第二章 繫栄の足元にあるモノ③
「馬鹿じゃないですか!? 馬鹿ですよね!? 馬鹿ですよ!? 王族にケンカ売るってマジなに考えてるんですか!?」
アルフェリカに抱えられて席に戻った輝はイリスに捲し立てられた。耳を塞いでも甲高い声が頭に響く。冗談抜きで今はやめてほしい。
「そんなもの売ってない……アルフェリカを傷つけようとしたから止めただけだ」
「王族ぶん殴るってとんでもないことですよ!?」
「ならあのまま黙って見てた方が良かったってことか?」
頭に響く声で責め立ててくるので思わず苛立ちをイリスに向けた。
「あの男がアルフェリカに何をしようとしたか、それをされたときの苦痛は女であるお前なら俺より想像できるだろ。アルフェリカに、それを我慢しろと言うつもりか」
「そ、そういうつもりでは……」
「じゃあどういうつもりだ」
輝の責めるような追及にイリスは完全に萎縮してしまう。
「あの、黒神様……イリスは黒神様たちを……心配しているだけです。アルフェリカ様が、その……そういう目に遇っても良いだなんて思っていません。ですから、あまり強く当たらないであげてください……」
そんな中レイが助け船を出した。口ごもりながら、しかしはっきりと輝に意見してイリスを庇った。
レイに諭されたことで急速に頭が冷えていく。イリスに何も非はないというのに、これではただの八つ当たりだ。
「すまないイリス。頭に血が上ってた。どうか許してほしい」
輝が頭を下げると、イリスは小さく頷いて目じりに浮かんだ涙を拭った。
「ただ、お前たちとはここで縁を切ったほうがいいかもな」
輝の呟きにレイとイリスは目を丸くした。そう驚くような話でもない。
「経緯はともかく王族に危害を加えたのは事実だ。遠からず俺たちはお尋ね者になるだろう。それに『アルカディア事件』のこともある。一緒にいたら迷惑をかける。だから、な?」
ここでお別れにしよう。言葉にならない声でそう伝える。
イリスとレイは互いに目を見合わせて逡巡する素振りを見せてくれた。存外にそれが嬉しい。この出会いに価値があったと思うことができる。
そして躊躇いながらも、二人は頷いた。
「レイ、手助けを申し出たのに途中で放り出す形になって悪いな」
ふるふるとレイは首を横に振った。
「そんなことは、ありません……黒神様のおかげで少しだけ、勇気を持つことができました。まだ、とても怖いですけど……黒神様とのことを思い出して……一歩ずつ、前に進んでいこうと思います」
「ああ、頑張れよ」
「はい、たった二日でしたけど……ありがとうございました」
その微笑みが唯一の成果かもしれない。いつの日か克服し、心を許せる相手を見つけて、花が咲くような笑顔が浮かべられることを祈るばかりだ。
「レイを頼むな、イリス」
「……輝様なんかに言われるまでもありません」
憎まれ口に元気がない。しかしわかっていても口にするべきではないと思った。
「輝様たちのお人柄は、少しはわかったつもりです。『アルカディア』で何があったのかはわかりませんが、噂ほど悪い人ではないということはわかっています。だから……」
イリスは何かを言いかけて、しかし口を噤んだ。諦めるようにため息をつくと、湿っぽく笑いながら――
「輝様、アルフェリカ様、どうかお二人ともお元気で」
これが別れの挨拶となった。
レイとイリスは輝たちを置いて先に店を出た。
これ以上、一緒に行動しているところを誰かに見られるのは、レイたちにとって好ましくないだろう輝が配慮したからだ。
言っていることはわかる。あの二人と接点を持てば持つほど、この都市で自分たちの立場は危うくなる。最悪ティアノラ博士まで巻き込んでしまうかもしれない。
レイとしてもそれは望むところではなかった。
しかし胸の中はもやもやしたまま。縁を切ったのだから、これから一緒に行動することはもうない。よしんばどこかで出会ったとしても他人のフリをしなくてはいけない。接点を持ってはいけない。
そうすることが自分たちを守る一番の方法なのだから。
「…………ん、レ……ゃん…………レイちゃんってばっ!」
大きな声で名前を呼ばれて我に返る。目の前にはイリスがいた。
「上の空だったよ?」
「そう、でしたか?」
「うん、そうだったよ」
「そうですか」
「うん」
沈黙。
何を話せばいいのかわからない。普段よくしゃべるイリスでさえも口数が少なかった。地面を見つめるように伏せられた瞳は寂しげで、しょんぼりとしているように見える。
「仕方がないことなんだよ」
イリスが呟いた。
「輝様は王族のアレグラに手を上げた。アルフェリカ様を守るためだったけど、あの腐った王族は輝様を反逆罪に問うよ。そんな人に関わっていたら、私たちも巻き込まれるかもしれないんだよ」
だから輝たちと別れた。
「輝様は優しいよね」
「……イリスが殿方を褒めるなんて珍しいですね」
「だって他の男は自分のことしか考えてないんだもん。私を守るって、口だけは達者で、でもいざとなったら私の背中に隠れるし。まあ、私は騎士だから暴漢くらいなんとかできるし、背に庇ったならちゃんと守ってあげるけど……そうじゃなくて、ねー?」
たまには守ってもらいたい。そういう願望が少しばかり透けてみえる。女の子らしくてレイは慈しむように目を細めた。
「正直、輝様に守られるアルフェリカ様が羨ましかったんだ。自分のために世界すら敵にまわすって、言い方は大げさだけど……それでも王族に歯向かうなんて普通できないよ」
しかし輝は歯向かった。口先だけではなく、アルフェリカを守るためにアレグラを殴りつけた。この都市を敵にまわす行為を彼は躊躇わなかった。
それができる人なんてこの都市に、否、この世界にどれほどいるだろうか。
羨ましい。その通りかもしれない。
「私に言い寄ってくる男も、輝様くらい気概があればいいのに」
何だかんだ、イリスは輝のことばかりを話す。憎まれ口ばかり叩いておきながら、本当は彼のことを気に入っていたのではないだろうか。
「きっといつか現れますよ」
「そうだといいなぁ」
イリスは寂しげに笑って、ほのかな希望を口にした。
レイも似たような願いを胸に抱いた。




