)いながら、暁鴉(ギョウア)は次々と目の前に現れる敵を切り捨てていく。

普段であれば、手加減して動けない程度の怪我で留めるところだが、さすがの暁鴉(ギョウア)も今はそんな情けをかけている余裕はない。

()れる時に確実に倒し、着実に敵の数を減らさなければ、逃げ続ける事も危うかった。


『早く、相手を引き離さなければ…』

そうは思うが、腕に宝砂(ホウシャ)を抱えドレスで走る鴻夏(コウカ)に、これ以上の速度は望めない。

この場に馬でもいれば別だが、お互い徒歩のこの状況では、明らかに男達の追跡を振り切る事は難しかった。

『…さすがに厳しいか…』

そう判断すると、暁鴉(ギョウア)はあっさり隠れる事を放棄(ほうき)し、相手の戦力を削ぐ方に専念する。

こうなっては少しでも長く時間を稼ぎ、応援が駆けつけてくれるのを待つしかない。

だがいかに暁鴉(ギョウア)が優れた女忍であっても、体力的にはどうしても男性に劣る。

だから本来ならばこのような持久戦は避けるべきであったが、今はもう他に方法がない。

自分一人でどこまで粘れるかを計りながら、暁鴉(ギョウア)はひたすら護りに徹した。

『…早く、来てくれよ。(あるじ)嘉魄(カハク)!』

今どこに居るかのかももわからない二人相手に、暁鴉(ギョウア)は心の中でそう呼びかける。

そして暁鴉(ギョウア)が何人目かの敵を切り捨て、再度剣を構え直した時、ふいにその場に予想もしていなかった若い男の声が響いた。

「おい…っ?どういう事だ!なんでお前達が砦の者達を襲ってる⁉︎」

そう驚きの声を上げたのは、取引現場に現れない闇商人らを探しに来た暁刃(アキト)達だった。


彼等は鴻夏(コウカ)達を見とめると、慌ててその場に駆け寄ってきた。そしてその姿を見て、闇商人らは舌打ち混じりに不快な顔を見せる。

だが暁刃(アキト)達はそのまま闇商人らと鴻夏(コウカ)達の間に割って入ると、強気な口調でこう返した。

「説明しろ!なぜお前達が砦の者達を襲ってる?砦の者には、絶対に手を出さないという約束だったろう⁉︎」

「…そうは言ってもねぇ…。どう見ても見慣れないお嬢さん達だったんで、てっきり通りすがりの旅人かと…」

そう言って闇商人らは誤魔化(ごまか)そうとしたが、そんな言い訳が通じるはずもない。

すぐさま暁刃(アキト)が、容赦なく正論を唱えた。

「この辺りに居るという事は、例え見慣れない者でも間違いなく砦の関係者だ。そのくらいは小さな子供にだってわかる!それに旅人なら旅装くらいはしているだろう。彼女達のどこを見て、旅装しているように見える⁉︎」

チッとどこからか、舌打ちの音が聞こえる。

どこまでも生真面目(きまじめ)な若者らが鬱陶(うっとう)しいとばかりに、闇商人らは無言で顔を見合わせた。

そして彼等は(いま)々しげに暁刃(アキト)らを(にら)みつけながら、一旦引くような素振りを見せる。

まだ完全に助かったわけではなかったが、それでも闇商人達が(ひる)んだ事で、鴻夏(コウカ)は少しだけ安堵(あんど)の溜め息をついた。

『とりあえず…助かった…の…?』

そう鴻夏は思ったが、目線の先に居る暁鴉(ギョウア)はまったく緊張を解いていなかった。

それを見て、鴻夏(コウカ)もまだ安心は出来ないのだと悟り、改めて気を引き締める。


確かにその場に現れた暁刃(アキト)達は、自分達を護ろうとしてくれていたが、闇商人らが素直に言う事を聞いてくれるとは限らない。

そう思っていたら突然その場に、聞き慣れない中年の男の声が響き渡った。

「何をしておる⁉︎早う女達を捕らえぬか!」

「…で…殿下、しかし…」

困ったようにそう呟いた闇商人らの一人が、容赦(ようしゃ)なく(むち)で打ち据えられる。

突然の出来事に鴻夏(コウカ)達が唖然としていると、その中年の男はそれが当然だと言わんばかりに、輿(こし)の上で踏ん反り返ってこう叫んだ。

「我に口答えをするでない!我の要望を叶える事こそが、其方(そなた)達の役割であろう!」

そうヒステリックに叫ぶ男は、浅黒い肌に短く刈りそろえられた黒髪、まるで饅頭(まんじゅう)のように丸い顔の中に線のように細い目とずんぐりした鼻、分厚い口唇が特徴的な四十代後半と(おぼ)しき恰幅(かっぷく)の良い男だった。

