第一章 新雪の乙女⑤
輝たちは『オフィール』を目指して南下していた。目的は魔力素結晶の換金、生活物資の補充。可能であれば車両のメンテナンスも行いたい。
ある日突然動かなくなったらそれだけで死活問題である。今まで魔獣に襲われて破壊されなかっただけでも僥倖だ。
都市に入れなかったらその東にあるという村に行くしかない。軍用車両のメンテンスを行えるほどの設備はないだろうが、せめて食料だけでも補充しておきたい。
「あっ、輝! あそこに魔力素結晶が落ちてるわっ。拾っていきましょ」
「相変わらず目がいいな」
アルフェリカが指差した先に目を凝らすが、魔力素結晶らしきものは何も見当たらない。
〝断罪の女神〟の力を持つ彼女は恐ろしく目が良い。十キロ以上離れた位置を徘徊する魔獣の数を目視で数えたこともある。狩人としては非常に優れた能力だ。
資金源にもなるし、この車両や設備の動力にもなる。拾わない手はない。
「このまま進めば二、三キロ先に落ちてるわ」
「わかった」
アルフェリカの指示通りに進むと確かに魔力素結晶がいくつも転がっていた。しかし不自然なのは魔力素結晶以外の物資も散乱していることだ。木箱の破片、武器を手入れする道具、車両をメンテナンスするための機材、三つの鎧、『一角兎』の角。
「輸送中に落としたのかしら。なんにせよ外で失くした以上、持ち主も諦めてるわよね。あたしたちで有効活用しましょ。魔獣の素材まで手に入るなんてラッキーね」
「けどその前に周囲を確認してくれ。地面に魔獣の足跡がある。多分この荷物の持ち主は魔獣に襲われたんだ。持ち主なり、魔獣なり、まだ近くにいるかもしれない」
輝に言われてアルフェリカは顔を上げる。魔獣の足跡は輝たちが向かっていた方角と同じ方に伸びていた。その足跡を追うようにアルフェリカは視線を遠くに飛ばす。
「……十キロくらい先だと思う。何かが魔獣に追われてる」
「すぐ向かうぞ」
即座に判断を下した輝は車に戻った。アルフェリカも拾い集めたものだけ積み込んでその後を追う。彼女が乗り込んだことを確認し、車を走らせた。
「輝は変わらないわね」
知らず焦りを感じてしまう輝の後ろでアルフェリカは呟いた。取り出してきた機械鎌を手渡しながら輝の顔を覗き込む。
「輝はいつも誰かのためを思って行動してる。ザルツィネルが襲ってきたときも、魔獣が『アルカディア』に侵入したときも、夕姫のときも、あたしのときも。輝の行動はいつも誰かのため」
「自己満足だよ。誰かのためなんてそんな上等なものじゃない」
「そんなことないわ。だってちゃんと誰かのためになってるんだもの」
アルフェリカは苦しそうに目を伏せる。
「あたしには無理。あたしはやっぱり他人を信用することができない。他人はいつもあたしを傷つける。そんな人たちのために動くなんて、あたしは嫌」
「でもこうして俺について来てくれてるだろう」
「輝はあたしが信頼してる人だもの。輝についてく。輝の力になる。それがあたしに居場所をくれた輝への、あたしができる恩返し。夕姫の代わりには、なれないかもしれないけど……」
「夕姫とお前は違う。アルフェリカ=オリュンシアは神楽夕姫にはなれない。他の誰だろうとそうだ。俺はお前に夕姫の代わりになることなんて求めていない」
「……うん」
少し言い方がきつかったかもしれない。アルフェリカに非はない。彼女は彼女なりに輝のことを考えていたのだ。それを頭ごなしに否定するのは間違っている。
「まあ、その、なんだ……要するに、だ」
バツが悪くなって前を向いたまま、何とか言語化を試みる。
思いついたのはありきたりな言葉。
「幸せになれ。それだけで俺は報われる」
「うんっ」
言葉に嘘がないことがわかるとアルフェリカは大きく頷いた。
