ショートショート015 釣り
ひとりの少年が、いつものように釣りをしていた。
「今日も大漁になりそうだな」
少年は足もとに置いたバケツの中をのぞき込み、早くも予定の半分ほどまで達した釣果を確認して、満足そうにうなずいた。
どれくらい前からのことか忘れてしまったが、もうずいぶん長いこと、大漁続きだった。釣れない日など、はたしてあったかどうか。少なくとも、少年には思い出せなかった。
その勢いが衰えることはなく、予定の量を釣り終えるまでの時間は、むしろ日に日に早くなっているような気さえした。その原因はわからないが、少年はそこに興味はなかったし、たぶん知る必要もないことだった。
少年は長男だった。家には両親と、まだ幼い妹がいる。少年の仕事は、毎日の食事の確保だった。両親は別に仕事をしていて忙しかったので、代わりに少年がそれを請け負っていた。しかし少年はそのことに不満など持つことはなく、およそ親孝行な子どもと言えた。
毎日たくさん釣れるので、食事に困ることはなかった。適当に釣り、適当に食べる。その味は、とてもおいしい日もあれば、いまひとつの日もあった。しかし、少年も家族も味にうるさい方ではなかったので、そこまで気にはならなかった。
少年は糸を垂らしてアタリを待ちながら、眼前に広がる光景をぼうっと眺めていた。いつもと変わらない風景だ。きらきらとした光が、目にまぶしい。
ときどき、竿がグッと重くなる。しかし、少年は焦らない。この釣りは、やさしくやさしく、そうっと釣り上げるのがコツだ。驚かせてはいけない。臆病な相手なので、大丈夫だよ、怖くないよ、ほら、安心してこっちへおいでと言い聞かせるように、ゆっくりとリールを巻いて獲物を引き揚げる。
そうこうしているうちに、今日もバケツが満杯になったので、少年はそれを持って家に戻った。どこにでもある、普通の一軒家だ。
ドアを開けると、妹が頭をひょっこり覗かせてきた。それを見て少年は、ついにっこりと笑顔を浮かべた。
「今日も大漁だよ」
「お兄ちゃん、いつもありがとう」
妹が、きちんとお辞儀をして少年に礼を言う。親しき仲にも礼儀あり。その言葉をしっかりとわきまえている、自慢の妹だった。
「お父さんとお母さんはまだかい」
「何言ってるの、お兄ちゃん。まだそんな時間じゃないでしょう。お父さんたちが遅いんじゃなくて、お兄ちゃんの帰りが早くなってるだけじゃない」
妹がそう言うので、少年は腕の時計を確かめたが、たしかにその通りだった。
「そうだな。うっかりしてた」
少年は照れ笑いを浮かべながらドアを閉め、家に入った。
しばらくして、まず母親が、ついで父親が帰ってきた。仕事着から普段着に着替えて、みんなでご飯を食べる。いつものように、少年が作ったものだ。棒で叩いてみたり、包丁できざんでみたり、高温の湯で熱してみたり、火であぶってみたりと、少年なりにいろいろと工夫を重ねて作った料理。
今日のは素材の味も良いようで、なかなか好評だった。
食事がひと段落して、父親が口を開いた。
「どうだ、最近の調子は。釣りは順調か」
「うん、まったく問題ないよ。と言うか、むしろどんどん調子が良くなっているような気がするんだけど」
「それは、まあそうでしょうね。ずっと前から、そんな傾向がありましたもの。私たちがしっかり仕事をしているからでもあるんでしょうが、他にも理由がありそうですわね」
「ああ。だが、まあ、そんなことは、どうでもいいことだ。この世にはツキとか流れという、よく分からないものがある。いまはそれが私たちには上向きになっているんだろう」
「そうですね」
いくぶん真剣そうな家族の話題はそれで終わり、それ以降は他愛もない団らんの時間に移った。
どこにでもある、家族の風景。
どこでも見られるような、ごく普通の家庭。
少年とこの一家は、明日も明後日もその先も、こうして生きていくのだろう。
他の家庭とまったく同じように。
やがて、外が明るくなってきた。
「ほら、二人とも。もうそろそろ、寝る時間だぞ」
「うん」
少年と妹が布団に入る。明日も釣りに行って、食料を調達するのだ。しっかりと睡眠をとらなくてはならない。
徐々に明るくなる外を見ながら、少年はぼんやりと考えた。
お父さんとお母さんが下界でしっかり仕事をしてくれているから、僕もたくさん釣り上げることができる。
お父さんたちの仕事は、よく知らない。なんでも、下界の人間に、三つの願いを叶えてやろうと言ってだまし、不幸にしているのだそうだ。
不幸になって弱った魂はうつろいやすく、僕はそれを簡単に釣り上げる。
最近どんどん調子が良くなっているのは、それだけ不幸な人が多いんだろうな。
毎日おいしいご飯が食べられるなんて、なんて幸せなことだろう。
そうしてまた外が暗くなり始めたころ、少年は竿とバケツを持って、下界の上から釣りをしに行くのだ。
きらきらとまたたく夜景の光を眺めつつ、こっちへおいでとささやきながら、ほどよく弱ってぴちぴちと跳ねる、おいしい人間の魂を釣り上げるために。