頭に巻いた白い布には、大人の親指の先ほどもある大きな紅玉(ルビー)と白い大きな羽根が飾られており、ふくふくとした両手の指には、全て大きな宝石の(はま)った指輪が輝いている。

また太い首には、これまた三連にもなる豪奢(ごうしゃ)な金の首飾りがかけられており、これがまた無駄にキラキラと輝いていた。

そして全身をやたらと飾り立てているその男は、分厚い脂肪に(おお)われた身体を大きく揺すりながら、高飛車(たかびしゃ)な態度でこう(のたま)う。

「早う捕らえよ。真の皇帝たる我を、無駄に待たせるでない」

「…皇帝⁉︎」

思わず暁刃(アキト)達の口から、異口(いく)同音(どうおん)に同じ単語が(こぼ)れ落ちる。


一瞬、この男の頭がおかしいのかと思った。

この男は一体何を言っているのだろう?

この辺りで皇帝と言えば、風嘉(フウカ)帝たる(ソウ) 璉瀏(レンリュウ)月鷲(ゲッシュウ)帝である(トウ) 鴎悧(オウリ)かのどちらかである。

どちらも軍・官僚・国民すべての圧倒的な支持を得て、皇位(こうい)()いた四大皇国の中でも、一、二位を争うほど有名な武帝であった。

その各国から一目置かれる二人の皇帝を差し置いて、自らを『真の皇帝』と(しょう)するこの男は一体何者だというのだ?と全員が心の中で首を傾げたところで、ふいにその場に別の男の声が響いた。

「…お前達。女達に限らず全員を捕らえよ!この者達に殿下のご身分を知られた。このまま返すわけにはいかん」

そう言って前に進み出て来た男の顔を見て、今度は暁刃(アキト)達が声もなくその場で凍り付く。

そして暁鴉(ギョウア)も予想を(はる)かに超える事態の深刻さに、思わず強く奥歯を噛み締めた。

その中でただ一人、あまり事態が飲み込めていない鴻夏(コウカ)の耳に、腕の中の宝砂(ホウシャ)の無邪気な声が響いてくる。

「あ、光嚴(コウゲン)様だぁ」

「…お…伯父上…?」

光嚴(コウゲン)殿⁉︎」

次々と周りから上がる不審の声に、さすがの鴻夏(コウカ)もぼんやりと事態を把握する。

そしてそれを確認するように、鴻夏(コウカ)暁鴉(ギョウア)に対しそっとこう(ささや)いた。


暁鴉(ギョウア)…あの方は…」

「…うん、砦の金庫番を務めている光嚴(コウゲン)殿。夜刃(ヤト)将軍の実の兄上にして、そこにいる暁刃(アキト)殿の伯父上さ」

夜刃(ヤト)将軍の…⁉︎」

そう言ってもう一度、馬上の男を振り仰いだ鴻夏(コウカ)は、最悪の事態を想像して蒼ざめた。

月鷲(ゲッシュウ)側の闇商人らと砦の金庫番、そして自らを『真の皇帝』と(しょう)する身分の高そうな男。

明らかに最悪としか思えない組み合わせに、考えたくない嫌な予想が頭を()ぎる。

『反乱…?でも一体どちらの国の…⁉︎』

そう鴻夏(コウカ)が思ったところで、暁刃(アキト)が叫んだ。

「伯父上!これは一体どういう事です⁉︎なぜ貴方がこんな連中と一緒に居るんだ⁉︎まさか今までの取引は…っ!砦の皆のためだという事すら、すべて嘘だったのかっ⁉︎」

信じたくないとばかりに、絞り出すように叫ぶ暁刃(アキト)に、光嚴(コウゲン)は冷ややかな視線を向ける。

そしてニタリと笑うと、(おろ)かな若者達を(あざけ)るようにこう語った。

「…暁刃(アキト)よ、(おろ)かな我が甥よ。これも砦を守るためなのだ。ここは風嘉(フウカ)の領土の中でも、一際(ひときわ)貧しい場所。あの『白龍(はくりゅう)』が作った壁のせいで、我らの大事な草原は分断され、壁のこちら側には(わず)かな土地しかない。だが砦が月鷲(ゲッシュウ)の物となれば、我らはもっと広い草原を手に入れられる。そうなれば砦の暮らしも、もっと豊かになるのだぞ?」