「でもあたしは輝についていくわ。それだけは変わらない」
「物好きだな」
「そんなことないわ」
アルフェリカは嬉しそうに笑った。
しばらく走り抜けると輝も肉眼で魔獣の姿を捉えることができた。その前にはバギーが走っている。乗り込んでいる人数までは見えないが、精々が四、五人だろう。
「『喰蜘蛛』。少人数でなんとかできる魔獣じゃない。アルフェリカ、頼む」
「任せて」
天窓から車の屋根に飛び出すとアルフェリカは力を解放した。全身に青白く明滅する神名の刻印が広がり、【白銀の断罪弓刃】が顕現する。【造形】魔術にて作り出した矢を番え、放つ。
銃弾にも勝る速度で矢は一切の弧を描くことなく胴を貫いた。そのまま矢は貫通して『喰蜘蛛』の胴体に風穴を開けるが、貫通したことが仇となって絶命させるどころかほとんどダメージを与えられていない。
それでも傷を与えたことには代わりはなく、キシャァァァァ、と怒りの声を上げて赤い複眼がこちらを向いた。
「蜘蛛って鳴くのね」
場違いな感想を抱きながらさらに矢を矧いだ。胴体への攻撃が効きにくいのであれば、まず脚を奪って動きを止める。
都合六本の矢が奔った。寸分違わず『喰蜘蛛』の脚に突き刺さり、余すことなく弾き飛ばす。全ての脚を失った『喰蜘蛛』は慣性に従って地面に投げ出され、そのまま芋虫のように地を這った。
双剣に持ち替えて跳躍。瑠璃色の双眸と赤い複眼が交錯する。
その瞬間に魔獣の末路は確定した。
白銀の双剣から無数の剣線が閃く。魔獣の肉体は乱切りされて原型を失った。魔獣はべちゃべちゃと気色悪い音を立てて崩れ落ち、自らの体液で作られた水溜りに肉片を沈める。
「前みたいに矢を爆発させるのってどうやったらできるのかしら」
亡骸の崩壊が始まり、極彩色の粒子を背にしながらアルフェリカは独り言ちる。
エクセキュアがアルフェリカの中からいなくなってから、彼女が行使できる神の力は目に見えて減衰している。着弾と同時に矢を炸裂させることはできず、矢の弾幕を張ることも出来ない。『アルカディア』での戦いの時、はっきりと見えていた黒い靄も今は見えづらくなっているらしい。
尤も、靄に関しては彼女にとってむしろありがたいことだ。四六時中、輝と一緒にいて暴走の兆し一つ現れないのだから。
「お疲れ様」
車から降りてアルフェリカを労うと、アルフェリカは誇らしげに胸を張る。
「それにしてもランクBをあっさりか。狩人として生きていく分には何も憂いがないな」
「もともと『アルカディア』に行くまではこうしてお金を稼いでたもの。ランクAだって一人でいけるわよ?」
「頼もしいな」
魔獣が追っていたバギーは停車している。乗っているのは五人の女性。うち三人は武装しているので護衛か狩人だろう。他人のことをとやかく言えないが、外に出るには少しばかり不用心に思えた。
「俺たちを警戒してるみたいだな」
「というよりあたしを警戒してるんでしょうね」
アルフェリカの全身に浮かぶ神名。その意味がわからない人間はこの世にいない。
輝は遠目にこちらを観察しているバギーに近づいた。アルフェリカを見て逃げないということは、対話くらいはできそうだ。
近づくにつれて向こうの緊張が高まる。降りてきた三人の乙女がバギーを守るように立ち塞がった。全員が剣に手を添えていつでも抜剣できる体勢だ。
「無事か?」
「……何者ですか?」
青い髪の女性が警戒心を剥き出しに尋ねてくる。甲冑を着込んだ姿は騎士のようだ。
「俺は黒神輝、こっちはアルフェリカ。御察しの通り転生体だ。訳あって旅をしてる。通りがかりに見つけたんで手助けしたつもりだったんだが、余計なお世話だったか?」
返答を待つ。不用意に口を開けばさらに警戒されるだけだろう。
互いに目を逸らさず、無言のまま睨み合いが続いた。
