3. バルディア医院の筋肉じじい
足取り重く家の前まで辿り着くと、ルナとはお互いに準備ができたら
一緒に式典会場へ向かおうと約束し別れた。
ふーーーーーっ。
自分の家を目の前にして深く、そして長く息を吐き気合を入れる。
ただ家に帰ってきただけなのに何だろうこの緊張感は。
バルディア医院
この病院は元々、じいちゃんと母さんの二人で始めたものだったが、
8年前に母さんが亡くなってからは、じいちゃんが一人で何とか切り盛りしている。
だから今、俺はじいちゃんと二人暮らしだ。
俺も暇なときは少しでも力になれればと手伝おうとするのだが、
薬品の種類を間違えたりと失敗続きでいつもどやされてばかりだ。
普段は診察を待つ患者さんでごった返しているのだが、
今日は特別な日ということで急患、急病のみ受け付けることになっていたため
今は誰も来ていないようだ。
じいちゃんはというと、昨日の夜間診療が終わった後、すぐに少し離れた島まで
知り合いの医者に薬を分けてもらってくると言い残し家を出て行った。
今日の昼までには帰ってくると言っていたので、もう家に戻っている頃だろう。
まったく……もう結構いい年なのにどこからあんなパワーが湧いてくるんだか。
ガチャリと玄関の扉を開け、中に足を一歩、二歩そーっと踏み入れる。
「ただいま~。じいちゃん帰ってる? 」
呼びかけたものの返事はいっこうに帰ってこなかった。
あれ、おかしいな。いつもなら何かしらすぐに返事してくれるのに。
まだ帰ってきてないのかな。
そんなことを思いながら、さらに病院の奥へ進み住居と病院側を隔てている扉を開けた。
「じいちゃん、ただいっ……」
ボゴォオオオオン!!
刹那、ハンマーで思いきりぶん殴られたような強烈な衝撃が俺を襲った。
「ぐああああーーーーーっ」
突然のことだったが、この右頬への強烈な一撃は小さい頃からよく知っている。
俺の体は病院側の廊下まで吹っ飛ばされ床に叩きつけられた。
痛ってええええええええええ!!
「ほう、ワシの左ストレートを受けてもそれだけしか吹っ飛ばんか。
ワシの腕もさすがに衰えてきたかのう。いや、お前が無駄にでかくなりおったせいか」
この一見どう見ても医者に見えない白髪オールバックの筋肉じじいこそ
俺のじいちゃんであるノア=バルディアだ。
常連さんはもう慣れたものだが、初めての患者さんや小さい子供なんかは
その豪然たる風貌にガタガタと怯え出したり、急に泣きだしたりすることはもちろん、
逃げ出そうとする人も少なくない。
昔、じいちゃんはどうしてお医者さんなのにそんなに体を鍛えているのか尋ねたことがあった。
じいちゃん曰く、
「筋肉をつければ、どんな強大な敵だろうと、どんな凶悪な病気だろうと
やっつけることができる。だからワシは日々鍛錬を欠かさぬのじゃ」
とのことだった。
医者という仕事をしているのに、まるで脳みそまで筋肉でできているかのような
意味不明な解答に俺は幼いながら絶句したのを覚えている。
俺が廊下に仰向けに倒れたまま、なかなか立ち上がらないでいると
じいちゃんはドカドカと歩み寄ってきて、俺の襟元を両手でガシッと掴むと……
一気に天上ギリギリまで引き上げた。
「この、バカンタレがあああああああーーーっ!!! 」
あれ、こんな展開さっき学校でもあったような。おいおい、またかよ……勘弁してくれ。
「話はルナちゃんの母君から全て聞かせてもらった。
昔から手を焼かせてばかりのクソガキだったが、とうとういく所までいきおって」
襟元を締め付ける力がどんどんと強くなっていく。
こ……れ……は、フワリ先生のときより……ヤバイかも。
