9. 記憶
「はあはあはあはあ……」
路地裏のだいぶ入り組んだところまで走りきると私の足も限界に来たのか、
それ以上走ることができず徐々にスピードが落ち、ついには立ち止まらざるを得なくなった。
すると私の前をずっと先導してくれていた人物も同じようにその場で止まってくれた。
膝に手をつきながら空を見上げると、建物の屋根越しに多くの巨鳥たちが絶え間なく
飛び交っているのが見えた。
これまでも島にグレート・コックスが迷い込んでくることは何度かあったが、
それでもせいぜい一頭か二頭だった。あんなにも多くの巨鳥が島の上空を行き交い
人々を襲っているなんて前代未聞だろう。
彼らもいい加減、堪忍袋の緒が切れたといったところなのだろうか。
もっとも、その原因の一つが自分にあるので、とても心が痛むのだが。
考えながら深呼吸しているうちに少しずつ息が整ってきた。
「あ、あの……さっきは助けてくださって……どうもありがとうございました」
「…………」
だが、白いローブの人物は周囲の状況をうかがうだけで何も話してはくれなかった。
あれ、言葉が通じてない? それともただ単に無視されてるだけかな?
「あの……失礼でなければ教えてください。あなたは地上の方ですよね。
どうして私のことを助けてくれたのですか。
私たちはあなたたちにとって敵なのではないのですか」
「…………」
こちらを振り向いてはくれたものの、それでも何も話してくれない。
「では質問を変えます。あなたは私たちの味方ですか」
この質問に対し、白ローブの人物は初めて首を横に振った。
「では、やはり敵……なのですか」
この質問に対しても同様に首を横に振った。
「敵でも味方でもない……」
今度はコクコクと頷くように縦に首を振った。
「そうですか地上の方たちにも色々な考えを持った人たちがいるのですね。
でも、あなたは会場にいた怖い人たちとは違うようで安心しました」
「フッ」
今、一瞬鼻で笑われたような気がしたのは、気のせいだろうか。
「ですが一部の地上の方とはいえ、なぜあんなに酷いことをしたのですか。
無抵抗な人間を次々に撃ち殺すなんて……。
彼らは本当にこの天上世界を乗っ取るつもりで今日ここへやってきたのですか」
この質問には否定も肯定もしてはくれなかった。ただ下を向きうなだれるばかりで
二人の間にしばらくの間、沈黙が訪れた。
この人にも分からないんだわ。ということは今ここで起きている混乱は地上側の総意ではなく、
一部の過激派が計画したものということなのかしら。
「とりあえずその話題は今は置いておきましょうか。さて、次なる問題はこれからどうするかですね。
さっきの場所に戻ることはもちろんできないし、かと言って避難場所に行くにしても
空をブンブンと飛びまわってるあのバカ鳥どもが厄介ですし……。
いっそのこと騒動が治まるまで、しばらくここに身を潜めていましょうか。
ここなら下手に動かない限りそう簡単に奴らに見つかることもないでしょうしね」
私の提案に対し白ローブの人も納得してくれたようで再び頷いてくれた。
よかったこの人が良い人で。ってそもそも良い人じゃなかったら、あんな危ない場面で
私のことなんか助けてくれるわけなかったでしょうけどね。
「おや~こんな所に誰かと思えば、ルナ・セレーネ君じゃないか」
ホッとしたのも束の間、二人は建物の陰から突然声を掛けられ飛び上がらんばかりに驚いた。
声がした方を見ると、眼鏡を掛けた細身の男が一人ユラユラと近づいてきた。
「あなたは……セッカチ先輩。良かった無事だったんですね」
「オホン、いいかねルナ君、僕の名前は”セカッチ”だ。間違えやすいとよく言われるから
以後気をつけるように」
「はい、すいません。でもこの混乱の中よくご無事でしたね。先輩はどちらに……」
バッ!
その時、白ローブの人が近づいてくる先輩と私との間を遮るように突然割り込み
右手を振り上げ私に下がるよう促した。
「何だね君は、初対面の相手に対し随分と失礼じゃないか」
白ローブの人は相変わらず一言も発しなかったが、仮面越しに先輩のことを
鋭く睨みつけているように感じられた。
「あっ、先輩この人決して悪い人じゃないんです。今は多分ちょっと気が立ってるだけだと
思うん……ですけど」
「アラン……」
「え? 」
「アラン・アルテミス……」
小さな小さな声ではあったが確かに白ローブの人はそう呟いた。
でもアランって? それがこの人の名前なのかしら。
「アラン……だと」
その言葉を聞いた途端、先輩の顔が一気に青ざめたように見えた。
「ククッ……ハハハハハッ。まさかこんな所で再びその名を聞くとわな。
何だ貴様、今さら11年前の復讐でもしに来たのか。クククククッ」
そう言って先輩は纏っている青いローブの下から祭礼用ではない真剣をサッと引き抜くと、
白ローブの人に向けて突きつけた。
「きゃっ」
目の前で起きている事態が上手く飲み込めず、しかも先輩が突然豹変したかのように
態度を変え、こちらに剣を向けてきたので思わず声が出てしまった。
どういうことなの……この二人は知り合いなの? 11年前? 復讐?
