第三章 触れたくて⑧
夕姫が大空洞に入ったとき、アルフェリカは大いに慌てた。
目に見える範囲だけでも無数の横穴があり、そこから獲物を狙う赤い輝きが穴の数以上にあったから。
想像以上の数。いくら『妖犬』のランクがDでも、これほどの数の群れに襲われたら危険度はランクAの魔獣と相違ない。
戦い慣れていない夕姫が対応できるわけがない。
「夕姫、逃げて!」
とっさそう叫んだことは間違いだとは思わない。けれど夕姫は一瞬だけこちらを見て――嘲笑った。
逃げたければ一人で逃げろと。向けられた紫色の瞳が確かにそう言っていた。
夕姫のあんな顔を見たのは初めてだった。
躍りかかってきた一匹の『妖犬』を瞬殺し、神名の輝きを纏う。
蹂躙が始まった。
自分と同じくらいの岩塊をボールのように弾き飛ばして轢殺。それを掻い潜って迫る『妖犬』を、拳で撃ち、蹴り飛ばし、掴み、投げ、寸鉄を叩き込み、武器を奪って振るい、その武器を投擲し、時に魔力素結晶や石を投げつけ、囲まれれば壁を足場に縦横無尽に駆け巡る。
夕姫が一つの動作をする度に一つ以上の魔力素結晶が地面を転がった。数で圧倒する魔獣は夕姫を捉えることができず、気がつけば隣の仲間が命を散らしていく。
恐怖とは無縁であるはずの魔獣もこの異様な状況に戦慄を禁じ得なかった。
あんなモノどうにかできるわけがない。あんなモノに敵うはずがない。戦おうとするだけで死が運命付けられる。
一匹の『妖犬』が逃げようとした。逃げようとしたとき岩塊が降ってきて圧殺された。
空洞を駆ける紫の双眸が暗闇に妖しく灯る。
イッピキタリトモニガサナイ。
その眼を見たアルフェリカは全身が総毛立った。
鬼神の如き夕姫の戦いに目を奪われていると背後で『妖犬』の悲鳴が聞こえた。
「アルフェリカ! 呆けている場合じゃないぞ!」
輝からの檄にはっとなる。見れば機械鎌でねじ切られた『妖犬』首が足元に転がっていた。
いつの間にか取り囲まれている。
そうだ。今はこの魔獣を狩ることが第一。他のことは後回しだ。
即座に頭を切り替えると【白銀の断罪弓刃】を手に群れの中に飛び込んだ。一刀ごとに魔力素結晶が量産されていく。
三人が『妖犬』を仕留めていくほど空洞内は極彩色に彩られていく。魔獣さえいなければきっと誰もが見惚れるに違いない幻想的な光景。
しかし魔力素が長時間漂うというのは別の危険を示唆している。
「再構成だ! 警戒しろ!」
大空洞を埋め尽くす魔力素が渦を巻いて収束した。質量を獲得して現れたのは『妖犬』の二倍ほどの体躯を持つ上位種。
それが三体。
「『人狼』! ランクBだ! 油断するな!」
「了解!」
再構成を確認してすぐさまアルフェリカは双剣を振り下ろす。たとえランクBだろうが覚醒体の力の前では脅威にならない。
だがその思惑は外れ、『人狼』は一歩身を引くだけで頭上からの断頭の刃を躱してみせた。そしてくるりと反転すると、技後硬直で動けないアルフェリカに尾を叩きつける。
魔獣の回避行動を予期していなかったアルフェリカはその直撃を受けて吹き飛ばされた。岩の支柱を突き抜け、そのさらに向こうの横穴に突っ込む。
「アルフェリカ!?」
支柱が崩壊する音に混ざって輝の声が聞こえた。
そんな心配そうな声を出さなくても大丈夫。横穴に突っ込んだのも功を奏した。白装束から露出している部分は擦り剥いたし、頭も少し切ったけど――それだけだ。
なるほど。油断した。まさか魔獣が死角からの攻撃を回避するとは考えてもいなかった。
だが周囲を警戒して攻撃を躱す魔獣が存在することはいま学んだ。
なら次はない。
すぐに身を起こし横穴から飛び出す。『人狼』は輝に狙いを定めようとしていた。
させない。
全身に神名を巡らせて〝断罪の女神〟の力を解放。背後からの強襲。動物故の鋭い勘でそれを察知して『人狼』が身体を傾けた。双剣のリーチでは届かない。
流星の如く落下しながらすれ違うアルフェリカを『人狼』が嗤った気がした。
嗤うならこれを躱してみせろ!
「断罪――三日月の断頭!」
双剣から放たれる二つの三日月。顎下から放たれた断頭台の刃が『人狼』の首の上で交差。断頭刑が執行された。
宙を舞う頭部はまるで驚愕を浮かべているかのよう。
再構成後の再構成はない。残り二匹。
「法則制御・四重奏――対物障壁・多重展開――対魔障壁・多重展開――術式編纂・構成強化――魔力圧縮・炸裂解放」
輝の詠唱と共に機械鎌が四つのシリンジから惜しみなく魔力を吸い上げる。多重に展開された二種類の障壁が牢獄となって『人狼』を捕らえ、【英雄の証明】で強化された【弱者の抵抗】が牢獄内で魔力を炸裂させた。
大爆発。大空洞を破壊しかねない大威力の魔力の爆発は、されど二つの障壁によって全てのエネルギーが檻の中に閉じ込められる。
文字通り木っ端微塵となった『人狼』は魔力素結晶に変わり果てる他ない。
残り一匹。
その一匹の姿を探して、アルフェリカは絶句した。
ある一点に『妖犬』が集中していた。そのさらに中心部から『妖犬』があっちこっちに飛んでいく。飛んだ『妖犬』は、岸壁に、支柱に、激突してその瞬間に絶命していく。
その中心部で吹き荒れる暴力の嵐。身の丈を優に超える『人狼』の足を掴み、棍棒のように片腕で振るう夕姫の姿。
『妖犬』が飛ぶたびに骨が砕ける音がする。武器として扱われている『人狼』は既に瀕死。上位種であるが故の耐久力が仇となり、もはや抵抗も叶わず、生きた鈍器として死ぬまで酷使されるであろうことが想像できた。
魔獣相手に同情してしまうほどに惨たらしい光景だった。
上から何かが降ってきた。砂のように細かい岩のかけら。天井を支える岩の柱に亀裂が入っていく。
アルフェリカは顔を蒼褪めさせた。夕姫を止めようと声をあげようとしたとき――
「えぇぇいっ!」
可愛らしい掛け声と共に『人狼』が一際強く『妖犬』の群れの中に叩きつけられた。
それが『人狼』と大空洞へのトドメとなった。叩きつけられた『人狼』の巨体が地盤を砕く。衝撃が支柱の亀裂に伝播して次々と自壊し始めた。
すなわち大空洞の崩落。
その被害を真っ先に受けたのは輝だった。彼の頭上に大岩が降り注ぎ、瞬く間に姿が見えなくなってしまう。
「ひかっ――っ!」
名を呼ぶ間もなくアルフェリカにも同じ危険が迫っていた。このままでは全員が岩の下敷きになってしまう。
即座にそう判断したアルフェリカは崩落に対応できずにいる夕姫の手を掴んで大空洞からの脱出を図った。
問答どころか名を呼ぶ余裕すらもない。ただがむしゃらに大空洞の出口に身を投げ込む。
大丈夫。輝ならきっと大丈夫。
アルフェリカは自分に強くそう言い聞かせるしかなかった。
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