八十七話 つーか、そろそろ通貨作ろう
『蝕王の果樹園』攻略後、イモータルエントの森は一層賑やかに成った。一年中、様々な果物がたわわに実るその様子は、果物の宝石箱の様だ。
他にも、タロスヘイムでは大きな改革がなされた。ダンジョンへの行き来が楽に成り、城壁を出なくても通えるようになったのだ。
『ガランの谷』、『ドラン水宴洞』、『ボークス亜竜草原』、『バリゲン減命山』を町の内側まで移築したのである。
ヴァンダルーの【迷宮建築】スキルは、何と彼が過去攻略した事のあるダンジョンなら、移動させる事が可能だったのだ。
「人が早足で歩く程度の速度で、一分毎に魔力が一万程必要ですが……【魔力自動回復】スキルで一秒ごとに一万ぐらい回復するので、時間さえあれば何処までもダンジョンを移動できます」
ヴァンダルーの背後をダンジョンの入り口が「ズズズ」と音を立てて着いていき、それでいて内部には何の変化も無い。
これは流石にルチリアーノだけではなく、全員が愕然とした。
更に、驚くべきことにヴァンダルーは過去攻略したダンジョンの入り口から他の攻略済みダンジョンの入り口にテレポートする事が出来た。こちらは階層間の転移と違って、彼一人だけだったが……彼に憑いているレビア達ゴーストや、装備している蟲は彼の一部と見なされるため、一緒に転移する事が出来た。
何年も前に、ザディリス達と会う前に攻略したミルグ盾国の小さなダンジョンにもテレポート出来たので、一度攻略したダンジョンなら何処でも行けるようだ。
「ニアーキの町に作ったダンジョン、今度攻略しに行こうかな」
「それより師匠、極小規模のダンジョンをそこかしこに作れば良いのではないかね? 作れるのだろう?」
「まあ、結構魔力を使いますけどね」
一つだけ試しに小さなダンジョンを作ってみたのだが、移築と比べると中々の重労働だった。たった一つの事に一時間以上集中し、魔力も一億以上使っている。
それで出来たのは階層が一階だけの、ホーンラビットやビッグフロッグ等のランク1しか出て来ないダンジョンだ。
「どうやら、ダンジョンの出来はスキルレベルに消費した魔力の量と時間、俺自身の精神状態にも左右されるようです」
『蝕王の果樹園』は、過去に複数回億単位の魔力を時間をかけて大地に注いでいる。ヴァンダルー自身は作った後の事は一切知らないが、三十階層のC級ダンジョン『ハインツ骸骨洞』では、記憶が飛ぶような精神状態で魔力が空になるまで振り搾った。
今は自由自在に望んだ難易度のダンジョンを作る事は出来ないようだ。内装も、大体最初にダンジョンを作った場所の周囲の環境に合わせて作られるらしい。『蝕王の果樹園』が、森という環境に拘った仕様に成っているのはそのためだ。
ただ、難易度や階層はダンジョンを作った後でも変化させる事が出来た。一階層だけのダンジョンに後日時間をかけて魔力を注いだら、二階層までのダンジョンに変化していたからだ。階層を増やすのと同じ要領で、難易度も高くする事が出来るだろう。
後、スキルレベルが上がればもっと自由に作れるようになるのではないだろうか。別に急いで高難易度のダンジョンを作らなければならない理由も無いので、今はこれで十分だろうけど。
【迷宮建築】スキルで出来る事は、以下のようになる。
・ダンジョンを作る事が出来る。ただし、階層や難易度、内装の操作は現時点では不自由。
・一歩足を踏み入れただけでその階層の構造が解る。
・ダンジョン内で出現する魔物には、魂が無い。そのためヴァンダルーが限定的だがコントロール可能。テイムするためには、適当な霊を憑依させなければならない。
・ダンジョン内のヴァンダルーが攻略した階層には、仲間と一緒にテレポートする事が出来る。
