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贖罪のブラックゴッド 〜神への反逆者〜  作者: 柊 春華
~秘めたる想いは絆となりて~ 第三章:触れたくて《エンブレイス》
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第三章 触れたくて⑦


 準備を整え、輝、アルフェリカ、夕姫の三人は坑道にやってきた。


 輝はいつも通り機械鎌と血液の入ったシリンジを。


 アルフェリカは【白銀の断罪弓刃】(パルティラ)を顕現させて。


 夕姫は【衝撃】(インパクト)の術式が刻まれた鋼の小手を両手に装着している。


 そのほかは三日分ほどの飲み水や食料。照明器具やロープなど簡単な道具も揃えてある。


 万が一、坑道から出られなくなったときの備えだ。もし自分たちが今日中に戻ってこなければ、捜索隊を編成するように城の者には伝えてある。


 輝が先頭を歩いて進路の安全を確保し、その後ろで地図を持った夕姫がナビし、最後尾のアルフェリカが背後からの襲撃を警戒する。


 その隊列を維持しながら、地図に記された『妖犬』(コボルト)の目撃場所を目指して、奥へ奥へと進んでいく。


 坑道の中は照明があるとは言え薄暗かった。いまにも寿命を迎えそうな照明がいくつも見受けられ、坑道内が明滅する様子は必要以上に不安を駆り立てる。目に見えない粉塵が漂うため空気は埃っぽく、息を吸う度に口の中がざらつくような気がした。


 鉱夫は得てして肺の病気に(かか)りやすいという。おそらくはこの埃っぽさが肺に悪影響を与えているのだろう。


 これが終わったら何か対策を講じたほうがいいかもしれない。ここの労働者が病気で倒れていくような事態を未然に防げるように。


 そう思いながら一同は歩き続ける。警戒は怠らない。都市の内部とはいえ、魔獣が確認されている以上、ここは外となんら変わりない。横穴から、背後から、あるいは真正面から、襲撃を受ける可能性があるのだ。


 それがわかっているからか、アルフェリカと夕姫もずっと周囲に気を張っている。


 もともと狩人であるアルフェリカはともかく、教えてもいない索敵を実践できている夕姫は称賛に値する。もしかするとウォルシィラのアドバイスだろうか。


 やがて坑内を照らす照明が設置されていないところまで辿り着いた。暗闇の中で息を潜める何かにジッと見つめられているような、そんな感覚になってくる。


 輝はあらかじめ用意しておいたランタンを灯した。魔力素(マナ)結晶を燃料にする光の魔術であるため、引火や一酸化炭素中毒などの心配はない。手が塞がらないように腰の留め具にかけておく。



「行くぞ」



 肩越しに声をかけると二人は頷いた。地図とランタンの光を頼りにさらに奥へと進んでいく。


 道幅や天井の高さが思ったよりもあるのは幸いだ。十全とは言えないが機械鎌を振るうことはできなくもない。


 腐臭。この先にあるモノを想定して輝は夕姫に声をかけた。



「夕姫、気を強く持てよ」



 鼻が曲がるような臭いに顔を(しか)める夕姫も、輝が言っている意味を理解して固唾(かたず)を吞む。


 予想していた通り、それはそこにあった。


 死体だ。損壊が激しく、ほとんど骨しか残っていない。頭蓋に残った肉に集る蛆が(うごめ)く様子が眼孔から覗き見える。手足は肉と共に引き千切られ、その骨だけが散らばっていた。