とにかく分からないことだらけだったが、私はなぜかこの状況に既視感を感じていた。
11年前……青と白のローブ……月明かりに照らされた銀色の刃……対峙する二人……
あっ! その瞬間、まるでそれまで固く閉ざさていた扉が一気に開け放たれたように11年前の
あの日の記憶が次々と蘇ってきた。
「セカッチ先輩、私たった今11年前のあの日のことを思い出しました」
「なに……」
「あなたはあの日、ここで地上人の男性を一人殺しましたね」
11年前のあの夜、まだ4歳だった私は黒点式に参加するため母やレオンと一緒にこの会場を
訪れていた。
はぐれないようにレオンとしっかり手を繋いで歩いていたのだが、人ごみの中つい手を離してしまい
二人と離れ離れになってしまった。
そして懸命に二人を捜すうちに狭い路地裏へと迷い込んだ。どこまで歩いても似たような風景で、
自分がどこから来たのかどこへ向かっているのかすら分からなくなり不安から泣きだしそうに
なった時、不意に誰かが口論でもしているような怒鳴り声がどこかから聞こえてきた。
とにかく誰かに会いたかった私は怖々ながらも声のした方へ歩いていき、建物の陰からそっと
様子をうかがった。
「おい聞いているのかセカッチ! 馬鹿な真似はよせと言ってるんだ。そんなことをしても
俺たち地上人の暮らしは何も変わらない。むしろ天上人たちを怒らせるだけだ。
お前は村の大人たちに騙されてるんだよ」
「うるさいなぁ、アランさんこそ自分が選ばれなかったからって僕に嫉妬してるんじゃないですか。
そもそも僕は大人たちに言われたからここへ来たんじゃない。
太陽神ホグルスからの天命を受け、自分の意思でやってきたんだ」
話している内容は全く理解できなかったが、言い合いをしている二人の格好を見るに
天上人と地上人が何事かで揉めているように思われた。
なぜならセカッチと呼ばれる小さな男の子は私たちと同じ青いローブを、
そしてアランと呼ばれている大きな男の人は地上の人たちが着る白いローブを羽織っていたからだ。
「とにかくこの計画は白紙に戻す。俺が直接みんなに掛け合ってやるからお前も一緒に帰るんだ」
「だから……戻らないって……何度も言ってるだろうがっ! 」
アランという人がセカッチという少年の肩に手を掛けた時、少年は自分の腰に差していた剣を
ザッと引き抜き抜くと、それで力任せに斬り付けた。
「ぬぐおおっ……お……ま……え」
アランという人は短い悲鳴を上げると少年を虚ろな瞳で見つめながらゆっくりとその場に倒れ込んだ。
周囲にはジワジワと真っ赤な血だまりが広がっていった。
「きゃああああああああああああああああああ」
目の前でそのような光景を目の当たりにし、幼い私はショックを押さえきれず
思い切り絶叫していた。
その瞬間、フッと意識が飛んだ。深い深い闇の中へ吸い込まれていくような感覚に包まれ、
次に目を覚ましたのはレオンのお爺さんが営むバルディア医院の暖かなベッドの上だった。
後から聞いた話によると、路地裏の壁に寄り掛かって一人で寝ているところを
通りすがりの人に助けられたとのことだった。
それから何度かあの日の夜、何があったのか父や母やレオンのお爺さんにも聞かれたが、
一人はぐれて迷子になったこと以外何も思い出すことができなかった。
でも今、こうしてあの時と酷似した状況を目にしてはっきりと思い出すことができた。
あの日見た少年はセカッチ先輩で、彼はアランという地上の人を何らかの理由で殺したんだ。
「はあ~結局思い出してしまったんだね。やっぱりあの時、口を封じておくべきだったかな。
まずはこの島に密かに潜入することが目的だったから、あえて見逃したんだけど。
一応君のことは常に監視していたさ、いつおかしなことを言い出さないかとね。
ほら今日最初に会った時も言っただろ以前から気にかけていた、って」
月明かりが眼鏡に反射し目元は見えなかったが、口にはニタニタと
気味の悪い笑顔を浮かべながら先輩はそう切り出した。
