第四章 本当に大切なもの⑨
「うまく、いった……?」
問いかけたのはエクセキュア。瑠璃色の瞳には弱々しくも理知の光が宿っており、暴走した〝断罪の女神〟の気配はすでにない。
「当然、だよ……ボ、クを……誰だと思って、るのさ……」
ごぽごぽと血音を混ぜながらウォルシィラは不敵に笑った。
あらゆる武具武術を使いこなすウォルシィラの【戦技無双】。
神を殺すためだけの術式兵装『神葬霊具』の【黙する旅人】。
この二つが揃って〝断罪の女神〟を殺せないはずがない。
「そっか……うん、なら……良かった」
安心したようにエクセキュアは微笑み、そして身体が崩れ落ちた。
その身体を輝が受け止める。
「……ヒカル?」
「俺にはこんな選択しかできなかった」
「……うん」
アルフェリカを救い、夕姫を守るために、その他大勢の命を奪った。
「俺は〝神殺し〟のままだった」
「……だねぇ」
その命で『神葬霊具』を創り出し、〝断罪の女神〟を殺した。
「俺は誓いを折った」
「……見てた」
たった二人を守るために、多くの者を犠牲にして、それ以上の悲しみを植えつけた。
「俺は黒神輝にはなれなかった」
「……それでも貴方はクロガミヒカルだよ」
太陽はもういないというのに、それでもその身は黒神輝なのだと、女神は断言した。
「顔も知らない誰かじゃなくて、ちゃんと貴方が守りたい子たちを守った。そう自分で決めて、アルフィーとの誓いまで折って、アルフェリカを守った。だから貴方はちゃんとクロガミヒカルだよ」
何故?
「守ってあげたじゃん。泣いている子を。助けてって叫んでる子を。貴方の力で、貴方の手で、アルフェリカを守ってあげたじゃん。そうしたから貴方は輝いてる。だから貴方は――」
黒神輝だと。
かつて愛した彼女が死に際に遺した言葉。その通りに自分は行動できた。
「ばいばい……ごめんね、アルフェリカ。どうか、幸せに――」
言葉が途絶え、瞳が静かに閉じられる。彼女の身体から漂っていた魔力素の粒子が消えた。
「ん……」
腕の中にいるアルフェリカが身動ぎをした。閉じられてた瞳がうっすらと開かれ、輝の姿を認めると瑠璃色の瞳に涙を浮かべた。
「ひ、かる……輝っ」
「よく頑張ったな」
「……っ」
かけられた言葉に感情を昂ぶらせたアルフェリカは輝の胸に顔を埋めてしゃくりをあげた。噦る少女をあやすように頭を優しく撫でる。
「あたし、たくさん、殺したのよ……? 何も、関係のない人たちを……八つ当たりで、たくさん、たくさん殺した……だから転生体は遠ざけられるってわかってたのに、自分でそれをやっちゃった……なのに……」
「約束したからな」
アルフェリカを遮り、輝が続ける。
「俺はアルフェリカを傷つけない。俺はアルフェリカを裏切らない。アルフェリカを傷つけようとする奴らから、俺はアルフェリカを守る」
口にした言葉に嘘偽りはない。それがわかるアルフェリカは本当に嬉しそうに笑った。
「それはつまり我々に敵対するということですね、輝?」
輝でも、アルフェリカでも、ウォルシィラでもない声。
輝はこの声の主を知っている。
「『ティル・ナ・ノーグ』がアルフェリカを敵視するなら、そういうことになる。シール」
振り返ればそこには色違いの瞳の少女が立っていた。両脇には彼女を守るように二人の男女が立っている。
「守護者を二人も連れてきてるのか」
『ティル・ナ・ノーグ』が誇る二人の守護者。
ゼロス=ガイラン。大剣を背負う筋骨隆々な橙髪の大男。
シェア=ブルーレイズ。薙刀を片手に青髪を揺らす女性。
そのほかにも槍を持つ妖精の刺繍が施された黒衣を纏う『ティル・ナ・ノーグ』の部隊が大勢。ざっと見渡しても二百は下らない。
その光景に冷や汗が滲んだ。
特に守護者の二人から向けられる非難の視線は生きた心地がしない。