そう(うそぶ)光嚴(コウゲン)に、怒り悲しむような暁刃(アキト)の声が飛ぶ。

「馬鹿な…っ!砦を月鷲(ゲッシュウ)に売ったのか⁉︎」

「…売ったとは人聞きの悪い…。より良い環境を選んだまでの事…」

悪びれもせずそう答える光嚴(コウゲン)に、思わず暁刃(アキト)(つか)みかかろうとする。だがすぐさま間に邪魔(じゃま)が入り、暁刃(アキト)はその場で歯噛みをした。

まさか信じていた相手に(だま)され、敵国の手先にされていたとは…情けないにも程がある。

そして暁刃(アキト)はひどく疲れた様子で深い溜め息をつくと、チラリと後方に控える鴻夏(コウカ)へと目をやり、ポツリとこう呟いた。

「…申し訳ありません、お妃様」

暁刃(アキト)殿…?」

「伯父に(だま)され、どうやら知らぬ間に敵である月鷲(ゲッシュウ)片棒(かたぼう)(かつ)がされていたようだ。だが事情はどうあれ、俺達の事は自業自得。どうなっても仕方ないが貴女(あなた)がたは違う」

そう言うと暁刃(アキト)はそこで言葉を区切り、腰につけていた剣をスラリと抜剣する。

それに習って他の仲間も抜剣するのを感じながら、暁刃(アキト)は続けてこう語った。

「必ず貴女の御身(おんみ)をお護りする!今回の事はすべて俺達が一存でした事。だからどうか…砦の者達を(とが)める事はしないで欲しい…」

そう言うと、暁刃(アキト)は無言で剣を構え直した。


今となっては璉瀏(レンリュウ)帝の妃である、鴻夏(コウカ)の身を護る事でしか、国への忠誠心を示せない。

明らかに不利な状況下ではあるが、それでも何とかして鴻夏(コウカ)を護ろうとする彼等の耳に、静かに光嚴(コウゲン)揶揄(やゆ)する声が響く。

(おろ)かな…暁刃(アキト)。この段階になっても、まだ風嘉(フウカ)(こだわ)るか」

「伯父上、俺は貴方とは違う。俺が護りたかったのは砦であり、ひいては風嘉(フウカ)だ。決して月鷲(ゲッシュウ)に寝返る事ではない!」

はっきりそう言い切ると、暁刃(アキト)はキッと光嚴(コウゲン)を見据えた。おそらく彼は伯父と刺し違える覚悟なのだろうが、まだ年若い彼等をこんな所で無駄死にをさせるわけにはいかない。

そう思った鴻夏(コウカ)は一瞬即発の空気の中、風嘉(フウカ)の皇后として一つの決意をする。

そしてその覚悟の下に、鴻夏(コウカ)は自らの『影』である暁鴉(ギョウア)に小声で話しかけた。

暁鴉(ギョウア)…。抵抗を止めましょう」

「…鴻夏(コウカ)様⁉︎」

「皆の命を危険に(さら)すわけにはいかないわ。私は全員、無事に生きて帰りたいの。だから今は()えて捕まりましょう」

淡々と告げる鴻夏(コウカ)に、暁鴉(ギョウア)愕然(がくぜん)とする。

相手が明らかに鴻夏(コウカ)狙いとわかっているのに、そんな奴等に捕まろうものなら、鴻夏(コウカ)がどんな目にあうかわからない。

特にあの『殿下』と呼ばれている小太りの男などは、先程から下心(したごころ)丸出しで鴻夏(コウカ)()めるような視線を送ってきている。

捕らえられたが最後、すぐにでも鴻夏(コウカ)に手を出して来るのは間違いなかった。


「…ダメだよ、鴻夏(コウカ)様!そんな事をしたら、あんたの身に危険が及ぶ…!」

「覚悟の上よ。ここで抵抗したら確実に誰かが怪我をするわ。 下手をしたら命を落としてしまうかもしれない…。それだけはダメよ。ここに居るのは皆大事な風嘉(フウカ)の民、(レン)が日々命がけで護っている大切な人達なの。私は名ばかりの皇后だけれども、それでも私も風嘉(フウカ)の人々を護りたい。(レン)が大切にしているものを、私も一緒に護りたいの」