 自然の摂理に飲み込まれた動物としての死だ。そこにはおよそ人間としての尊厳などない。


 それを見た夕姫は壁際に走り寄って(うずくま)った。苦しそうな声と共にびちゃびちゃと水音が聞こえる。


 アルフェリカが駆け寄ってその背中をさすり、胃の内容物を全部吐き出させた。



「大丈夫?」


「うん、ありがと、アルちゃん」



 少し顔を白くしながらアルフェリカから水を受け取って口をすすぐ。腐乱した死体を見ようとはしなかった。



「おそらくまた目にすることになる。もし耐えられそうにないなら戻ったほうがいい」



 それは夕姫を案じてのことだったが、彼女は首を横に振って拒んだ。



「だいじょうぶ。ちょっとびっくりしただけ。いけるよ」


「……わかった」



 額を汗で濡らし、死体から目を逸らす様子はとても説得力に欠ける。もしまた同じ反応を見せるようなら今日は中断し、明日にアルフェリカと二人で出直すことにしよう。


 夕姫はあまり死体への耐性はないようだから。



「アルフェリカ。俺は夕姫を支える。先頭を頼む」


「わかったわ」



 輝からランタンを受け取ったアルフェリカは同じように腰の留め具にそれをかけた。両手の【白銀の断罪弓刃】(パルティラ)を握り直して歩き始める。


 輝は夕姫の隣に立ち、彼女から遺体が見えないよう位置取りしながらアルフェリカの後に続いた。夕姫には変わらず地図を見てナビを続けてもらう。


 先ほどの遺体を見てから夕姫は輝の腕にずっとしがみついていた。本人に自覚があるかどうかは知らないがいまも微かに震えている。


 守護者として『ティル・ナ・ノーグ』に迎えられたとはいえ、普通の女の子と変わりのない姿は記憶が教えてくれる彼女とまったく同じ。


 慣れていく嗅覚を嘲笑うかのように腐臭はどんどん増していく。血痕、争いの跡、遺体、そして魔力素(マナ)結晶。


 それは此処で魔獣に遭遇し、戦いがあったことを示唆していた。


 いつ魔獣に襲われるかわからない。


 輝もアルフェリカも警戒を強める。震えている夕姫にはあまり期待しないようにした。彼女を戦力ではなく、守るべき者という前提で状況に対処する心算(こころづもり)でいたほうがいい。


 不意に前を歩いていたアルフェリカが曲がり角で立ち止まった。



「……輝、来て。夕姫は見ないほうがいいわ。これはあたしも戻しちゃいそう」



 提案に従って輝は夕姫に待っているように言ってからアルフェリカのところまで行く。


 少しだけ開けた部屋のような空間。採掘場というよりもまるで資材置場のようだった。


 そしてそこに置かれているものを見て輝は顔を歪めた。なるほど。夕姫に見せないほうが良いというのはその通りだ。


 女性の遺体が並んでいた。人数は六。いずれも腹部が破裂したような状態だった。腐敗具合から見て死後半月ほどだろうか。



「アルフェリカは夕姫を頼む」


「うん」



 口元を押さえるアルフェリカもこの惨状は見るに耐えないのだろう。指示通りに彼女は夕姫の待つ場所に戻った。


 輝は遺体を調べてみた。腐敗しているが此処に来るまで目にした遺体に比べると損壊が少ない。最も酷い腹部を覗き込んで見ると、女性にしかない臓器が内側から引き裂かれたかのようにぱっくりと割れていた。他の遺体も同じ。


 ギルド長は、『妖犬』(コボルト)はいま繁殖期だと言っていた。


 つまり、そういうことだ。


 そしてこの部屋が死体遺棄場ではないとしたら――



「輝!」



 アルフェリカの呼ぶ声。輝はすぐに機械鎌を展開して駆け出した。


 灰色の体毛。見た目は犬か狼。獣に相応しい耳と尻尾。大きさは人間の子供よりやや大きい程度。人間のように二足の足で地面を踏みしめ、片手にはツルハシが握られている。


 魔獣『妖犬』(コボルト)。その数は八匹。


 唸りながら涎を垂らす様子は飢えた獣そのままだ。



「夕姫を守れ、アルフェリカ!」



 数で劣るとはいえランクDの魔獣に遅れを取るほどではない。幸い此処は機械鎌を振れるだけの広さがある。魔術を使うまでもない。仮に討ち漏らしても背後に控えるルフェリカの敵ではない。


 『妖犬』(コボルト)の集団に輝は突撃する。まずは先頭の『妖犬』(コボルト)の首を刎ねるべく機械鎌を振るおうとしたとき――



「なにっ!?」



 『妖犬』(コボルト)たちは輝には目もくれず、アルフェリカと夕姫へと向かった。


 真っ先に彼女たちを狙ったということは、彼女たちを子孫繁栄のための苗床にするつもりか。



「やらせるか!」



 それを阻止すべく無防備に背中を見せる『妖犬』(コボルト)の胴体を真っ二つにする。絶命する『妖犬』(コボルト)魔力素(マナ)結晶に変わるのを視界の端で捉えながら、【英雄の証明】ペイン・オブ・ザ・ブラッドで脚力を【強化】。魔獣に劣らぬ瞬発力で二体の『妖犬』(コボルト)を間合いに収め、一撃でそれぞれの脊椎を抉り取る。


 残り五体。しかしそいつらは間合いの外。【弱者の抵抗】ソード・オブ・ザ・ハートは崩落の危険があるため使えない。輝が追いつくよりも『妖犬』(コボルト)が彼女たちに手をかける方が早い。


