第三章 自由への渇望①
ゲート周辺はそれほど殺気立ってはいなかった。
大勢の人間が武器を持っているので物々しさはあるものの、みんな適度に肩の力を抜いている。ゲートの入り口付近では狩人たちが談笑を楽しんでいるくらいだ。
少し離れた場所には通信機器などが持ち運ばれているテントがあり、簡易的な司令部が設置されていた。
ざっと見る限り戦力は十分そうだ。これならばランクAとはいえ魔獣一体に後れを取ることはないだろう。
問題は――。
「大丈夫か?」
「……ギリギリね」
輝を視界に収めないよう前を歩くアルフェリカの額には脂汗が滲んでいた。ここに来るまでも顔色は悪くなる一方。
一度都市の外に出た方がいいかもしれない。外であれば人間の姿はないし、転生体であることを隠す必要もない。
「もっとピリピリしてると思ってたけど、意外とそうでもないんだね」
輝の心配をよそに周囲の和やかな雰囲気を眺めて夕姫はそんな感想を口にした。
「ずっと気を張っててもしんどいだけだからな。狩人をやってる人間はみんな気の抜き方を知ってるものだよ」
「そーなんだ」
話をしながらゲートに向かって歩いていると急に周囲が慌ただしくなった。
「警戒中の魔獣が五キロまで接近! 種別は……ランクAの破壊獣だ! まっすぐこっちに向かってきている!」
カメラ越しに壁の外を監視している司令部からそう報告が入った。その場にいる全員が気を引き締める。ゲートの外で防衛にあたっていた『ティル・ナ・ノーグ』部隊員はもとより、談笑に興じていた熟練の狩人たちも手早く装備を整えて外へ向かった。
それでも何人かは動かずに中に留まっている。武器を手に取らない様子から都市に入ってくることはないと高を括っているのだろう。
神崎が要請した狩人だと思えない。どこからか情報を得て甘い汁を吸おうとしている狩人だろう。いないよりマシだが、あれはあまり当てになりそうもない。
「夕姫は司令部の近くにいろ。もし魔獣が都市の中に入ってきたときはできるだけ遠くに逃げろ。俺たちは待つな。いいな?」
「う、うん」
魔獣が現れた状況では流石に輝の指示に素直に頷いた。その背中を見届けながら機械鎌に六つのシリンジを装填し戦闘準備を整える。
万が一を想定して夕姫にはあのように指示を出したが、もちろん魔獣を都市に入れるつもりなど毛頭ない。
司令部のオペレーターから通信機を通じて各自に指示が出されていく。魔獣の討伐でメインの戦力となるのは狩人だ。狩人は各々の判断で行動し連携する。それを『ティル・ナ・ノーグ』の部隊が援護するというのが『アルカディア』の戦い方である。
今回の戦術方針は前衛が魔獣の足止めと誘導。外壁の高所で待機する後衛は魔術や銃器による狙撃。『ティル・ナ・ノーグ』の部隊は遊撃と他の魔獣が近づかないか警戒。
前衛が足止めしている間に遠距離からの集中砲火で仕留めるセオリーに忠実な作戦。
アルフェリカは狙撃場へと駆け出す。
輝はそれを追いかけた。
壁に備えられた狙撃場から見渡す外界は相も変わらず荒廃した大地が広がるばかりだ。廃墟と化している戦前の遺物を見ていると、背後の景観とのギャップにタイムスリップでもしたのかと錯覚しそうになる。
『距離二五〇〇!』
通信機越しの報告でアルフェリカは意識を切り替える。遠方から土埃が都市に向かって伸びているのを確認した。
「あれが破壊獣……」
知識では知っているが実際に見るのは初めての魔獣。
全長は八メートルほどだろうか。巨大な体躯を支える四肢は筋骨隆々《きんこつりゅうりゅう》。固い地面を抉りながら突き進む姿がどれほどの膂力を有しているのか物語っている。最大の特徴は二メートルもあろうかという二本の角。あの巨体の突進を受けて串刺しにされれば人など木っ端微塵だ。
狙撃位置についた狩人たちはそれぞれ術式兵装の起動、術式の構築を始める。