そう告げると、鴻夏(コウカ)は強い意志を感じさせる瞳で暁鴉(ギョウア)を見つめた。

美しい金の瞳がキラキラと輝き、強く華やかで美しい、まるで朱金(しゅきん)(ほのお)のようなオーラが鴻夏(コウカ)から立ち昇っているように見える。

それを眩しそうに見つめながら、暁鴉(ギョウア)は心の中でこう呟いた。

『あぁ…あんたはやっぱり(あるじ)が選んだ人だ。まるで(ほのお)のように強く気高く美しく、そして誰よりも優しい…』

そう思いながら、暁鴉(ギョウア)は軽く目を伏せる。

そしてすぐに意を決したように、静かに鴻夏(コウカ)を見つめると、はっきりとこう答えた。

「…わかったよ。ただし少しでも、あんたに危険が及ぶと判断したら、あたしはすぐさま反撃に転じるからね?」

「…!ありがとう、暁鴉(ギョウア)

ニコッと嬉しそうに微笑むと、鴻夏(コウカ)はすぐにその笑顔をおさめ、スッと一歩前へと出た。

その途端、その気配を感じて暁刃(アキト)達が焦る。


「お妃様…⁉︎」

「お下がり下さい、暁刃(アキト)殿」

「え⁉︎」

「今ここで抵抗すれば、皆の身に危険が及びます。私は風嘉(フウカ)の皇后として、貴方(あなた)がたの身の安全を護る義務があります」

はっきりそう告げると、鴻夏(コウカ)はその場に居る誰よりも毅然(きぜん)とした態度でこう命じた。

「投降しましょう。剣をおさめてください」

「し…しかし、それでは貴女(あなた)御身(おんみ)に危険が…っ!それにそんな事になれば、我々は二度と『白龍(はくりゅう)』に合わせる顔がありません!」

蒼白な顔で訴える暁刃(アキト)に、鴻夏(コウカ)が静かな声でこう(さと)す。

「私は大丈夫です。陛下が日々お護りなっているこの国は、陛下の妃である私も護るべきもの…。貴方(あなた)がたは私が護ります」

「お妃様…」

力強くそう宣言すると、鴻夏(コウカ)は静かに暁刃(アキト)を見据えた。暁刃(アキト)達とそう変わらない年齢であるはずなのに、鴻夏(コウカ)の姿勢はすでに人の上に立つ者としてのそれである。

思わず圧倒され固まる暁刃(アキト)を尻目に、鴻夏(コウカ)の脳裏には結婚前に(レン)に言われた言葉が(よみがえ)った。

風嘉(フウカ)の皇后になるという事は、ここに居るすべての民の幸せを護る責任を負うという事です。逆にそれが出来ない者に、人の上に立つ資格はございません』


自らが風嘉(フウカ)帝である事を()せたまま、(レン)は静かに鴻夏(コウカ)にそう()いた。

今にして思えば、あの時 鴻夏(コウカ)風嘉(フウカ)の民を護ろうとする気持ちがないようなら、(レン)鴻夏(コウカ)とは結婚しないつもりだったのだと思う。

しかしそれに対し、鴻夏(コウカ)はこう答えたのだ。

『私にどこまでの事が出来るのかはわかりません。でももしそれでも風嘉(フウカ)帝が私との結婚を望んでいただけるのなら、私はこの国の為に一生を捧げようと思います』と。

だからこそ(レン)は、鴻夏(コウカ)を自らの妃として迎える事を決めたのだ。そして今、鴻夏(コウカ)は自らが選んだ道を着実に守ろうとしている。

そしてその揺るぎない決意が、朱金(しゅきん)(ほのお)のようなオーラとなって、鴻夏(コウカ)を輝かせていた。

一般的に皇帝を『(りゅう)』で表すように、皇后は『鳳凰(ほうおう)』で表される事が多い。

そして今の鴻夏(コウカ)の姿はまさに、地上に降り立った鳳凰(ほうおう)(ごと)く、華麗(かれい)(りん)としていた。

その魂をも揺さぶるような美しい姿に、暁鴉(ギョウア)暁刃(アキト)達も声も無く見惚(みほ)れてしまう。

つい鴻夏(コウカ)に仕えられる事が誇らしく、その場に(ひざまず)きたくなるような衝動に駆られた。

そしてその心のままに、暁刃(アキト)達は自然と鴻夏(コウカ)に対して(ひざまず)き、深くその頭を下げる。

その後 彼等を代表して、暁刃(アキト)の口から一つの言葉が(こぼ)れ落ちた。

「お妃様…。まさに鳳凰(ほうおう)のように強く華麗(かれい)な我らが皇后よ。御身(おんみ)に仕えられる事は至上の喜び。我らは貴女(あなた)様の指示に従いましょう」