 当然、大人しく餌食になるアルフェリカではない。


 銀閃五連。暗闇を切り裂く白銀の剣線が駆け巡り、『妖犬』(コボルト)の首を瞬く間に斬り飛ばした。


 アルフェリカの圧倒的な力に魔獣は為す術もなく七色の粒子となる。



「輝、もしかして鈍った?」


「うぐっ……」



 自覚していたことだが、こうして自分でも目の当たりにしたところへ、いざ指摘されると反論のしようもない。


 外を旅していた頃の自分ならこの程度の魔獣、脇を抜かれたとしても半数以上には手傷を負わせられたはずだ。それが全部に無傷で抜かれたなど無様に過ぎる。



「もう、しっかりしてよね。輝まで戦えなかったらあたし一人の方がいいかもしれないわよ?」



 まったくもって言葉もない。



「つ、次は、私も戦うからねっ!」



 まるで睨むようにアルフェリカを見て夕姫が叫んだ。



「む、無理しなくていいのよ?」


「無理してないもん! 私だって『ティル・ナ・ノーグ』でずっと訓練してきたんだから! アルちゃんにだって負けない! 私だって戦える! 戦えるんだから!」


「わかったわ。わかったからそんなに大きな声出さないで。魔獣が集まって来ちゃうから」


「ふんだっ」



 夕姫はアルフェリカを乱雑に押し退けてずかずかと歩き出してしまった。


 アルフェリカは呆然と立ち尽くしてその後ろ姿を目で追う。



「なにかあったのか?」


「ううん、心当たりはないの。どうして夕姫があんなに怒ってるのかわからない。ただ……」


「ただ?」



 一人で歩いていく夕姫を目で追いながらアルフェリカは躊躇いがちに口にした。



「『アルカディア』で見たときより、夕姫に見える罪の色が強くなってる」




――――☆★☆★☆★――――




 気に入らない。気に入らない。気に入らない。


 憤懣(ふんまん)やる方ない様子で薄暗い坑道を進んでいく。


 気に入らないのはさっきのことだ。


 輝は守ってくれた。自分とアルフェリカを守るために、あんなにもたくさんの魔獣に挑みかかってくれたのだ。魔獣は八匹で輝は一人。全部を一人で何とかすることが難しいことなんて駆け出しの自分にだってわかる。


 それなのにアルフェリカは輝にあんなことを言った。まるで輝が役立たずだったみたいな言い草。


 ひどい。ひどい。ひどい。


 一人で出来るなら最初から一人でやればいい。わざわざ輝を危険な目に遭わせる必要なんてないじゃないか。


 アルフェリカは自分がどれだけ恵まれているのかわかっていない。


 輝に多くの人を殺させて、輝に日常を捨てさせて、それでも輝はアルフェリカを守ろうとしている。


 誰よりも幸福なはずなのに、その幸せに気づいていない。


 ずるい。ずるい。ずるい。


 輝がいなくなった。


 それだけで自分がどんなに胸を痛めたか彼女は知らない。どんなに悲しんで涙を流したのか彼女は知らない。どんなに世界が色褪せてしまったのか彼女は知らない。


 何も知らない。何も知らないくせに。


 輝の隣だけは独り占めしている。


 自分の方が輝を必要としているのに。自分の方が輝を大切に想っているのに。自分の方がずっとずっと輝のことが好きなのに。


 取り返したい。あの時間を、あの日々を、あの平穏を。


 そのためならなんだってする。どんなことでもする。


 だって、やっと会えたんだから。


 だからまずは――


 薄暗闇から唸り声が聞こえてきた。それは一つ二つではきかない。数え切れないほどの唸り声。


 気づけば大空洞のような場所にきていた。頭上の岩盤を支える岩の支柱がいくつもある。見渡せば至る所に横穴が見えた。


 闇から覗く無数の赤い眼光。それらすべてが自分を狙っていた。


 獲物がやってきた。バカな獲物がやってきた。オレたちの巣にノコノコと。


 赤い眼光がそんなことを言っている気がする。



「夕姫、逃げて!」



 背後のアルフェリカがそんなことを叫んだ。


 逃げる? どうして? だって魔獣をやっつけるためにここに来たんでしょ?


 逃げたいなら一人で勝手に逃げればいい。


 アルフェリカの声に反応したのかどうかはわからないが、暗闇から姿を見せた『妖犬』(コボルト)が夕姫に飛びかかってきた。


 とても遅く見えた。


 (あぎと)を開く『妖犬』(コボルト)の顔へ無造作に裏拳を叩き込む。それだけのことで『妖犬』(コボルト)の頭だけどこかに行ってしまった。


 残った身体はそのまま地面に落ちてサラサラと魔力素(マナ)となって崩れていく。足元に転がった魔力素(マナ)結晶を拾い上げて、それを赤い眼光が集まる場所に投げつければ岩壁を貫いて横穴を崩す。



「ギャンっ!?」



 『妖犬』(コボルト)の悲鳴。足場を崩された『妖犬』(コボルト)たちが落下してくる。落下時に岩の下敷きにでもなったか、魔力素(マナ)が立ち昇る様子が見えた。


 まだまだ魔獣はたくさんいる。


 神名の刻印が光を放ち、赤い眼光を挑発した。


 魔獣に駆け引きなどできるはずもなく、挑発されるがままに自分たちの脅威を排除すべく標的に殺到する。


 怯える必要なんてない。怯えている余裕なんてない。アルフェリカなんかよりも役立つところを輝に見せなくちゃいけない。



「あああああああああああああああああああああああああああっ!」



 叫ぶ。目一杯に叫びながら、地面を踏みつけて爆散させる。宙を舞った大きな岩塊を、投げ、蹴り、弾き、目測など着けずに魔獣の群れに叩きつけた。巻き込まれた魔獣は引き潰されて次々と魔力素(マナ)結晶に変わっていく。


 そう、やることなんて決まっている。


 まずは――此処の魔獣を根絶やしにする。


 そうすれば輝くんは褒めてくれるよね?



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