そのなな
開いていただきありがとうございます。
わたし達は同じ寝床で寝る。
柔らかな海藻を敷き詰めた寝床にふらりと横たわる。天井に引っ掛けたかごの中で海月が巣の中を青白く照らしていた。
「ねえ、海珊瑚。」
少し眠気の混じった声で岩海苔が小さくわたしを呼んだ。柔らかな吐息がわたしの耳をくすぐる。
「なあに。」
わたしは瞼が閉じていくのを我慢しながら返事した。岩海苔の瞳が、青白い光に照らされて、ゆらゆらと光っている。
「私、人間と交尾をするわ。」
岩海苔はいった。長いまつげが震えていた。
「そっか。」
岩海苔の繁殖期が来たのだと悟る。そのなめらかな白い腹の中に卵ができたのだ。
「岩海苔、好きだよ。」
ほろりと口からこぼれてしまった。岩海苔が目を大きくしたものだから、緑青色に光る瞳にわたしの赤い顔がよく見えた。
「わたし、岩海苔が好き。」
ああ、負けちゃったなぁ。どっちが先に好きと言うかなんて、わたしが負けるにきまってるんだ。わたしはずっと岩海苔には勝てない。
「海珊瑚、すき。すきよ。」
岩海苔が、ほほを真っ赤に染めて、熱に浮かされたように吐息を漏らし、わたしに口づけをした。岩海苔の目が潤んで瞳と同じ色の宝石ががコロコロと落ちていく。
「岩海苔、なかないで。」
涙を岩海苔の目元からぬぐっても後から後からあふれ出してくる。青白い光に照らされて、緑青色に光る岩海苔の涙がきらきらとわたしにふってきた。溢れた涙がぱたぱたとわたしの頬を叩いている。
「そういう海珊瑚こそ。」
岩海苔にいわれて、わたしが泣いていることに気付いた。岩海苔がひんやりとした手と、なめらかな尾びれを絡ませる。
「きれい。」
わたしはつぶやいた。ぽろぽろと緑の宝石が岩海苔の目元からあふれ出す。顔を赤くし、細い眉を八の字にゆがめ、薄く色ずく唇を引き結んで嗚咽をこらえているこの人が。わたしに好きと言われて泣く美しいこの人が、いとおしくてたまらない。
「すき、すきだよ。大好き。」
冷たい肌を重ねながら、わたしたちは熱を持ったかのように「すき」と伝え続けた。
人魚の繁殖期は個体の成熟具合によるのだと昔教えてもらった。難しくてよくわからないとお母さんに言ったら、好きな人との子供が欲しいって強く思ったらおなかの中に卵ができるのよと教えてくれた。
「海珊瑚、行ってきます。」
「やっぱり私も行こうか。」
「いいの、海珊瑚は準備していて。」
岩海苔が、わたしに口づける。岩海苔はこれから岸へ向かうのだ。いつもは海の中でしか話せない人魚も繁殖期だけは海上で歌を歌える。繁殖期だけの人間を惑わす歌。かどわかした人間を海の中に引きずり込んでその精をいただくのだ。待っている番は出産のための巣の準備をしなくてはならない。
卵が転がらないように葦でかごを作ろう。卵を傷つけないようにかごの内側には苔をはろう。出産する岩海苔のために寝床には新しい柔らかな海藻を敷き詰めよう。お腹がすいてるかもしれないから好物の真珠を集めなきゃ。この前拾った白い貝殻で岩海苔の髪飾りも作りたい。
わたしはわたわたと出産に向けての準備を始めた。
「わたしと岩海苔の赤ちゃん。」
自然と頬が緩んでしまう。かわいいだろうな。岩海苔に似てるといい。岩海苔は、わたしに似てるほうがいいって言いそうだけれど。
どんな瞳の色だろうか。どんな鱗や尾びれだろうか。どんな髪をしているだろうか。どんな声で笑うのだろうか。
まだ見ぬわたしたちの子はどんな産声を上げるだろうか。
瞳を閉じれば幸せな未来。あたたかな夢が浮かんだ。
寝床を掃除しようとすれば、海藻の間で黒にも見える深い緑の石と、薄い水色の石が散らばり、きらきら光っている。岩海苔とわたしの涙を一つ一つ拾えば、手のひらいっぱいに集まった。昨日のことを思い出して赤くなりながらごまかすように鼻歌を歌った。
これで岩海苔とわたしと、まだ見ぬわたしの子供に何か作ろう。岩海苔には白い貝殻とわたしの涙を使おう。
巣の掃除に、卵のためのかご作り、海藻の入れ替え、真珠集め。することはいっぱいある。終わるころには岩海苔も帰ってくるだろう。
わたしは鼻歌を歌いながら掃除を始める。
すべての作業が終わるころには日はとっくに沈んでいた。
宝石でいくつものアクセサリーを作り終わっても岩海苔は帰ってこなかった。
ここまで読んでくださってありがとうございます。