終章 止まることなく
『アルカディア』を追われる形で去る。
それは手にしていた平穏を捨てたことに他ならない。外へと出てしまえば、待っているのは魔獣が跋扈する荒廃した世界。誰の庇護もなく、命の保証などどこにもない。
捨て去ったものへの未練はある。しかし選択に後悔はない。そんなことはしてはならない。
夕姫を守るために彼女との日常を捨てた。アルフェリカを救うために手を差し伸べてくれた人間たちを殺した。そのために黒神輝の誓いも折った。
捨てたものはこの上なく大切なもので、奪ったものは決して許されることはないが、それでもこの手で選んだものは守り通すことができた。
まずはそれを誇れ。でなければここまでした意味がないだろう。
「はぁ、はぁ、ごめん……もう、ム……リ……」
ゲートからさらに数キロ離れたところで、限界を迎えたアルフェリカは膝をついた。大量の汗を流して荒い呼吸を繰り返す。
しばらくして呼吸を整えると、アルフェリカは勢いよく輝に飛びつく。
「輝っ……輝っ……輝っ……」
何度も輝を呼びながら涙を流す。言葉にならない様々な感情がそこに含まれていた。
それを理解した輝はあやすように彼女の背中を叩いた。
「何も心配しなくていい。ちゃんと一緒にいるから。な?」
「うんっ」
向日葵のようにアルフェリカは晴れやかに笑う。自身の運命を呪い、笑うことができなかった少女が見せた屈託のない笑顔。
これが彼女を救った報酬だとしたら決して悪いものではない。
「アルフェリカ、歩けるか? ここは危ないから安全な場所に移動したい」
「う、うん。そうね」
輝の提案にアルフェリカは涙を拭いながら応じた。
輝が目的を持って歩き出すと、アルフェリカは黙ってその後についてくる。そのわずかに垣間見える信頼が、少し嬉しい。
荒れた大地は足場が悪く、消耗した身体にはやや辛い。普段歩くよりも倍以上の時間をかけてその場所へと到着した。
廃墟となった建造物。他の建造物と比べると比較的形を留めており、遮蔽物も多くて何かを隠すにはうってつけだ。
そして隠してあったのは一台の大型車両。
「これって……? えっ、ドア開くの!?」
輝がドアの取っ手を引っ張ると鍵はかかっておらず、簡単に車内に入ることができた。
生体認証式のキーに手をかざすと当たり前のように魔導エンジンが始動する。
電力が通り、車内が明るく照らされた。中にはキッチンがあった。ベッドがあった。シャワールームがあった。トイレがあった。収納があった。生活に必要な最低限の設備が揃っており、果てには愛用の機械鎌、愛車の魔道二輪までがあった。
運転席にポーチと大きな紙袋がある。ポーチを開いてみると血液の入ったシリンダが九五本、極彩色のシリンダが五本、計一○○本のシリンダが収められていた。
そして紙袋には衣類と一枚の紙切れが入っていた。
それらを見たアルフェリカは目を白黒とさせている。
「どういう、ことなの? なんでこんな……?」
「都市の外だと移動用の車があったほうがいいからな。『ティル・ナ・ノーグ』が所有している長距離移動用の車を拝借しておいたんだ」
「え?」
混乱するのは仕方がない。
「俺とアルフェリカが『ティル・ナ・ノーグ』に追われて『アルカディア』を脱出する。外で偶然見つけた車に乗って人知れず荒野に逃れる。そういう筋書きだ」
「待って! じゃあ輝は……」
それがどういうことか思い至ったアルフェリカは、いまにも泣きそうな顔をした。
嘘をついても見抜かれる。だから嘘はつかない。
「俺はアルフェリカを傷つけない。俺はアルフェリカを裏切らない。アルフェリカを傷つけようとする奴らから、俺はアルフェリカを守る」
それだけの話。
紙袋に入っていた一枚の紙切れを広げてアルフェリカにそれを見せた。
そこには子供っぽい丸い文字でこう書かれていた。
〈絶対に許しません。貴方たちは必ず『ティル・ナ・ノーグ』が捕えます。特に輝。それまでお元気で〉
色々な解釈ができてしまう恨み言。本音も建前も絶妙に含まれた文章だった。
「これはアルフェリカのだな」
衣類が入った紙袋を投げ渡す。アルフェリカはその中身を見て、涙を堪えきれなかった。
入っていたのはアルフェリカの衣服。それは輝と夕姫と一緒に三人で買いに行った時のもの。