その言葉通りに、暁刃(アキト)達は自ら剣をおさめると、鴻夏(コウカ)に対し再び深く頭を垂れた。

この強く美しい人の命令に従う事こそが、正しい事なのだと思っているようだった。

しかしそれを見て、月鷲(ゲッシュウ)独特の金の瞳を持つ小太りの男は、両手の全ての指に()めた指輪をギラつかせながら激昂(げっこう)する。

「…おのれ、下賤(げせん)の者めが!我こそが『真の皇帝』であるのに、何故我ではなくその娘に頭を下げる⁉︎我を(あが)めよ!」

「…殿下。まずは奴等を捕らえて、早くここから移動すべきかと。ここは砦からあまり離れておりませぬ。このままでは、いつ砦の駐屯兵(ちゅうとんへい)に気付かれるかもわかりませぬぞ」

そう光嚴(コウゲン)が厳しい表情で進言(しんげん)すると、小太りの男はチッと鋭く舌打ちをし、面倒臭そうに手を振った。するとそれを合図にバラバラと、闇商人らが鴻夏(コウカ)達を取り囲み、次々と武器を取り上げ(しば)り上げる。

しかしさすがに鴻夏(コウカ)宝砂(ホウシャ)だけは、(しば)るのが躊躇(ためら)われたのか、鴻夏(コウカ)はそのまま宝砂(ホウシャ)を抱いたまま付いてくるよう(うなが)された。

こうして鴻夏(コウカ)達は無傷のまま、闇商人兼盗賊達と『殿下』と呼ばれる月鷲(ゲッシュウ)要人(ようじん)、そして砦の裏切り者の光嚴(コウゲン)に捕らわれたのである。



しかしその場に居た誰もが気付かなかったが、その様子を離れた場所から(うかが)っている者達が居た。彼等は闇商人らに気付かれないよう細心(さいしん)の注意を払いながら、この後どこに移動するのかを密かに見届けようとしている。

そしてその中の一人が、ひどく面倒臭そうにこう呟いた。

「あ〜あ、やっちゃったねぇ。()りにも()って、鴻夏(コウカ)様に手を出すなんて命知らずな…。こりゃあ(レン)が怒り狂うね」

そうボヤいたのは、亜麻色(あまいろ)の短い髪に青い瞳の小太りの男。呑気(のんき)な口調とは裏腹に、その瞳は蛇のように冷淡で、闇商人らを隙なく見張りながら事の成り行きを見守っている。

言うまでもなくそれは、現 風嘉(フウカ)璉瀏(レンリュウ)の側近である(タイ) 樓爛(ロウラン)であった。そんな彼に向かって、部下の一人がオロオロと声をかける。

「あ…あの、樓爛(ロウラン)様…」

「ん〜、何?」

「その…よろしいので…?このままだとお妃様が奴等に連れ去られてしまいますが…」

そう恐る恐る進言(しんげん)すると、樓爛(ロウラン)はそれすらも面倒臭いとばかりにこう答える。

「だぁって仕方ないじゃない?助けようにも結構な距離あるから間に合わないし、それに私が(レン)から受けた命令は、闇取引ルートの解明と殲滅(せんめつ)だからさ?奴等を泳がせて、本拠地まで案内してもらわないと困るんだよねぇ」

「…!そ、それではお妃様を(おとり)に…っ⁉︎」


何でもない事のように答える樓爛(ロウラン)に、思わず部下が驚くと、その言い方にカチンときたのか、少し不機嫌そうな顔で樓爛(ロウラン)が答える。

「…あのねぇ、人聞きの悪い事言わないでくれる?あいつらが勝手に、鴻夏(コウカ)様にまで手を出したの。私はたまたまそれを遠くから見掛けただけ…違う?」

ニヤリと人の悪い笑みを見せながら、樓爛(ロウラン)が得意げにそう語る。もちろん今の事態は樓爛(ロウラン)が狙って作ったものではないが、すでに起こってしまっているものは仕方ない。

