そのはち
久しぶりの更新です。開いていただいてありがとうございます。
岩海苔とわたしはいつも一緒だった。気づけばいつも隣に岩海苔がいた。だから、こんなに離れるのは初めてだった。
月が珊瑚を照らしても、岩海苔は帰ってこなかった。幾度も日が昇って、沈んでいった。
「岩海苔、おそいね。」
一人で呟けば、慰めるように海が私を撫でた。薄暗く、生暖かい、妙に静かな朝だった。
珊瑚の椅子に座って待てば、ヤドカリたちが度胸試しにわたしの尾びれをつかんでは逃げて行った。
おかげでわたしの尾びれの先はギザギザになって少し不格好になってしまった。岩海苔が帰ってきたら笑われるかもしれない。ぼんやりと自分の尾びれを見ながら帰ってこない岩海苔に想いを馳せた。嫌な予感は見ないふりをした。
「やぁ、海珊瑚。一人でいるのは珍しい。ついに岩海苔に捨てられた?」
キンキンと高い耳障りな声。海豚達が話しかけてきた。黒い目が、楽しそうに嗤っている。
ああ、嫌な時に捕まってしまった。
わたしは海豚がどうにも苦手だった。海豚に揶揄われるわたしを、いつも岩海苔があしらってくれていた。
「かわいそうな海珊瑚!」
「かわいそうかわいそう!」
噂好きの海豚たちは、返事をしないわたしの周りで囃し立てる。ギザギザの歯の隙間から、舌がちらちら見える。
「捨てられてない。岩海苔は子供を作りにいったの。」
思わずぽつりと漏らせば、海豚たちはいっせいにわたしを見た。ゆっくりとわたしを囲うように泳ぎ始める。
「最近、聞いた話なんだけど。」
嫌な、予感がした。
「人魚が人間につかまったって。」
「そうそう、なんでも美しい歌声だとか。」
これ以上、聞いてはいけない気がした。
「黒い髪で深い色の鱗だとか。」
はっと海豚を見つめると、愉悦の色をした黒い瞳と目が合う。
「地上で歌が歌えるなんて、繁殖期だったんだねぇ。」
「愛しい番との子供が欲しかったのに捕まるなんて災難だね。」
「捕まった人魚はどうなるだっけ?」
「刺身にして食べられるか。」
「ペットとして買われるんじゃない。」
ああ、ああ岩海苔。目を覆った。そんな、まさか。
うそ、うそだ。
「まあ、海珊瑚、気を落とさないで。まだ岩海苔と決まったわけじゃないさ。」
キイキイ笑いながら、海豚たちが次々に慰めてくる。ゴムのような質感のヒレでわたしの頬を撫でた。軽薄な海豚たちは、わたしをひとしきり慰めた後、何も言わないわたしに飽きて、新たな噂を拾いに泳いでいった。
ぽつんと取り残される。
きらきらと光差す海の底。優雅になびく海藻。戯れる魚たち。潮が浮かぶ水面。何も変わらない。
ただ、岩海苔だけがいなかった。私だけが違和感を感じていた。ギュッと唇をかみしめた。暗い感情が胸の中で暴れまわって、口から出てきそうだった。
うそだよね。海豚なんて信じちゃだめだよね。
握りこんだ爪が白くなる。ため込んだ感情を吐き出すように震える息を吐いた。
「行かなきゃ。」
わたしの愛しい人魚を迎えに。