春
ゴールデンウィークまであと二週間。
俺がガウリカに出会ったのはそんな時期だった。
◇ ◇ ◇
バイトを終えて帰宅すると、祖父が主催する俳句の会がいつも以上ににぎやかに行われていた。近所のジジババを集めて行われているその会は、歴史だけは二十年と長いが、同好会レベルの素人集団であり、言ってみれば高齢者のボケ防止活動の一つだった。
「毅、ちょっとこい」
「んだよ?」
晩飯を食おうとしていたら、祖父に呼ばれた。首をかしげながら庭のプレハブ小屋へ行くと、従姉で居候の若菜と、初めて見る外国人の若い女性がいた。
「彼女、インドから留学してきたガウリカ。うちのゼミに入ったの」
俺の視線に気づいた若菜が、外国人の女性を紹介してくれた。
若菜は地元の大学の文学部に入学し、今は大学院に籍を置く研究者の卵だ。専攻は――聞いたことはあるが覚えていない。
ガウリカは若菜が通う大学へ留学してきたそうで、年も近いので若菜がいろいろと面倒を見ることになったそうだ。
俺が「あ、どうも」とそっけない返事と会釈をすると、ガウリカは立ち上がり両手を合わせて丁寧に一礼した。
「初めまして、ガウリカです」
「ガウリカ、これが従弟の毅。当家の歴史の中でも、最強の自宅警備員よ」
若菜による意味不明の、すこぶる嫌味な紹介にびくともせず、ガウリカは柔らかな笑顔を浮かべた。
賢そうだな、というのが第一印象だった。
女性に対する第一印象で、かわいいな、とか、美人だな、といった容姿以外の感想を持ったのは、彼女が初めてだった。
◇ ◇ ◇
ガウリカの専攻は「詩」だった。
「詩」と言えば、俵万智とか宮沢賢治とか、まあそういった人が作った散文のものが思い浮かぶが、ガウリカたち研究者の言う「詩」はもっと範囲が広く、和歌や俳句も含まれる。というか、そういう韻文の方が詩としての歴史は長いらしい。
ガウリカが日本へ留学して来たのは、俳句を研究するためだった。
世界に類を見ない、たった十七文字の詩。それが、ガウリカにとってはたまらない魅力にあふれているらしい。若菜から祖父が主催する俳句の会のことを知り、庶民に根付いている俳句に触れてみたい、とやってきたそうだ。
「で、用は?」
祖父や従姉の影響で多少は詳しいが、俺自身は俳句にそれほど興味を持っていない。この会にも参加したことはない。呼ばれた理由がわからなかった。
「ちょっとお題を出してくれ」
「お題?」
俳句の会では、毎回決まったお題を出して俳句を詠み批評し合う、という形で活動している。今回は若者、しかも外国人が参加するとあって、全員がお題を出して詠み合う、という形にしたそうだ。
「一周してしまってな。何かいいお題はないか」
ホワイトボードに書き出されたお題を見て、俺はため息をついた。参加者はガウリカや若菜を含めて八名。ぱっと思いつくお題はたいてい出ていた。
「んなこと言われてもな」
めんどくせえな、と思った。ガウリカがいなければ「知るか」と言って戻ってしまっただろうが、自制した。そんなことをしたら「恥をかかせたな」と若菜が後で怒鳴り込んでくるのが目に見えている。
仕方がない、と俺は腕を組んだ。
俳句でお題と言えば、季節を感じさせるものが定番。季節は春。さて思いつかない。ふむ困った。さっさとお題を出して、晩飯を食いたいのだが。
「あ」
晩飯、で思いついた。
さきほどスーパーで買ってきた、寿司セットに入っていたネタの一つだ。俺は若菜から季語辞典を借り、間違いないと確認して一堂に告げた。
「じゃ、ウニで」
「ウニ?」
「春の季語なんだよ」
「え、そうなの?」
若菜が季語辞典を見て「ほんとだ」と驚いた。ウニの旬は夏場だから夏の季語のように思えるのだが、なぜか春の季語になっている。理由は知らない。
「じゃ、がんばってくれ」
義理は果たした。俺はやれやれと踵を返し、台所へ戻ろうとしたのだが。
「あのう、お聞きしても?」
ガウリカがおずおずと手を挙げ、俺を引き留めた。
「ウニ、て何ですか?」
インド人にウニを食べる習慣はないということを、俺はその時初めて知った。