あとはいかにこの事態を利用し、そこから最大限の効果を引き出すかである。

その為には例え主人の身内であろうと利用するのが、この(タイ) 樓爛(ロウラン)という男であった。

しかし樓爛(ロウラン)はふいに考え込むと、誰に言うでもなくポツリとこう(ひと)りごちる。

「まぁ…でも一応 (レン)には報告しておくかな?でないと後が怖いからねぇ」

そう言うと樓爛(ロウラン)は手早く報告の手紙を書き、後ろに控える黒髪の男へと話しかける。

燈牙トウガ。悪いんだけどさ、ちょっとこの事態を報告しに、(レン)のところまで行ってきてくれるかなぁ?」

ピラピラと報告の手紙を振りながらそう頼むと、長めの前髪で顔半分を隠した男は、鬱蒼(うっそう)とした視線を樓爛(ロウラン)に送りながらこう告げる。

「…承知」

そう短く答えると、燈牙トウガと呼ばれた男は樓爛(ロウラン)の手から手紙を引ったくり、一瞬でその場から姿を消した。

驚いて先ほど文句を口にした部下が、慌てて周囲を確認するが、燈牙トウガの姿はすでにない。


「ろ…樓爛(ロウラン)様、先ほどの彼はどこに…⁉︎」

「あぁ、君は会うの初めて?彼はねぇ、私の『影』なの。ちょっと愛想(あいそう)(わる)いのが(たま)に傷なんだけど、仕事は出来る子だから心配は要らないよ」

(なご)やかにそう答えると、樓爛(ロウラン)はすぐその表情を改め、無言でジッと前を見据えた。

その視線の先には闇商人らに引っ立てられ、どこかに連れ去られようとしている鴻夏(コウカ)達の姿がある。

「…さぁて、奴等の巣はどこかな?ちゃんと案内してもらわないと、困るんだよねぇ」

冷たくそう言い放つ樓爛(ロウラン)は、普段のふざけた雰囲気など微塵(みじん)も感じさせないほど、冷酷な表情を浮かべていた。そしてその表情を見た途端、彼の部下達は声もなく凍り付く。

その(なご)やかな口調と表情に(だま)されがちだが、元々 樓爛(ロウラン)は西方領の海を拠点として活動する海上商人の一人であった。

そしてその当時の海上商人らは、時と場合によっては海賊行為も辞さないような荒っぽい連中の集まりで、その中でも樓爛(ロウラン)は西方一の権勢(けんせい)を誇る武装商人だったのである。

彼の渾名(あだな)である『白鯨(はくげい)』はその当時に付けられたもので、(ちまた)では彼に(にら)まれたが最後、塵一(ちりひと)つ手に入らないと言われていた。

そしてそんな男が実に楽しげに、獲物を見つけた蛇のような目でこう語る。


「フフッ…。盗賊(とうぞく)(まが)いの闇商人達と海賊(かいぞく)(まが)いの武装商人、果たしてより強いのはどちらかな…?」

そう言って自らを揶揄(やゆ)するように呟いた樓爛(ロウラン)の耳に、やけに自信有り気な答えが響く。

「そりゃあ、うちらが上に決まってますぜ、お(かしら)。あんたが居て負けるはずはない」

そう言いながら現れたのは、樓爛(ロウラン)が武装商人の頃から仕えている西方領の部下達だった。

今でこそ西方領を治める樓爛(ロウラン)の側近として、彼等も風嘉(フウカ)の西方軍に属しているが、元々は商人兼海賊であった男達である。

日に焼け、あちこちに古傷が目立つ強面の男達は、目の前に居る闇商人らよりよっぽど悪役が似合う容姿だった。そしてそのあまりの迫力にビビりまくる周囲を他所(よそ)に、樓爛(ロウラン)は深い溜め息をつきながら文句を垂れる。

「…あのねぇ、いい加減そのお(かしら)って呼び方をやめてくれない?そう呼ばれると、まるで私の方が悪役みたいじゃない」

「似たようなもんだろ?あんたが普通だなんて、ここに居る誰も思っちゃいないぜ?」

ニヤニヤしながらそう返してくる部下達に、樓爛(ロウラン)は文句を言いたげな視線を投げる。

けれどそれ以上は口に出しては言わず、樓爛(ロウラン)は彼等に向かって別の内容を指示した。

「そんな事より、奴等に鴻夏(コウカ)様を人質に取られた。万が一にでも御身(おんみ)に傷が付く事がないよう、お前達も心して当たれよ?」

「おう、任してくれ!」

そう口々に答える部下達を尻目に、樓爛(ロウラン)は再び遥か前方を見据える。

「さぁ…楽しい狩りの始まりだ。久し振りに血が騒ぐねぇ」

そう呟いた樓爛(ロウラン)の目に映るのは、闇商人兼盗賊の集団と月鷲(ゲッシュウ)要人(ようじん)と思われる小太りの男、そして裏切り者の砦の金庫番 光嚴(コウゲン)

この日 風嘉(フウカ)の南方領の草原で、西方領の海の支配者たる『白鯨(はくげい)』が、久し振りにその真の姿を現そうとしていた。





陽が大きく傾き始めた頃、闇商人らに捕らわれた鴻夏(コウカ)達は、遥か昔に廃村になったと思われる小さな村まで連れて来られていた。

彼等に捕らえられてから、徒歩で三十分ほども歩かされただろうか?