・攻略済みの階層の構造を変更可能。壁や扉、罠の設置及び解除、他の階層に繋がる階段も設置可能。
・攻略済みのダンジョンを移動させ、移築できる。その際、内部には一切影響は出ない。
・攻略済みのダンジョンの入り口から、他の攻略済みのダンジョンの入り口にテレポートする事が出来る。ただし、この場合テレポート出来るのはヴァンダルーと、彼が装備している蟲と憑いている霊及びアストラル系のアンデッドのみ。
そしてヴァンダルーは『ドラン水宴洞』を改築して海水を引くための石のパイプを設置して、ダンジョンの外に塩田を造ったのだった。
「俺以外も自由にダンジョンをテレポート出来たら便利なんですが……そんなマジックアイテムを作れないかな?」
バリボリと硬いが美味いリンゴに似た果実を齧りながら、ヴァンダルーは考えていた。
《【迷宮建築】、【眷属強化】、【死属性魅了】スキルのレベルが上がりました!》
その頃、ロドコルテはエラーを頻発させる輪廻転生システムにかかりきりに成っていた。
『これは一体何事だ!? ラムダで大量の魂が私のシステムを離れただと? ヴィダの新種族が何かしたのか!?』
一度に数百数千の魂が、ロドコルテの管理下を離れたのだ。
これまでも、他種族を自分の種族に変化させる事が出来る吸血鬼やグール、魔人族等によってロドコルテが管理する魂がヴィダのシステムに取り込まれる事は数え切れない程起きていた。
ただ、その頻度自体は低い。少なくとも、一日で数百数千の魂が管理下を離れる事は無かった。
その原因は、ヴァンダルーが『蝕王の果樹園』で魂の無い魔物をテイムするために、自分に憑いていた霊を魔物に宿らせた事だ。
ヴァンダルー自身はこれまでアンデッドやゴーレムを作るのと同じ程度の感覚で行った事だが、それはルチリアーノが指摘した通り輪廻転生に等しい行為だ。ライフデッドの中の胎児に霊を宿らせてパウヴィナを創り出したように、霊を宿らせたのは死体や鉱物ではなく魔物ではあるが生物なのだから。
ヴァンダルーは人の身でありながら、まさしく神の御業に手を出していたのだ。
全て彼自身が動かさなければならない等仕組みは全て手動で行わなければならないが、ヴァンダルーは自前の輪廻転生システムを運行しているに等しい。
しかも、ヴィダの新種族の場合は基本的に相手の同意が必要だが、ヴァンダルーの場合は彼に完全に魅了されている霊達が相手なので、彼の指示があれば植物型だろうと蟲型だろうと霊達は喜んで魔物に転生する。
ロドコルテにとって自分の権能を侵しかねない、そしてアルダが危惧するヴィダ式輪廻転生システムより不安定でより恣意的な運用をされる、新たな輪廻転生システムがラムダに誕生したのだ。
『一体何が起きているのだ……っ!』
だがエラーの処理に追われるロドコルテが真実を知るのはまだ先だった。
因みに、【悦命の邪神】ヒヒリュシュカカを含める魔王軍残党と呼ばれる、魔王式輪廻転生システムも同時期にエラーを頻発させたが、元々日常的にエラーを起こし、エラーを起こすのが普通と言う状態で動き続けるシステムであるため、ヴァンダルーが貴種吸血鬼のセルクレントの魂を砕いた時とは違い、特に問題視はされなかった。
もうそろそろ各地で収穫祭が行われるだろう時期に、ハインツ達【五色の刃】も収穫の時を迎えようとしていた。
「ぐあああああっ! おのれっ、人間共がぁぁぁぁ!」
ただそれは作物や果実ではなく、人々の血を啜り肥え太った闇夜の貴族、吸血鬼の首だったが。
「ぐうぅっ、何故この場所が、我々の存在が分かった!?」
過去商業ギルドのサブマスターを十年務め、現在では老齢を理由に隠居したが、若い意欲的な商人たちの良き相談役と成っている好々爺、チプラス。
だが、今の紅い目を見開き獣の如き牙を剥き出しにする彼を見て、好々爺だと思う者は皆無だろう。
