第四章 本当に大切なもの⑥
私が転生した人間たちはみんな不幸になった。
転生体というだけで親に捨てられ、住んでいた場所も追われ、飢え死にした子がいた。
奴隷として売り飛ばされ、悪逆な主人の元で身体を端から壊されて死んだ子がいた。
嘘が見抜けるが故に相手を妄信し、土壇場で裏切られて魔獣に食べられた子がいた。
〝断罪の女神〟の転生体だから危険だと捕らえられ、見世物のように処刑された子がいた。
〝断罪の女神〟の転生体だから人権は不要と嗤われ、下劣な欲望に弄ばれて自害した子がいた。
〝断罪の女神〟の転生体だから大勢の人間に襲われて殺された子がいた。
〝断罪の女神〟の転生体だから愛する者と引き裂かれて命を落とした子がいた。
〝断罪の女神〟の転生体のせいで希望を奪われて絶望した子がいた。
そうだ。全て私のせいだ。〝断罪の女神〟が転生した子はみんなみんな絶望と苦痛の末に死んでしまう。
誰も守ってくれない。誰も守ってあげようとしない。
私自身も結局、信じようとしてくれたアルフェリカを裏切った。
私がいるから悪いんだ。私なんていなくなった方が良いんだ。
友好神で在ろうとしても私の本質は敵性神でしかないのだから。
だからヒカルにも見限られたのだ。
目の前が真っ暗になった。ドス黒く、濁った、汚泥のように穢れた黒。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
――ぜんぶ、消えてしまえ。
「まずいっ! 輝っ、避けて!」
ウォルシィラの警告は間に合わなかった。彼女の声が耳に届いたときには、すでに〝断罪の女神〟の姿は輝の目の前にあった。
意思のない虚ろな双眸が輝を覗き込む。閃いた銀線が輝の身体を袈裟に切り裂いた。血飛沫が銀髪を紅く汚す。
一歩だけ身を引けたことが幸いした。胸骨を切断されたものの心臓までは届かず。即死は免れた。
だがそれだけ。命を刈り取る二の太刀がすぐに迫る。
「――っ! 法則制御――対物障壁・多重展開」
身体に染みついた戦闘経験が術式の構築を成功させた。全てのシリンジを消費し、幾重にも展開された蒼の魔法陣が剣を阻むべく立ちはだかる。
【白銀の断罪弓刃】はその悉くを紙屑同然に切り裂いてきた。それでもコンマにも満たない時間を稼ぎ、首を斬られても頸動脈は守れる程度の回避行動が許された。
それでも三の太刀からは逃れられない。
「させるかあっ!」
風のように割り込んできたウォルシィラが双剣を振り下ろす〝断罪の女神〟の両腕を掴んでそれを防ぐ。
「ぐぅ……うぅっ……」
拮抗は一瞬。〝断罪の女神〟の膂力に押され、ウォルシィラの身体が少しずつ沈み込んでいく。
「なん、でっ……さっきまでと、全然……」
エクセキュアを圧倒していたはずのウォルシィラが、今は力も速さも劣っていることに困惑していた。
その困惑を嘲笑うかのように〝断罪の女神〟の神名が輝きを増す。顕現するのは断罪の力。罪人を裁く力がさらにウォルシィラを凌駕する。
力比べでは勝てないと悟ったウォルシィラは全力で後ろに跳んだ。ほとんど輝に衝突する形で跳び退くが、そうまでしても〝断罪の女神〟の速度に敵わなかった。
白銀の刃が深々とウォルシィラの身体に埋まる。まるで空気でも斬るかのように抵抗なく人体を通過して十字傷を刻んだ。
「まずっ、肺がっ……」
喀血したウォルシィラは膝を折る。酸素を取り込めなくなったことで行動が著しく鈍る。
「法則制御――魔力圧縮・一点解放!」
動けないウォルシィラから〝断罪の女神〟を引き離そうと咄嗟に魔力を炸裂させた。蒼い爆発が視界を染め上げ、その衝撃から彼女を守るべく己の身を盾にする。
無意味だった。
背中に焼けるような熱。爆発ではなく斬傷によるもの。
輝が纏う罪の香りを感知し、視界を潰されてなお〝断罪の女神〟は攻撃を加えてきた。爆風に吹き飛ばされながらだったため、身体を両断するまでには至っていないのは幸いか。
背骨。やられた。手足。動く。脊椎は無事。なら動け。次が来る。
本能に突き動かされるまま前方に跳躍。空気を破裂させながら音速で双剣が空振った。
立て。追撃が来る。反撃しろ。
ウォルシィラはもう戦えない。血を吐きながら咳き込む彼女は満足に呼吸ができない。損傷した肺に血が溜まっている証拠だ。
おそらく生涯最速でシリンジの再装填を完了させ、術式の構築を開始。
「法則――っ!?」
だが術式が完成するよりも早く走った双剣が機械鎌を細切れにした。金属特有の音を立てて地面に散らばり、構築途中の術式が破棄されてしまう。