思ったより砦からそう遠くは離れていない場所で、彼等は待たせていた仲間達と合流し、その数はすでに百人を超えていた。

一体いつからこの場所を根城(ねじろ)にしているのか、他にもこういった場所があるのはわからないが、これだけの人数が何の問題もなく駐屯(ちゅうとん)出来ているとなると、どうやら昨日今日の話ではないらしい。

またここだけでも、かなりの人数が月鷲(ゲッシュウ)側から風嘉(フウカ)へと流れてきているらしく、そういった状況がわかってくるにつれ、自然と鴻夏(コウカ)達の表情は暗くなっていった。

「…思ったより数が多いね…」

眉を(しか)めつつ暁鴉(ギョウア)が厳しい表情でそう呟く。

鴻夏(コウカ)の命令で敵と()り合う前に投降した為、怪我人こそ出なかったが、数的に更に不利になったのは否めなかった。やはり敵わないまでも最後まで抵抗すべきだったかと後悔したが、鴻夏(コウカ)は静かに首を振ってこう答える。

「皆に怪我がないのが一番よ。大丈夫、砦の方でも私達が居ない事に気付いて、探してくれているはずよ。とにかく助けが来るまで、時間を稼ぎましょう」

そう鴻夏(コウカ)(なぐさ)めたが、すでに暁刃(アキト)達の不安は大きく(ふく)らんでいたらしい。すぐに控えめながらも、觜絡(シラク)がこう反論してきた。


「しかし鴻夏(コウカ)様…。砦の者が助けに来たとしても、焼け石に水ではありませんか?まさか砦の者達もこんな大人数の敵が駐屯(ちゅうとん)しているなんて、思ってもいないでしょう…?」

皆を代表するかのように觜絡(シラク)がそう告げると、途端に場の空気が(なまり)のように重くなる。

しかし鴻夏(コウカ)()えて自信有り気に微笑むと、きっぱりとこう言い切った。

「…大丈夫よ。今この南方領には無敗の武帝である『白龍(はくりゅう)』が居るわ。(レン)がきっと助けに来てくれる…。それまで皆で頑張るのよ」

そう鴻夏(コウカ)が告げると、暁鴉(ギョウア)もその言葉を後押しするかのように力強くこう語る。

「そうさ、ここはうちの(あるじ)の本拠地。『風嘉(フウカ)白龍(はくりゅう)』が支配する草原だよ?大丈夫、うちの(あるじ)は決して仲間を見捨てない。すぐに助けが来るさ」

そう言ってはみたものの、暁刃(アキト)達の不安はまったく解消されなかったようだ。

すぐに疑わしげな視線を向けながら、暁刃(アキト)鴻夏(コウカ)に気を使いつつもはっきりとこう返す。

「…お妃様には申し訳ないが、俺はあまり『白龍(はくりゅう)』の事を信用していない。数多(あまた)武勲(ぶくん)にしても、たまたま運が良かっただけではないかと思ってる。だから今この状況で、彼に過剰に期待するのは無しでお願いしたい」

そう暁刃(アキト)が告げると、同じ気持ちだとばかりに他の若者達も大きく頷く。

それを見て、鴻夏(コウカ)は深い溜め息をついた。


確かに(レン)の事をよく知らない暁刃(アキト)達にしてみれば、普段優しく穏やかな雰囲気を(まと)う彼に、疑問を持つのは無理からぬ事であった。

実際に鴻夏(コウカ)自身も、初めて出会った時は彼が璉瀏(レンリュウ)帝本人だと気付かなかったほどである。

まさか(まと)う雰囲気一つで、ああも豹変(ひょうへん)出来るものなのかと驚いたものだが、今はそれが裏目(うらめ)となってしまい信憑性(しんぴょうせい)がなくなっている。