「善意の情報提供者のお蔭さ」
「チィッ! あの裏切り者共か! テーネシア様から恩恵を受けながら、儂らを売ったか!」
既に商人としての立ち振る舞いを無くしたチプラスは、肥満体に似つかわしくない素早い挙動で鉤爪を伸ばし構える。
既に彼の配下の従属種吸血鬼や、貴種吸血鬼はほぼハインツの仲間達に討伐されている。残っている味方は僅かだ。しかし、チプラスの目には憎悪は浮かんでいても絶望は浮かんでいなかった。
「愛玩動物代わりにダンピールを飼っているだけなら見逃してやっても良かったが、この儂にここまでの醜態をかかせた以上、貴様共々殺してその首をテーネシア様への土産にしてくれる!」
見た目からは想像できない素早さで襲い掛かって来るチプラスの動きを、しかしハインツはすぐに見切り、魔剣で彼の腹を深く薙ぐ。
「【蒼光炎刃】!」
ハインツがオルバウム選王国に活動の拠点を移し、アルダ融和派に成ってから開眼した上位スキル、【輝神剣術】の武技だ。
魔剣自体の攻撃力に、ハインツが適性を持つ光属性と生命属性の魔力を乗せて放つ武技は、吸血鬼にとって掠るだけでも致命傷に成りかねない。
それで肥え太った太鼓腹の半ば以上を薙がれたのだ。これは驚異的な生命力を誇る貴種吸血鬼も一溜りも無い。
「グフっ、ぐふふふっ、効かんなぁ~っ! 【金剛裂】!」
「何っ!?」
だが、チプラスは倒れるどころか嘲笑を浮かべると、格闘術の上級武技を使用してハインツを引き裂こうとする。巨人の如き筋力で振るわれる鉤爪を、剣術の武技【柳流し】で何とか受け流したハインツは、チプラスが無傷である事に目を見開いた。
「くははっ! 儂は【悦命の邪神】ヒヒリュシュカカ様の加護によって、【光・生命属性無効】のスキルを賜ったのだ! 貴様の剣技など効かぬ!」
その耐性スキルによるものだろう、屋敷の壁が破壊され日光が当たっても吸血鬼であるはずのチプラスは傷一つ負っていない。
「ははははっ! 儂は吸血鬼の侯爵、ヴァンパイアマーキス! テーネシア様の配下の中でも三本の指に入る重臣よ、如何にA級とは言え、人間風情が勝てると思った……貴様、何のつもりだ?」
ハインツは嘲笑を上げるチプラスに対して、正面から魔剣を構えていた。
「貴様、儂の言葉を聞いているのか? 貴様が得意とする【輝神剣術】も、光と生命属性の魔術も儂には通じないと言っているのだぞ?」
訝しげに顔を歪めるチプラスに答えず、ハインツは精神を集中し、研ぎ澄ませていく。
「……【限界超越】……【魔剣限界超越】……」
イメージするのは、一振りの刃。
「……【御使い降臨】!」
そして天から降りた光の柱にハインツが包まれ、その背にアルダの御使いの象徴である光の翼が出現する。
「き、貴様っ! 無駄だと言っているのが分からんのかぁぁぁっ!」
【光・生命属性無効】スキルを持つチプラスに対して、アルダの御使いをその身に降ろす意味は薄い。
だが、チプラスの口から出たのは嘲笑ではなく怒声だった。膨れ上がっていくハインツの力に比例して大きくなるプレッシャーに耐えきれず、自身も【限界超越】スキルを起動して身体能力を爆発的に高める。
「死ねぇっ! 【無限双爪刃】! 【氷獣群推参】!」
両腕の鉤爪を連続で振るう武技を発動し、更にその隙間を水属性魔術で創りだした氷の獣の爪牙が埋める。
これぞチプラス必勝の連続技。知略だけでは生き残れない邪神派吸血鬼の歪んだ社会を、チプラスはこの技を切り札に駆け上がって来たのだ。
その刃の群れが到達する、その瞬間ハインツは魔剣を振った。
「【破邪蒼煌輝閃】!」
アダマンタイトよりも硬いチプラスの鉤爪や、氷獣がガラス細工の様に砕け散り、魔剣の刃が彼の身体に吸い込まれる様に入り、そのまま音も無く抜けた!
