第一章 限られた陽だまりの中⑥
「法則制御――対魔障壁・多重展開」
可能な限り多くの【対魔障壁】を展開。控えていた『ティル・ナ・ノーグ』の部隊員たちも追従してくれる。
守るのは自分だけではない。倒れている少女はもちろん、魔獣と戦闘を繰り広げている者たちも守らなくてはならない。
蒼い輝きがシェルターとなって降り注ぐ雷からみんなを守護する。障壁越しに見る空はまるで天変地異の如く。伝わる衝撃音が終末へのカウントダウンに聞こえた。
間断なく打ち付けられる雷槍が次々と障壁を突き破る。障壁が破壊された負荷により腕から噴き出した血飛沫が頬を濡らす。構う余裕などない。破壊される傍から新たに障壁を展開して雷の雨を凌ぐことに腐心するしかなかった。
血中の魔力を使い切り、空になったシリンジが機械鎌から排出される。装填済みは残り三本。
事態に気づいた狩人たちも【対魔障壁】を展開して援護してくれたが、圧倒的な物量を前にしては焼け石に水でしかなかった。
生命線とも言えるシリンジが一本、また一本と排出されていく。
ついに最後のシリンジが排出され、術式が維持できなくなった。雷槍は障壁をガラスのように打ち砕き、瀑布の如く地上へと降り注ぐ。
「……ぁ……う……」
わずかに聞こえる少女の吐息。
障壁が破られる寸前、輝はせめてこの少女だけでも守ろうと覆い被さった。容赦のない雷の雨からせめて彼女だけでも守るべくその身を盾とする。
すぐ真横で雷が炸裂し、弾けた石の破片が瞼を切りつけた。流血で右目が潰れる。至近距離に落ちる死の一撃に生きた心地がしない。次々と着弾する雷槍は、人間や魔獣の区別なく悉くを蹂躙していく。
落雷の音に交じってあちこちから悲鳴が聞こえてきた。人間は天災に抗えない。破壊の嵐に翻弄されるしかない。
一つの雷が輝を貫いた。
痛みを感じる間も無く意識が暗転し、少女の上に崩れ落ちる。だが激痛によって覚醒を強いられ、背中の灼けつくような痛みに苦悶が喉を通った。
いつの間にか雷は止まっていた。
聴覚がおかしくなったのか。静寂がうるさい。焦げついた臭いが鼻をつき、肺に取り込む空気がやけに埃っぽい。魔獣の姿はどこにもなく、目にしたのは散乱する黒い塊。
それらは全て人の形をしていた。
息がある者もいるが、輝と同じように地面に倒れ伏し、痛みと絶望に喘いでいる。無事な者など誰一人としていない。
だが、この少女を守ることはできたらしい。彼女の息があることに口元が少しばかり綻ぶ。
立ち上がろうと両腕に力を込めた。がくがくと震えてうまくいかない。
「まだ、息があるか……存外にしぶといな、人間……」
ザルツィネルの健在を示す声。だがそれは片膝をつき、苦しげな呼吸を繰り返し、胸を押さえる手は流血に染まり、土気色の肌がもう長くはないことを知らせている。
攻撃が止まったのは術式の維持ができなくなったからだろう。
「だが、これで終わりだ」
天にかざした左腕が帯電する。死して転生できる神は、今生の命よりも眼前の標的排除を優先した。
先ほどの攻撃と同等の魔力。それがただの一撃に込められる。防ぐには【対魔障壁】では足りない。
「人間も、人間に与する女神も、まとめて消し飛ぶがいい」
ギリッ、と奥歯が鳴る。固く握りしめた拳はギシギシと骨を軋ませた。頭に血が上っていき、眼球の奥が赤く染められていく。
人間を悪だと信じて疑わない神々の傲慢さ。それがどれだけの不幸を生み出しているのか理解しようともしない厚顔さ。
この果てなく広がる荒野が目に見えないのか。争いを始めた神々による破壊の爪痕。過剰な魔力素を振り撒き、魔獣という害獣を生み出した元凶。命を落としてなお転生体という形で人間に寄生し、その者の未来を奪い、覚醒体となって人類を恐怖に突き落とす悪霊。
これだけの不幸を撒き散らしておきながら、それでもなお人間を悪と断ずるか。
遠い昔に立てた誓いがあった。助けると誓った。護ると誓った。すべてを救うと誓った。
ならば履行せよ。契約を果たせ。この身が砕け塵と化そうとも、その誓いだけは裏切るな。
それこそが、黒神輝の存在意義なのだから。
「ああああああああああああああああっ!」
叫ぶ。喉が張り裂けそうなほど強く。肺の空気を全部吐き出すまで叫ぶ。
満身創痍の身体で、痛みを堪えて――黒神輝は立ち上がる。
「黙れよ……終わるのはお前だ、ザルツィネル」
左手に三本、右手に一本。携帯していた残りのシリンジ全てを手にし、人間の業を以って神の一撃を迎え撃つ。
左手のシリンジ三本をまとめて握り潰し、それを実現させるための言葉が紡がれる。
「法則制御――術式介入・構成破戒」
血液に溶け込んでいた魔力が機械鎌を介さず放出され、術式へと注がれる。
血の魔力を以って術式が起動した瞬間、自己と世界の境界が崩壊した。
圧倒的な情報の津波が押し寄せてくる。それは理解に及ぶものから及ばないものまで大小様々。ぐるぐると渦を巻いて自我を揺さぶる。
高次元の情報が毒素となって精神を蝕む。制御できない津波は容赦なく意識と理性を溶かしていき、廃人の住処へと引きずり込もうとする。
大量の情報処理に脳が追いつかない。過大な負荷が頭痛という形で術者に襲いかかる。頭蓋をのこぎりで削られた方がまだ耐えられる。凄絶な痛みに狂いそうだった。
意識がドロドロになっていく中、それでも耐えた。そうして幻視した。
世界から流れ込む膨大な情報と知識からザルツィネルの雷の術式を確かに視た。術式を逆算し、構成を紐解く。
術者の意思と関係なく稼働し、すべての工程は一瞬にも満たず完了する。
極大の雷撃は標的に届くよりも早く魔力素となって空気中に霧散した。
「な、にっ……人間が、我が雷を【解呪】しただと!?」
いかに強大な力であろうと、術式を維持できなければその力は発揮できない。
歯を食いしばった。胃からせり上がってきたものを強引に飲み下し、手放してしまいたくなる意識を精神力で繋ぎとめる。
これで終わりではない。シリンジを握る右手に力を込めた。入っているのは血液ではない。
蒼色が混ざる極彩色の液体。
「とっておきだ。俺が得た――人間の力を思い知れ」
主人公は諦めないからこそ強いのです。
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