「己のみならまだしも、あまつさえ他所のお嬢さんまでも危険な目に遭わすとは。
その罪深きこと山より高く、谷より深し。かくなる上はワシもろともお前を……」
マズイっ。ヒートアップしたじいちゃんを止めることは、たとえ町の屈強な男たちが
束になったとしても無理だろう。
だとしたら俺に残された道は一つしかない。
俺は全身の力を振りなんとか絞って右腕を振り上げると、
じいちゃんが普段、診察室として使っている部屋の机を指差した。
その机の上には患者さんたちのカルテとともに
埃一つかぶっていない綺麗に磨かれた写真立てが一つ飾られていた。
じいちゃんは俺が指差した先に視線を移すやいなや
今まで鬼も驚くような形相をしていたのが、ハッと我に返ったかのように
普段の顔に戻り(だが顔は怖い)、襟元を締め付けていた腕の力も緩めた。
「あ~いかんいかん。もう少しでお前の母親に顔向けできなくなるところだったわい。
頭に血が上るとどうも加減ができなくなっていかんのう。
すまんなぁ、エリー」
ようやく元の廊下にゆっくり下ろされると、俺はゲホゴホと思いっきりせき込んだ。
母さん、ありがとう。やっぱりじいちゃんを止められるのは母さんだけだよ。
写真立ての中でやわらかな笑みを浮かべる母、エリー=バルディアを見ながら、
俺は心の中で強く、強く彼女に感謝した。
「さて、レオンよ。今日のところはお前の母に免じて許してやるが、
ワシはまだ全て納得したわけではないからな。
まずは事の経緯を最初から詳しく聞かせてもらおうかの」
まるで凶悪な犯罪事件を起こした犯人を問い詰めるかのような口ぶりと
その鋭い眼光に思わず背筋がブルブルっと震えた。
※ノア=バルディア(雲上人)
身長181センチ
白髪オールバックに鋭い眼光、おまけに筋肉質の大男と
およそ医者とは程遠い風貌をしているため、町では
”バルディア医院の筋肉じじい”としてとおっている。
だが患者に対しての真摯な対応や見た目とは裏腹の繊細な処置に
ファンも多く(主にミドルなおばさま)、町での評判は上々である。
自分の娘であるエリー(レオンの母)を早くに亡くしたため、
孫のレオンを男手ひとつで育て上げてきたが、手を焼くことも多く、
時々行き過ぎた対応をしてしまうこともしばしば。
孫に対してのみよく使う口癖として「このバカンタレ」を用いる。
ちなみに利き腕は右である。
診察室で右頬を荒々しく治療されながら、俺は簡単に今朝の遺跡での出来事をじいちゃんに説明した。
ルナと二人でグレート・コックスの卵を探しに行ったこと、
遺跡の奥で実際に卵を見つけたこと、親鳥に見つかって殺されかけたこと、
そこから死にもの狂いで逃げ出したことなどだ。
「グレート・コックスの卵を見つけて掘りだしたとな……」
じいちゃんは仕上げに俺の右頬にガーゼをベシっと貼りつけると、険しい顔つきでそう質問した。
「ああ、そうだよ。卵を町まで持って帰ってどうしても大人たちを見返してやりたかったんだ。
いつも俺を子供扱いするから……」
「はあ~、このバカンタレが……」
頭を軽く抱えながら、じいちゃんはそう呟いた。
「でも、卵は結局持って帰れなかったんだ。二人で逃げ出すのに精一杯だったし」
「そんな状況で二人とも大した怪我もなく無事だったのはまさに奇跡じゃな。
だが問題はそこではない。お前、卵は完全に掘りだしたのだな? 」
「ああ」
「グレート・コックスは普段そこらにいるコックスとは違い、数年に一度、二つしか卵を産まん。
さらにその卵は非常にデリケートじゃ。卵からふ化するまでの間に一度でも巣から掘りだされると