おそらくその目で見るまで、暁刃(アキト)達は決して(レン)の実力を信用しないだろう。

そうなると大人しく彼等をここに(とど)め置き、ひたすら救出されるのを待つのは、意外と困難な事かもしれないと密かに鴻夏(コウカ)は思った。

『…多分大人しく助けを待つのが、最善の策なんだろうけれど…きっと彼等は納得しないんでしょうね…』

自嘲気味(じちょうぎみ)にそう思った時、ふいに鉄格子(てつごうし)の外から声が掛かった。

「おい、そこの女達!出ろ、殿下がお前達をお呼びだ」

ハッと視線を向けると、明らかに鴻夏(コウカ)達を見ながら門番と(おぼ)しき男が手招きをしている。

その途端、牢の中に緊張の波が走った。

そしてすぐさま抵抗しようとする暁刃(アキト)達を抑え、暁鴉(ギョウア)(しら)々しくこう聞き返す。

「…女って、あたしらだけ?それともこの子もかい?」

「いや、子供はいい。お前とそこの黒髪の女だけ付いて来い」

ぶっきらぼうにそう返すと、門番の男は少し苛立ったように再度手招きをした。


思わず顔を見合わせ、鴻夏(コウカ)は目線で暁鴉(ギョウア)に指示を(あお)ぐ。すると暁鴉(ギョウア)が無言で頷いたので、鴻夏(コウカ)は意を決して立ち上がった。

「お妃様…いけませんっ!」

慌てて暁刃(アキト)が止めようとするが、鴻夏(コウカ)は意志の強い目でそれを制する。そして暁刃(アキト)を安心させるかのように微笑むとこう答えた。

「大丈夫です。一人ではありませんし、どの(みち)交渉は避けられませんもの。…私が貴方(あなた)がたを護ります。貴方(あなた)がたはここで待っていてください」

「お妃様…っ、しかし…!」

慌てて止めようとした暁刃(アキト)達を目線で制し、鴻夏(コウカ)は力強く命令する。

「無駄死には許しません。私達は全員生きて帰るのです!そのためにも貴方(あなた)がたは、大人しくここで待っていなさい」

「お…お妃様…」

もはやそれに答えようともせず、鴻夏(コウカ)は真っ直ぐ前を見据えた。そして暁鴉(ギョウア)のみを伴い、唯一の出入り口である鉄格子(てつごうし)の前に立つ。

ギギィ…と鉄が(きし)む音がして、鉄格子(てつごうし)の扉がゆっくりと開いた。

「…早く出ろ。殿下がお待ちだ」

再度男に促され、鴻夏(コウカ)は静かに扉を(くぐ)る。

続いて暁鴉(ギョウア)も無言で(くぐ)り抜け、二人が大人しく牢の外に出ると、再び扉がガシャンと大きな音を立てて閉じられた。

そして扉の外では、すでに抜剣した十名ほどの男達が、扉を取り囲むように待機していて、すぐさま鴻夏(コウカ)達に切っ先を向けてくる。


「付いて来い」

短く男達にそう命令され、鴻夏(コウカ)暁鴉(ギョウア)と共に歩き出した。その背中に向かって、暁刃(アキト)達の悲痛な叫びが牢に木霊(こだま)する。

「お…お妃様…!」

ガシャンと背後で、鉄格子(てつごうし)に何かがぶつかる音が響く。おそらく暁刃(アキト)達が、鉄格子(てつごうし)に取り(すが)っているのだろうと思ったが、()えて鴻夏(コウカ)は振り向かずにそのまま歩き続けた。

「お妃様…っ、お妃様…ぁ!」

哀しげな声に背を向けながら、鴻夏(コウカ)(わず)かに震える手を強く握り締める。

それを見て、そっと暁鴉(ギョウア)が声を掛けてきた。

「…大丈夫だよ、鴻夏(コウカ)様。あんたは必ずあたしが護る」

「ええ、暁鴉(ギョウア)…でも約束して?無茶は絶対にしないで。貴女(あなた)も私と共に無事に帰るのよ」

後ろに立つ暁鴉(ギョウア)に視線をやりながら、鴻夏(コウカ)は静かにそう答えた。まるで自分の命に代えても護ろうと決めていた、暁鴉(ギョウア)の気持ちを読んだかのような台詞にハッとして鴻夏(コウカ)を見返すと、キラキラとした金の瞳が暁鴉(ギョウア)を射抜く。

「…わかったわね?貴女(あなた)が私の『影』になった時点で、貴女(あなた)の命も私のもの。勝手に捨てるなんて許さないわ」

「…鴻夏(コウカ)様…」

ゆらりと再び鴻夏(コウカ)の周りに、朱金(しゅきん)(ほのお)のようなオーラが立ち昇った。

まるで伝説の鳳凰(ほうおう)が翼を広げたかのような錯覚(さっかく)(おちい)り、暁鴉(ギョウア)は思わず鴻夏(コウカ)を見返す。

後の世に『風嘉(フウカ)紅凰(こうおう)』としてその名を残す鴻夏(コウカ)が、今ゆっくりと本来の姿に目覚めようとしていた。

続く

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