その凄まじい一閃はそのまま止まらず、屋敷の天井も壁も切断し消していく。
「ばっ……」
「か……な……」
背後で、脳天から股間まで左右に別れたチプラスがそれぞれ倒れる音を聞いてから、ハインツは息を吐き、魔剣を鞘に納めた。
「耐性スキルを超える無効スキルを持っていても、正義を貫く意思がある限り私は負けない」
「それは結構だけど、もうちょっと上手く戦ってほしいわね」
エドガー達と他の場所から屋敷に突入していた女ドワーフの盾職、デライザは二つに成って蒼い炎に包まれて燃えていくチプラスではなく、屋敷の壁があった場所を見ながら呟いた。
その向こうに在った山が割れている。問答無用で、綺麗に、真っ二つに割れている。
「いや、屋敷の裏の山はチプラスの所有地で、人は居ないから大丈夫だ」
「そう言う問題じゃないでしょ」
「今回は山が割れただけで樹木はあまり切り倒していないから、ダイアナも怒らないだろう」
「ああ、この正義脳筋……」
デライザが頭を抱えている間に、【御使い降臨】等を解除するハインツ。正義脳筋とは、仲間内での彼の仇名だった。
実際、ハインツがチプラスを倒せたのは、無効スキルで魔剣本体の攻撃力しか効かない敵を、出鱈目に自己強化を繰り返して最大の技を使い強引にぶった切ったからだ。
お蔭で発生した余波でそう大きくはないが、山が一つ割れてしまった。
「やったなと言うか、やっちまったなと言うべきか」
「エドガー、ジェニファーとダイアナは?」
「倒した吸血鬼の魔石を取ってるところだ。そっちの大物は……ダメそうだな」
残念そうな顔をしてチプラスの死体を見た後、エドガーは真面目な顔をして言った。
「しかし、これで貴種吸血鬼も何匹目だ? キナープって言う告発者は、きっと天国に行けるな」
元魔術師ギルドのギルドマスター、キナープを筆頭にした告発者によって、今ハートナー公爵領では今まで闇に潜んでいた吸血鬼達が次々に狩り出されていた。その波は他の公爵領にも広がりつつある。
ベルトン公子から指名依頼を受けたハインツ達【五色の刃】は、一部の者にしか明らかにされていない城の地下に在った魔王の封印が解かれた事件の調査と、吸血鬼狩りを並行して行っていた。
魔王の封印を解いた裏には邪神派の吸血鬼が存在するのではないかと見たからだが、今の所手掛かりは無い。
尤も、次々に大物を討ち獲っているので冒険者としての収支はかなりの黒字だが。
「天国か……どうだろうな」
しかしハインツは顔を曇らせた。それはキナープ達の状態に原因がある。現在彼らは、心臓と肺が動いているだけの人形だ。涎を垂らしながら、虚空を眺めている。
だが、吸血鬼に関する情報を質問した時だけは正気に返ったように流暢に喋り出すのだ。
明らかに何者かによってキナープ達は壊され、操られている。
「同情するな、あれも奴らの自業自得だ。機会があったら俺達……セレンを攫ってさっきお前が二つに分けたデブに献上しようとしていた連中だぞ。
それよりも、ベルトン公子は何処まで知ってると思う? イクス男爵の件も含めて何か隠しているのは確実だと思うが」
城が傾いた時に重傷を負ったイクス男爵は、最近意識が戻らないまま息を引きとった。それをエドガーは、ベルトン公子の手の者に謀殺されたと考えていた。元々諜報組織紛いの事をしていて多くの秘密を知っていただろうし、今では魔王の封印を解いた容疑者として最有力候補の吸血鬼と繋がっていた、人類の裏切り者だ。
黙って死んでくれなければ困るだろう。
実際、ハートナー公爵領では当主や子弟が急病で静養のために何処かに行ってしまった貴族家が幾つもある。彼らはきっとそのまま出家して信仰の日々を死ぬまで過ごすか、静養の甲斐あって忘れた頃に病死した事に成るのだろう。
だからまだ何か裏があるのではないかとエドガーは言うが、デライザは首を横に振った。
「どうかな? あの公子様、上辺は取り繕っていたけど今は自分の尻に着いた火を消すので手一杯って感じだったわよ。私達にこうして依頼して、吸血鬼を狩るごとに気前良くお金を弾んでくれるのも失墜した自分のイメージを少しでも取り戻す為でしょ」
「確かに……あの坊ちゃんが喧伝してくれるおかげで、町じゃ俺達公子閣下の無二の友人だって噂に成ってるぞ」
お蔭で冒険者ギルドのダンピール等に対する不利な制度改正は撤廃されそうだが。
「私が誰の友人でも構わない。邪悪な吸血鬼や邪神の信奉者が倒されるなら。