殻の表面から内部が冷えて中のヒナは死んでしまう」
「え……」
「そういった事態を防ぐため親鳥は普通、巣から決して離れることはないのだが……
何かやむにやまれぬ理由でもあったのかのう」
「そ……んな……」
事前にグレート・コックスの習性や特徴などは本を読むなどして知っていた。
でも、卵がそこまでデリケートなものだったことまでは知らなかった。
「奴は燃えるように真っ赤な体をしておらんかったか」
そう言われ、必死にあの時のことをもう一度思い出した。
「ああ……確かに。暗くてよく見えなかったけど確かに赤いヤツだった」
じいちゃんは椅子から立ち上がると窓際へ行き、空を見上げた。
「真紅の女王……」
「ブラッド・クイーン? 」
「ああ、あの島周辺に生息するグレート・コックスたちを束ねる女王じゃ。
まったくお前はよりによって一番厄介な奴に手を出しおって」
「奴らは執念深く、そして頭もいい。自分や仲間に危害を加えた者の姿やにおいを覚えていて、
どこまでも追いかけてくるぞ」
そしてこちらへ向き直ると、さらに話を続けた。
「まあ、この町におる間は大丈夫じゃろうがな。それに今日は黒点式の当日でもあり、
警備はいつも以上に厳重じゃ。
奴らが群れを成して襲いかかってでもこん限り、あの警備網は破られまいて」
「…………」
俺はうつむいて何も答えることができなかった。
「そう落ち込むでない、大丈夫じゃ。シャキッとせいシャキッと」
じいちゃんは俺の肩をバシバシと叩くと壁に掛かった小人時計に目をやった。
「おお! もうこんな時間じゃないか。ワシも急がんと式に遅れてしまうわい。
ほれ、お前もはよう準備をせんか」
そう言われ、せき立てられるように椅子から立ち上がると、
住居側の2階にある自分の部屋にフラフラと向かった。
部屋に着くなりバタンと扉を閉めベッドに倒れ込むように転がった。
長年使い込んだベッドがミシッと悲鳴を上げる。
「何でこんなことに……」
ひとりでに口から言葉が漏れる。
元はといえば自分が蒔いた種だが、まさかこんなことになってしまうとは夢にも思わなかった。
そもそもあの遺跡の奥にグレート・コックスの巣が本当にあるかどうかも最初は半信半疑だったんだ。
仮に巣があったとしても今の時期に運よく卵が産み落とされていることなんて
万に一つもないだろうと思っていた。
けど、実際にそこに巣があって卵もあって、卵を掘りだしたことに
親鳥は超怒ってて俺たちを殺しに来るかもしれないだって……。
あ~過去に戻れるなら今朝、ワクワクしながら遺跡に行く準備をしてる
自分をぶん殴ってでも止めたい、止めてやりたい。
「でも、まあ済んじまったことはどうしようもできないよな」
よくよく考えれば顔を見られたと言っても薄暗かったし、
においを辿るといってもあの遺跡からこの島までそれなりの距離がある。
何より相手はでかいといってもただの鳥だ、人間である俺たちに勝てるわけがないさ。
俺はベッドから跳ね起きるとグッと右の拳を固く握り、天高く突き上げて叫んだ。
「そうだ、そうだよ! 巨鳥だろうと何だろうと来るなら来てみろ!
町のみんなで迎え撃って、どでかいローストチキンにしてやるぜ」
「アホなこと言っとらんと、さっさと準備せいと言っとろうが。もうルナちゃんがそこに来ておるぞ」
階下からじいちゃんが大声で呼びかける声が聞こえ、さらにルナの「お邪魔しま~す」
という声が聞こえた
やっば! まだ何も準備してない……。
急いで式典用のローブをタンスから取り出し、壁に立てかけておいた祭礼用の剣を
引っ掴むと、部屋を出て階段を転がるように駆け降りた。