「いや、助かったよ。このオンボロじゃ逃げ切れる保証はなかったからね。助けてくれたことに感謝する」
沈黙を破ったのはバギーの運転席に座る女性だった。友好的な笑みを浮かべてバギーから降りると助手席にいた白髪の少女もそれに倣って降りてくる。
「博士っ」
「助けてくれた相手をそう警戒するもんじゃないよ、セリカ。それにそこの銀髪ちゃんはとっくに全身神名に覆われてる。それで自我があるってんだから宿ってるのは友好神だろ」
正しくはないが、いちいち訂正するほどのことでもない。こちらに敵意がないことを示せるのなら、その解釈は都合がいい。
「あたしはティアノラ。ティアノラ=クーラーだ。研究者でね、主に魔獣や転生体について研究してる。この三人は『鋼の戦乙女』っていう護衛騎士だ。左からセリカ、レーネ、イリスだ」
お揃いの甲冑を纏う三人の騎士は小さく会釈をした。しかしその顔には警戒心がありありと表れており、三人とも腰の剣から手を離そうとはしない。特にイリスと呼ばれた少女はまるで親の仇でも見るような目つきで輝を睨みつけていた。
「そしてこっちがあたしの助手だ」
「レ、レイ=クローク、です……」
雪のような少女だった。髪も、肌も、衣服も、全てが白。
しかしそれ以上に顔を白くして、名乗りの声は消え入りそうなほど震えていた。輝から視線を逸らすその様子は警戒とは別の感情があるように思える。
ふと遠慮がちに見上げたレイと目が合った。
翡翠の瞳。宝石のような美しさに魅入ってしまい、その妖しい輝きは艶麗にさえ映る。見ているだけで動悸が起こり、身体が熱を帯び、脳髄が痺れて奥底から何かが呼び起こされた。
喚起されたモノの正体を知った輝は咄嗟に両目を手で覆った。
突然、呼吸を乱した輝を見て三人の騎士たちはレイを庇うように前に出た。
「……その娘、もしかして魔眼持ちなのか?」
「驚いた。レイの【魅了】に耐えたのかい? 【抵抗】したのか、自制心の賜物か、それともまた別の何かによるものか」
こちらの問いには答えず、ティアノラは興味深そうに輝を見つめた。
「あんたの言う通りレイは【魅了】の魔眼持ちだ。それもとびきりのね。常時発動してるから自分じゃどうにもならん。近づかれるのもまずい。この【魅了】は五感に働きかけるからね」
「それでみんな女なのか」
こんな能力を持っているレイの近くに異性を置けばどうなるか。想像に難くない。
指の隙間からレイを見遣ると一歩前に出たイリスが勇ましく輝を指差した。
「そうです! だからレイちゃんには近づかないでください! 十メートル以上離れてください! 見るのもダメですっ! 視界に入れないでください! もし入れたら眼球潰します! あっ、息も止めてください! レイちゃんの匂いで欲情されても困りますので! いっそのこと窒息してください! というかなんなんですかその白い髪は! さては最初からレイちゃんが狙いだったんですね! レイちゃんと共通点アピールして、ピンチを颯爽と助けてヒーロー気取りですか! そんなのいまどき流行らないんですよ! しかも隣にこれだけの美人連れていながらレイちゃん狙うとかどんだけ欲深なんですか! 野獣! 変態! 女の敵! ばーかばーかっ! 死ねっ! あなたみたいな男がいるからですね――みぎゃんっ!?」
「やめんかこのバカモノ!」
まくし立てるイリスにセリカは慌てて彼女の後頭部を殴打して這い蹲らせた。セリカがイリスを止めたのは、礼を失した態度を諌めるというより、転生体である自分たちの機嫌を損ねないための行為。
涙目で頭を押さえるイリスはそれでも輝を睨みつけることをやめなかった。
そんなイリスに対して、アルフェリカはおもむろにしゃがみ込んで目線を合わせた。笑顔だが目が全く笑っていない。