術式兵装を失った。魔術が使えない。まずい。
【白銀の断罪弓刃】が横薙ぎに振るわれた。思考が加速する。近づいてくる刃がやけに遅く感じる。しかし身体は金縛りにあったかのようにぴくりとも動かない。
鈍重に進む時間の中、小さな両手が刃を振るう腕を掴んだ。夕姫の――ウォルシィラの手。
それがクッキーでも砕くような気軽さで〝断罪の女神〟の腕を握り潰す。
「っ!?」
潰された腕は【白銀の断罪弓刃】の片割れを取りこぼす。
僅かにできた隙にウォルシィラは強烈な蹴りを捩じ込んだ。〝断罪の女神〟の身体がくの字に折れ曲がり、バットで打たれたボールのように飛んでいった。
「がふっ! げほっごぼっ……」
水気が混じる垓音。口から血を撒き散らしてウォルシィラはその場に四つん這いになって崩れ落ちた。酸素不足で顔が土気色になっている。
今度こそウォルシィラは戦えない。それどころか早く治療を受けさせなければ命に関わる。
夕姫が死んでしまう。
「っ!」
焦燥に駆られて立ち上がった瞬間に視界が暗転した。そして気づけば地面に倒れており、それが失血による立ちくらみだと思い至る。
ザルツィネル。破壊獣。そして〝断罪の女神〟との戦闘。
この二日で血を流し過ぎた。失った血液に対して造血が間に合っていない。
掠れる視線の向こう側に何事もなく立ち上がる〝断罪の女神〟の姿がある。潰された右腕もすでに再生していた。
瑠璃色の瞳は深海の如く。罪人の首を落とさんとこちらを見据えている。
アルフェリカもエクセキュアも心を閉ざした。もうこちらの声は届かない。
〝断罪の女神〟を止めようにも輝とウォルシィラはもはや死に体。
――狙撃音。
「っ!」
〝断罪の女神〟は雷すら撃ち落とす神速の太刀で迫る弾丸を切り払った。
〝断罪の女神〟に向けられる無数の敵意と殺意。それに伴う罪業の香りに、初めて〝断罪の女神〟の目が輝たちから離れた。
「あの覚醒体と討ち取れえええええええぇぇぇぇ――――――っ!」
雄叫びに続いて鬨の声が地鳴りのように響き渡る。それと共に放たれる無数の攻撃。魔術と銃火器による全方位からの集中砲火。
それらが〝断罪の女神〟へと降り注ぐ。
その圧倒的物量による攻撃を〝断罪の女神〟はたった二振りの剣でかすり傷一つ追うことなく迎撃してみせた。
だが迎撃に専念せざるを得ず、その場に釘付けにされている。
「怯むなっ! 攻撃し続けろ! 物量で押し切れ!」
輝とウォルシィラの戦いを見守っていた狩人たち。それらが動けなくなった二人を援護すべく〝断罪の女神〟に攻撃を仕掛けていた。
「『アルカディア』を守るためにガキがたった二人で死力を尽くしたんだ! そこまで見せられて縮こまった腰抜けのままでいいのかテメェら! ここは俺たちの都市だ! それを守ろうとする奴は仲間だ! それを奪おうとする奴は敵だ! あの二人を守れ! 〝断罪の女神〟を倒せ! 転生体だろうと覚醒体だろうと関係ねぇ! テメェの家と仲間はテメェで守れ!」
彼らもただ見ていただけはなかった。輝たちが戦闘を行っている間に〝断罪の女神〟を包囲し、戦力や補給物資をこの戦場に集めていた。
それらをいま惜しみなく投入している。
輝と夕姫を守るため。
そして〝断罪の女神〟を殺すため。
喜ぶべきことであり、悲しむべきことだった。
この都市は転生体の夕姫を受け入れてくれた。
この都市でさえも〝断罪の女神〟を拒絶した。
転生体の居場所になりつつあっても〝断罪の女神〟の転生体の居場所は未だどこにもない。
結局やらなくてはいけないことは変わらない。
「ウォルシィラ」
「ごほっ……なぁに、輝……」
仰向けに寝転んだまま、苦しげにウォルシィラは呼びかけに応じる。
「〝断罪の女神〟を殺す。手伝ってくれ」
「わかってるよ」
ウォルシィラは力なく笑ってよろよろと立ち上がる。
輝も同じように立ち上がった。
「――――アルフェリカああああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
戦いの音を掻き消さんとして、あらん限りの力を振り絞って、彼女の名前を叫んだ。
その声は確かに彼女に届き、それ故に〝断罪の女神〟の瞳が大罪人を再び捉える。
「俺はアルフェリカを傷つけない! 俺はアルフェリカを裏切らない! アルフェリカを傷つけようとする奴らから、俺はアルフェリカを守る!」
口にしたのは一つの約束。絶望する彼女に届くように。願いを込めて放たれた言葉は〝断罪の女神〟の瞳にてその真偽を問われる。
「必ずこの約束を果たす!」