彼女にとって日常を強く感じさせる印象深いものだ。あの騒がしくも穏やかな時間は、きっとかけがえのない思い出となっているに違いない。
「先に言っておく。アルフェリカが気に病む必要はない。これは俺が決断して俺が行動した結果だ。全ての責は俺にある」
アルフェリカは救われただけなのだから。自分のことだけ考えていればいいのだ。
「それに俺は夢まで捨てたわけじゃないからな」
そう。『アルカディア』での生活は確かに捨てた。だがそれでも黒神輝の夢までも捨てたわけではない。理想郷では実現できなかったとしても、別の場所でやり直すことは必ずできる。
今日という悲劇が繰り返されぬよう。そして今日という行いを繰り返さぬよう、黒神輝が思い描いた世界を諦めることはしない。
「もう一度やり直す。あの時間を取り戻すんだ。だから力を貸してくれ、アルフェリカ」
自分だけでは絶対に失敗する。だから自分以外の力が必要だ。
手を差し出す。アルフェリカは一瞬だけ目を丸くして、しかし笑って輝の手を握り返した。
「うんっ!」
だから歩き続ける。罪業の十字架を背負いながら、遥か遠くに願った世界を目指して。
なぜならそれは〝神殺し〟が夢見たものでもあるのだから。
贖罪は此処に。
殺してしまった人よりもより多くの人を救う。もう涙を流す人がいなくなるように。もう傷つく人がいなくなるように。
次こそは――。
ここまで読んで頂きありがとうございます! 柊 春華です。
【贖罪のブラックゴッド ~果てなき誓いをこの胸に~】の章はここでいったん完結となります。
この作品は「優先順位」をテーマにして書き上げました。
やりたいこと、やるべきこと、やれること、人にはそういうものがたくさんあると思います。全部を選ぶことができれば悩むことなんてないんでしょうが、大抵は選べる数には限りがあります。
その中でいったい何を選び取るのか、生きている限り人は取捨選択を繰り返すことになります。
輝たちもそうでした。
輝(神殺し)は夕姫とアルフェリカを守るために、輝(人間)の誓い・他者の命・日常を捨てました。
アルフェリカも一度はすべての人間を滅ぼすために、望んだ生活を得ることを諦めました。
夕姫も魔獣から輝を守るために、転生体であることを隠すのを止めました。
あまり出番のなかったシールたちも、アルカディアの平和のため輝とアルフェリカと敵対することを決めました。
彼らが選択しなかったものは、本来は選びたかったもの、捨てたくなかったものでもあったはずですが、それよりも大切なものがあるために捨てざるを得なかった苦渋の選択です。
現実でも同じで、大いに悩みますし、他の選択肢はないのかと苦悩もします。選びたくなくても選ばなければならないときは必ずやってきます。こっちの準備とか覚悟とか関係ないんですよね、非情なことに!
・・・なんか説教じみてきたのでここらへんでやめときましょう。
さて、アルカディアを追われた輝とアルフェリカは魔獣が蔓延る世界で生きることになってしまいました。これからは二人の力で外の世界を生き抜かなくてはなりません。
果たして輝は夕姫と再会できるのか。そしてアルフェリカは穏やかな生活を得ることができるのか。
人と神が共存し、転生体が笑って過ごせる世界を目指して、二人は世界を旅することになります。
誰も死なず、別れもなく、万々歳のハッピーエンドを書こうと思っていたのに、輝や夕姫やアルフェリカたちの想いやらなんやら考えていたらこうなってしまいました。
プロットと全然違うものになってしまったんですけど、どうしてこうなったものやら・・・
次は【贖罪のブラックゴッド ~集え飽くなき願いの下に~】です
ここまではほぼ描写しなかった「世界における転生体の扱い」について掘り下げていきます。
それに対し輝はどう行動するのか。
今回だけでは回収できてない伏線も、まだ出せていない設定もあるので、それらを補完すべく続きを書いていこうと思っています。
是非読んでいただけると嬉しいです。
それでは皆さん、ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。
続きをどうぞ!