「教えてください。先輩は地上人たちがこの島を侵略しようとしていることに何か
関係しているのではないですか」
「……ああ、その通りだよ。ただ、まずその地上人だの雲上人だのという呼称を止めてもらえるかな。
僕たちは地上人だ。お前たちが勝手に決め付けた蔑称で呼ぶんじゃない! 」
「す、すいません」
先輩のあまりの剣幕に思わず謝ってしまった。でも今、先輩は「僕たち」と言った。ということは
やはり先輩も地上人だったんだ。
「まったく……あのレオンとかいうガキといい、君といい、なぜこう次から次へと僕たちの崇高な
計画を邪魔しようとするかねぇ」
「レオン?! まさかレオンとも何かあったんですか」
「ん? 気になるかい。まあ今頃はどこかでお友達と仲良く鳥たちの胃袋にでも納まっているさ。
それとも冷たい道端で一人寂しくバラバラに……」
「やめて、それ以上は……」
つい先ほどのサリーさんのことが思い出された。目を見開き、必死に助けを求めるあの姿を。
レオンもあんな風に……。嘘よ、ウソウソウソウソウソ……うそ……でしょ。
「何もそこまで悲しむことはないさ。これからはずっとこの僕が側にいてあげるからね。
何があっても君だけは必ず助けると約束しよう。だから僕と一緒に……」
カチャ……
相変わらず気持ち悪い笑顔をこちらへ向けながら近づいてこようとした先輩だったが、
今度は白ローブの人が自動式拳銃をローブの下に隠していたホルダーから引き抜き
先輩へと照準を合わせた。
「ほう、お前はあくまで抵抗するということか。誰だか知らんがアランの仇打ちなど止めておけ。
あいつは太陽神ホグルスのお導きすら理解できぬ、間抜けで愚鈍な愚か者だ」
ブチッ……
実際に聞こえたわけではなかったが、先輩の一言がこの白ローブの人の逆鱗に触れたのは
火を見るよりも明らかだった。肩はワナワナと震え、心なしか息づかいも荒くなっているように
感じられた。すぐ後ろに立っている私の方までその怒りの波長が伝わってくるかのようだ。
先輩は剣の届く間合いギリギリまで距離を詰め、白ローブの人はいつでも撃てるよう銃を持つ手に
ギリリと力を込めた。
まさに一触即発の状況。だが、その時、再びあの忌々しい鳴き声が三人の頭上から浴びせられた。
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアア」
三人は一斉に鳴き声がした方に視線を移す。すると屋根の上にあの真紅の巨鳥が堂々と立ち、
月明かりを背にこちらをギラギラとした瞳で睨みつけていた。
「これは良くないねぇ、非常に良くない状況だ」
さすがの先輩もこれには焦りを隠せないのか、声や態度に先ほどまでの余裕がなくなっていた。
一方、白ローブの人は拳銃の弾倉をジャコンと一瞬で交換し終え、殺る気満々といった様子だ。
「なあ、お前一つ提案があるんだが……」
先輩は白ローブの人に向かってできるだけ小声で話しかけた。
「僕のスカイバイクがアイツの立っている建物のちょうど真下に停めてあるんだ。
そう、あの角を曲がったスグの所だ。そこまで無事に辿り着ければそれに乗って
この場から逃げることができる。
ただ残念なことにバイクは二人乗りだ。お前……僕の言いたいことが分かるよな? 」
白ローブの人はその意図を瞬時に理解したようで、私の方を振り返るとクイッと顎を動かし
指図した。
「私に先輩と行けってことですか。でもそうしたらあなたは……」
「今はそうするしか他にこの状況を切り抜ける方法がないということさ。
さあグズグズしている時間はない、助かりたいなら僕の手を取りたまえ」
少し迷ったが、二人に促され已むなく先輩が差し出した手を取った。
「ごめんなさい、でも必ず……必ず無事でいてください」
先輩に手を引かれながらそう言い残すと、何も言わずコクッと頷いてくれた。
空では巨鳥がその大きな翼をバッサバッサと羽ばたかせ、私たちがいる狭い路地に
強引に降りてこようとしていた。
バンッバンッバンッ!