「ねぇ、輝を悪く言うのはこの口かしら? 輝に助けられながら死ねとか言うのはこの口かしら? ねぇ、ねぇ?」
「ふぁ、ふぁにふるんでふかーっ」
両の頬を摘み上げて、ぐいーっ、と限界まで左右に引っ張る。そのまま上下に揺すって不届者に制裁を加えるアルフェリカ。
「こ、これくりゃい……………………………………い、いふぁいでふ、ごめんなひゃい、もうゆるひてくらはいぃ」
初めは毅然と痛みに耐えていたイリスだったが、次第に耐えられなくなって泣きながら許しを乞う姿は憐れですらあった。
「ア、アルフェリカ? もうその辺でいいんじゃないか? 俺は別に気にしてないから」
「輝が気にしてなくてもあたしは気にするの。恩人を馬鹿にされて笑って済ませられるほどあたしは人間出来てないのよ。輝を悪く言う人をあたしが許すわけないじゃない。というか助けられておいてこの言い草。ふふふ、自分の立場をしっかり教えてあげるわ」
嗜虐的な微笑みを浮かべながらイリスをいじめる。
想像していた怒り方ではなかったのか、セリカとレーネは呆気にとられた様子で立ち尽くしていた。それを見たティアノラは腹を抱えて笑い、レイはオロオロとしている。
「ごめんなひゃいごめんなひゃいごめんなひゃい」
「ほ、ほらこんなに謝ってるんだからもう許してやってくれないか?」
「もう。輝がそう言うなら仕方ないわね」
まだ満足していなさそうだったが輝の言う通りにアルフェリカはイリスを解放する。
解放されたイリスは脱兎の如く逃げ出してレイの背中に隠れてしまう。レイを防壁に顔を覗かせ、ほっぺたを真っ赤にしながら己を断罪した者を恨みがましく睨んでいた。
「輝が許してくれたっていうのにまだ反抗的な目ね。お仕置きが足りなかったのかしら?」
「ひぃっ!」
ぴゅっと再びレイの背中に隠れてしまう。ガクガクブルブルと震えてすっかり怯えきってしまった。
「くっくっく、あー腹痛い……でもなるほど、あんたたちがある程度の常識人だってことはわかったよ。やはり噂とはつくづくアテにならんもんさ。自分の目で見るに限る」
やれやれと肩をすくめるティアノラ。言動から輝たちのことがわかっているのは明白だ。
それに気づかないフリをしてアルフェリカに目配せをした。
「そういえばあれ、あんたたちのだろ」
アルフェリカは車から先ほど拾い集めた魔獣の素材と魔力素結晶が入った袋を持ってきて、それをティアノラに手渡した。
「おおーっ、拾ってくれたのか! こりゃありがたい」
外に捨てた荷物が戻ってくることなど、いまのご時世ではまずありえない。ティアノラは歓喜しながら袋を受け取った。
「全部じゃないけどな」
「いやいやそれでも充分さ。それじゃあこれは助けられた礼だ。受け取ってくれ」
ティアノラは袋の中から『一角兎』の角だけ取り出すと袋を突き返してきた。
「いや、申し出はありがたいが遠慮する。あんたたちで使ってくれ」
「あんたたち旅してるんだろう? それなら魔力素結晶は貴重な資源のはずだ。本当に要らないのかい?」
「魔力素結晶は充分な貯蔵があるんだ。どちらかと言えば換金したい。あとは食料や燃料の補充、できれば車もメンテナンスしておきたいんだが」
魔力素結晶の受け取りを辞退した輝にティアノラは首を傾げる。そんな輝をじっと見つめると何かに思い至って鷹揚に頷いた。
「ああ、そういうことか。難儀するね」
「察してくれるのは助かる」
「なら『オフィール』に向かうのがちょうどいいだろう。そこでなら換金もメンテもできる。車のメンテはあたしが手配しよう。それが礼ってことならどうだい?」
「それはありがたい。ぜひ頼む」
「オーケーだ。それじゃあ『オフィール』へ向かおうか。外で立ち話は危ないからね」
ティアノラたちが乗るバギーに先導してもらい、輝たちは『オフィール』を目指すことになった。