アルフェリカも機械弓に魔力の弦を張って指をかけた。ここに来る途中、狩人のギルドに立ち寄って購入した。さすがに人目のあるところで【白銀の断罪弓刃】を召喚するわけにもいかず、急遽用意した間に合わせの武器。
それを見ていた狩人の男が失笑する。
「おいおいそこのべっぴんさんよ。そんなもんが破壊獣に通用するわけねぇだろ。獲物がねぇなら俺のを貸してやろうか? 対物ライフルの術式兵装で【対物障壁】を展開した装甲車だって吹っ飛ばせる一級品だ。ベッドの上でサービスしてくれるんならお代は頂かないぜ?」
この余裕のないときに鬱陶しい。あの魔獣もろともまとめて吹き飛ばしてやりたい。
男の下卑た声を無視して意識を集中させる。指先に魔力が集まり、弓を引く手に合わせて矢が【造形】される。
『距離一〇〇〇!』
破壊獣はもう視認できる距離まで近づいてきている。もはや進路を変えることはない。近接武装で身を固める狩人たちは一斉にゲートから飛び出した。
遠目にもわかる。体表にうっすらと見える黒い靄。人ではない魔獣にすらそれがある。
この世に汚れていないものは存在しないのではないかとさえ思えてくる。
しかし今に限っては好都合。
「汝が罪を贖え。裁きを下すはこの一矢」
一瞬だけ〝断罪の女神〟の力を解放。放たれる神名の輝きを、どこかで聞いたような適当な詠唱で魔術によるものと見せかけて――指を放す。
放たれた矢は弓では到底成しえない初速をもって破壊獣へと疾走した。一切の弧を描くことなく破壊獣の右前脚を射抜き、その巨体を転倒させる。
「んなアホな……破壊獣の皮膚は鋼鉄並みの硬度があるんだぞ……それを機械弓でぶち抜きやがった」
その一部始終を見ていた狩人の男は間抜けな顔で口をあんぐりとさせた。射手のアルフェリカを見ていなかった他の面々もあまりの出来事に驚愕している。
忌々しいことこの上ないが、〝断罪の女神〟の力ならこれくらいできて当然。
今の攻撃でほんのわずかに気分が楽になった。しかしまだまだ足りない。人目のあるところで大きな力は使えないから、今のように小さな解放を何度も繰り返すしかなさそうだ。
立ち上がろうとしている破壊獣に次々と矢を放つ。一撃で殺してしまってはこの気分の悪さは解消されない。致命傷にならない足回りを中心に何度も射貫く。矢を射かける度に良くなっていくのを感じる。
「なあ、あれってもしかして……」
「いやいや、そんなまさか」
しかしそのせいで注目を浴びてしまい、アルフェリカを怪訝な目つきで見る者たちがちらほらと現れ始めた。
これ以上はまずい。そう思ったアルフェリカは舌打ちして攻撃をやめた。
「ほら、そこのチャラ男。いまがチャンスでしょ。戦車も吹っ飛ばせるライフルであの魔獣を吹っ飛ばしなさいよ」
「お、おう」
アルフェリカがせっつくと男はライフルを破壊獣に向けて発砲した。その発砲音を合図に我に返った狩人たちは攻撃を再開。各自の武装が一斉に火を噴き、倒れた破壊獣に集中砲火を浴びせる。
苦痛か怒りか巨獣の咆哮が轟くが、銃声や爆発音が無情に掻き消してあまり聞こえない。
その戦闘音を背中で聞きながら、ため息交じりにもう一射しておく。気分は楽になるが微々たるもの。まだ全然足りない。
「このままだとあまり長く持ちそうにないかも」
(ここじゃ人目が多いから外に行ってきた方がいーよ。『ソーサラーガーデン』みたいなことになったらまずいから)
「わかってるわよ」
一際高い咆哮が響き、少し遅れて銃撃音も止まった。
見ればゲートの目前で破壊獣が横たわっている。足を負傷しながら百人近くの集中砲火を受けたにも関わらず、目前まで辿り着いた強靭さには舌を巻くしかない。
しかしランクAといえどたった一体でこの戦力に敵うはずもなかった。
近接武器を持った狩人たちが横たわる破壊獣に蟻のように群がっていった。