白ローブの人は威嚇がてら三発ほど巨鳥にお見舞いした。
「ギュアアアアアアアアアアアアアアアアア」
それに怒った巨鳥は全身の固い羽毛をより毛羽立たせ、絶叫に近い咆哮を上げた。
「今なら奴の注意は完全にあいつが引きつけている。さあルナ君一気に走り抜けるよ」
「はいっ」
私たちはできるだけ巨鳥の視界に入らぬよう建物の軒下を全速力で走り抜けた。
空からはバラバラと崩れてきた建物のガレキや破片が次々と降りかかってくる。
そして角を曲がると、すぐの所に先輩の言っていたとおり、一台のスカイバイクが停めてあった。
先に先輩がまたがり手早くキーを差し込むと勢いよくブルンッとエンジンを始動させた。
私も後に続こうと先輩の後ろにまたがろうとした時、そのさらに後方に乱暴にひもで括りつけられた
白くて丸い物体が目に入った。
「コ、コレって……! 何でですか、何で卵がここにあるんですか?! 」
「説明は後だ。とにかく今はここを離れることが先決問題だろう」
冗談でしょ? と思いながらも必死に巨鳥を引きつけてくれている白ローブの人のことを
思うとここで悠長に話を聞いている余裕はなかった。
私は先輩の後ろにまたがると、体はくっつけずに両手で先輩の肩を思いっきり、
これでもかというくらい強く握りしめた。
「痛でででででででで! ルナ君、案外力が強いんだね。じゃあ行くよ、振り落とされないようにね」
「……はい」
ブオオオオオオオーーーーーーン!!!
二人を乗せたスカイバイクは一気に加速上昇し、周りの建物があっという間に小さくなっていった。
その代わりに満天の星空はグンと近くなり、時折流れ星も現れては消えていく。
鳥たちは地上に降りて人々を襲っているのか今はまばらに飛び回っているだけになっていた。
ああ、本当だったら今頃もう式は終わってレオンと裏山へ向かっていてもおかしくない時間なのに。
どうしてこんなことになってしまったの。
ふと眼下に目をやる。町のあちこちからは火の手が上がり、この上空まで銃声や鳥たちの喚き声、
人々の悲鳴が片時もやむことなく聞こえてきた。
先輩の言ったとおり、本当にレオンは鳥たちの餌になってしまったのだろうか。
いや、彼ならきっとどこかに無事でいてくれるはず、そうに違いない。
「やっと二人きりになれたねルナ=セレーネ君。
このまま夜のツーリングとでも洒落込もうか」
甘い猫撫で声で突然そう話を切り出され、さすがに腹が立った私は先輩の肩に置いた手に
さらに力を込めるとこう言ってやった。
「ふざ……け……ないでよ、ふざけんなっ! 今夜だけでどれほど島の人たちが犠牲になったと
思ってるのよ! 町長さんだってサリーおばさんだって他の大勢の人たちだって死ぬ必要なんて
全然なかったのよ! どれもこれもあなた達地上人のせいじゃない!
ほんと……いい加減にしてよ」
私のあまりの剣幕に驚いたのか、しばしの沈黙ののち先輩は話を続けた。
「……仕方のないことだ。これは太陽神ホグルスのお導きが……」
「太陽神、太陽神って……そうやって神様を引き合いに出して逃げないでよ。
人間同士で殺し合えなんて言う神様がどこにいるっていうの……」
「………………」
「………………」
再び沈黙。
「グガアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーッ」
その沈黙を引き裂くようにまた例の耳を塞ぎたくなるような咆哮が後方から迫ってきた。
まだだいぶ距離があるとはいえ、巨大な翼を目一杯羽ばたかせグングン距離を縮めてきている。
もう……本当にしつこい。
「そうだ、この後ろに括りつけてある卵は何なんですか。まさかこれもあの鳥から
奪ったものなんですか? 」
「ああ、僕が今朝君たちが来る前にあの遺跡で盗み出したものだよ。
最も、アイツらをこの島におびきよせた今となってはもう用済みだがね。
それがあるせいで、いつまでもあの紅いのが追いかけてきてそろそろウンザリしてきた。
悪いがルナ君、それをそこら辺に叩き落してくれないか」
「えっ!? そんなことしたら余計に怒らせちゃいますよ。ダメです、私にはできません」
「もう十分すぎるほどアイツは怒ってる。それに中のヒナだってもう死んでるだろう。
だったら別に何も問題はないさ」
「う~~~~っ、でも……」
私は先輩の肩から右手を外すと、おそるおそる後ろにある卵へと手を伸ばした。
そしてツルツルとした表面をそっと指でなぞる……。
「え、ウソ……」
「どうした? 」
「この卵……まだ暖かいんです……」
「なん……だと……」