「貴方も、アルフェリカ=オリュンシアも『アルカディア』に甚大な被害をもたらしました。我々はこれを敵性行動と断定し、排除します」
色違いの瞳に宿る光が悲壮なものであるように、蒼眼にも悲哀の輝きが灯る。
自分はこれから仲間だった者たちの敵となる。もう味方として会うことはないかもしれない。
「大丈夫だ。何も心配することはない」
腕に抱くアルフェリカの不安そうな眼差しに、そう笑いかけて立ち上がる。アルフェリカはそれに寄り添った。
「神楽夕姫さんを保護して治療を。ウォルシィラは戦える状態ではありません」
シールの指示が飛び【黙する旅人】を杖にしていたウォルシィラは隊員に連れられて包囲網から離れていく。去り際に、べぇー、と舌を出して。
ウォルシィラらしい、と輝は内心で苦笑いを浮かべながら懐からシリンジを取り出した。中に入っているのは虹色の液体。液化した高純度の魔力素。
「さよならだな、シール」
「いいえ、地の果てだろうと我々は貴方を追いかけます」
その返答にやはり輝は苦笑し、シリンジを砕いた。
「法則制御――汝、力は常に心に描け」
【弱者の抵抗】により魔法陣が展開され、膨大な魔力が圧縮される。
「法則制御――|汝、証は常にその身に刻め《ペイン・オブ・ザ・ブラッド》」
【存在の証明】により術式は【強化】され、回転する魔法陣が金切り音を上げる。
「法則制御――|汝、その身は常に世界と在れ《クロニクル・オブ・ザ・アカシャ》」
【世界の叡智】により自己と世界の境界が崩れ、極大の魔力を込められた魔法陣が【複製】される。その数は人間の認識を超えて、崩壊した戦場を蒼く照らした。
神をも退けた黒神輝の最強の魔術。神に抗するために編み上げた力を仲間たちに向けて放つ。
「我が幻想は現実を侵す――神命を穿つ断片歌」
輝の号令と共に一斉に放たれる光の柱。それらは半壊した『アルカディア』の大地に突き刺さり、視界の全てを蒼い蹂躙で染め上げた。
輝は【世界の叡智】による反動で膝をつき、それでも意識を失うまいと歯を食いしばった。
「アルフェリカ! 六時の方へ全力で走れ! 東ゲートから脱出するぞ!」
「う、うん!」
自力では立つことすらままならない輝を抱えて、アルフェリカは神の力を解放した。〝断罪の女神〟が死んでも彼女の力はアルフェリカの中に残っている。
その力を以ってして彼女は風となって疾走した。都市の中心部から東のゲートまでの五○キロメートルはある距離を、アルフェリカはたった三○分ほどで走破する。その間、追手らしい追手もいなかった。
「……もう少しだ!」
ゲートが視認できるほどの距離まで辿り着き、輝が叫ぶ。破壊されたばかりのゲートはまだ修繕が始められたばかり。
そこにいるのは修善を行う作業員と警備に配置された『ティル・ナ・ノーグ』の人員だけ。
向こう側もこちらの接近に気づいたらしく、視線を感じる。
息を切らしながら走るアルフェリカの身体が緊張で固くなった。外に出るにはあれを突破しなければならない。
アルフェリカの身体が深く沈み込む。全力で地面を踏みつけ、爆発的な加速でゲートに突貫した。人間を遥かに超えた運動性能。並の人間では追いすがることもできない。
しかしそれでも迎撃が不可能なわけではない。障壁で進路を阻むことも、すれ違いざまに切りつけることもできる。もとより『ティル・ナ・ノーグ』に属する人間が並であるわけもない。
一点突破に賭けた捨て身の突貫。多少の負傷など厭わない決死の行為。
いとも容易くゲートをくぐり、そして外界へと至る。
「――え?」
呆けた声を出したのはアルフェリカだ。一切の妨害なくゲートを素通りできたことに困惑していた。後ろを見遣れば、警備の者たちは遠ざかる輝たちを見ているだけで、追いかけてくる素振りはまるでない。
そうして、黒神輝とアルフェリカ=オリュンシアは理想郷を背にした。