彼らの目的は角だろう。命を絶つ前に身体から切り離せば魔力素に還らない部位を持つ魔獣がいる。破壊獣の角は粉末にすれば良薬の素材になるので高値で売れるのだ。
そのことを知っている狩人たちは我先にと角の奪い合いをしている。狙撃場にいた狩人たちも後れを取るまいと粟食ったように走り出していった。
角の取り合いで怒声やら叫び声が聞こえてくる。瀕死とはいえランクAの魔獣がすぐ近くにいるというのにお構いなしとは恐れ入る。
やがて破壊獣の身体がさらさらと崩れ、七色の粒子へと分解された。今度は巨大な魔力素結晶の取り合いが始まる。狩人の欲深さには呆れるしかない。
争っている狩人たちからは黒い靄が少しずつ膨れ上がってきている。
それを見ているとまた吐き気に襲われた。
このままじゃまずい。とにかく溜まったものを吐き出してこないと。
「ちょっと外に行ってくるわ」
一応、輝に断りを入れておく。彼を視界に入れないようにして。
「足りなかったか」
「ええ、人目を気にしながらじゃ全然力が使えなかった。発散ついでに外で魔獣を狩ってくる」
そう告げて地上へ降りる階段へ向かった。
「なあ、アルフェ――」
後ろをついてくる輝が何かを尋ねようとして、その言葉が途切れた。思わず振り返ってみると輝は空気中に漂う魔力素をじっと見つめていた。
その表情は張り詰めており、否応なく不安を駆り立てられる。
「まずいっ。みんなそこから離れろ!」
輝は外壁から身を乗り出して魔力素結晶を取り合っている狩人たちに叫ぶ。しかし戦利品の取り合いで興奮している狩人たちの耳には届かない。
そしてそれは起こった。
大気中の魔力素が渦を巻きながら収束する。取り合いの渦中にあった魔力素結晶も分解されて収束の渦へと取り込まれてしまう。
その現象を認識した狩人たちに戦慄が走った。
「再構成だ! 臨戦態勢を取れ!」
収束した魔力素は黒い魔法陣を作り出し、その輝きは質量を獲得し、咆哮を伴って世界に悪意を生み落とす。
隆々とした四肢が大地を踏みしめる。理性を宿さない眼光は凶悪性の象徴。
破壊獣。今しがた討伐したものよりも倍近くの巨躯が足元の狩人たちを見下ろしていた。
狩人たちはすぐさま配置に戻ろうと駆け出した。だが破壊獣とゲートまでの距離は百メートルもない。迎撃しようにも間に合うはずもない。
破壊獣がゲートに向かって突進してくる。
「くっ……法則制御――魔力圧縮・一点解放」
輝は慌てて機械鎌を構えて術式を展開した。決して少なくない魔力が込められた砲撃が破壊獣に直撃。
止まらない。痛痒すら与えることすら敵わない。
定位置に残っていた狩人たちも攻撃を放つが、人員を欠いているせいで火力が足りていない。
再構成により巨大化した破壊獣は持ち前の強靭さで攻撃をものともせず、どんどん加速しながら迫ってくる。
アルフェリカも援護のために矢を番えた。矢の質量は先程よりも大きく。魔力の弦の張力も最大に引き絞る。弓が限界までしなり、初速を得るためのエネルギーが溜め込まれる。
次の矢など放つ余裕はない。この一撃で仕留める必要がある。
矢から指を放した瞬間、バキッ、と機械弓が嫌な音を立てた。
「なっ!?」
機械弓が折れた。限界を超えた張力に耐えられなかったのだ。
狙いが狂って破壊獣から大きく逸れて着弾。矢とは思えない衝撃が地面を爆砕するが、目標を射抜けないのであればその威力も意味がない。
「だめだっ! みんな逃げろーっ!」
もはやその突撃を止めることは叶わず、ゲートを守るバリケードとそれに施された【対物障壁】が破壊獣の巨体と衝突した。並みの魔獣であれば十分な強度を誇る障壁も、時速七十キロメートルに及ぶ速度、十トンを超える質量が生み出す運動エネルギーを受けてはひとたまりもない。
敢え無く障壁は砕け散り、その突進力を奪いながらも破壊獣の侵入を許してしまった。
理想郷の中に魔獣の咆哮が響き渡った。