問題は、魔王の封印だ。だが、あのカナタと言う男の犯行とは考えられない。だが、こうして何者かに操られたキナープの情報を頼りに探している限り、真相には辿りつけないだろう」
ハインツの言葉に、エドガーとデライザは頷いた。この場に居ないジェニファーとダイアナも同意見だろう。
ベルトン公子が腹に一物抱えていても世界は滅ばないが、封印から逃れた魔王の欠片を野放しにしては世界が滅びかねない。
これまでも幾つかの封印が解かれているとしてもだ。
当然だが、魔王が封印されたのは吸血鬼を初めとしたヴィダの新種族が産まれる前の時代。今では恐れられる原種吸血鬼達も、当時はただの人間で神々や勇者と共に魔王と戦っていたのだ。そのため、原種吸血鬼達は魔王が封印された場所を知っていてもおかしくない。
そして今ではヴィダさえ裏切り魔王の残党に与する原種吸血鬼を初めとするヴィダの新種族が魔王の封印を解き、魔王の欠片を単なる力として利用するのは当然の成り行きだった。
十万年の歴史の中で語られる英雄と強大な悪の戦いの内幾つかは、その結果起こったものだ。
「カナタという男は強力なユニークスキルを持っていたようだが、何者かが背後に居たようには思えない。あまりにも行動が……何と言うか、滅茶苦茶だ」
「確かに、妙だよな。ナインランドに着くまでの間に派手で雑な犯行を繰り返して、冒険者ギルドに行って名前を態々明らかにして、かと思ったら崩落した地下墓地で死体に成って埋もれてた」
前歴不明、出身地不明、ジョブもスキルも不明。それでいてナインランドに入るまでの行動は、強力な力を得ただけの無法者。だが、正確な位置を秘匿されていた地下墓地に入り込んでいる。
どうにも不可解だ。
「これは勘だが、カナタと言う男はその場に居合わせただけで、魔王の封印を解いた犯人とは関係無いのかもしれない」
ハインツが怪しいと睨んでいるのは、キナープ達告発者以外から手に入れた情報……原種吸血鬼の一人ビルカインを裏切った女の貴種吸血鬼と、その主人が何処かに存在するらしいという情報だ。
その女吸血鬼……エレオノーラらしい人物が、キナープの屋敷に出入りしていたのを見ていた乞食が居たのだ。
遠目に赤毛の美女が大量の買い物袋を持って屋敷の裏口から入って行ったのを見た。それだけの情報だ。誰も、偶々残飯を離れた他の屋敷で施してもらっていた乞食本人も、見向きもしなかった。
しかしそれを聞いたエドガーは、ニアーキの町でも赤毛の美女の姿を見たと言う情報を『闇夜の牙』の下っ端から聞いており、引っ掛かりを覚えた。
そして調べて行けば……城が傾いたその日には姿は消えていたと言う。
「そのエレオノーラの主人は、下っ端は名前も知らないみたいだよ。何でも呼ぶ事すら原種吸血鬼に禁じられているんだとか」
「余程の大物なのでしょう。もしかしたら、新たに目覚めた原種吸血鬼なのかもしれません。恐らく、キナープ達の精神を破壊し操ったのも、その者かと」
素材の剥ぎ取りが終わったジェニファーとダイアナもやって来た。そして揃ったパーティーメンバーに、ハインツは言った。
「例え原種吸血鬼でも、封印を破り魔王の欠片を解放した者を野放しには出来ない。命を弄び、魂を冒涜する者の存在を私は許さない。
ナインランドにはもう大物は残っていない、明日からはエレオノーラと言う吸血鬼を追う。……『ザッカートの試練』は後回しに成るが」
「いいさ、世界の危機なんだろう? それにどちらも大金星には違いないからな」
「マルティも許してくれるだろうしね」
ハインツの方針に賛成するジェニファーやデライザ達に、エドガーだけは迷いを瞳に浮かべていた。
(ニアーキにエレオノーラって吸血鬼に似た女が目撃された時期と、あのヴァンダルーって名のダンピールが町に現れた時期がぴったり重なる。尤も、ナインランドにはヴァンダルーの情報は無いが……結局ヴァンダルーの方の足取りは……あの時のダークエルフの息子だとして、どうやってミルグ盾国とオルバウム選王国の国境を越え、サウロン領を越えてハートナー領に入って、ニアーキの町まで来たのか……全く分からなかった。
結局、俺とハインツの考え過ぎか?)
エドガーは、ヴァンダルーが僅かな例外を除けば誰も越えた事が無い境界山脈を越えて来たとは夢にも思わず、自分達と同じようなルートでニアーキの町に来たのではないかと考えていた。
だから、態々ニアーキの町の南に在る開拓村に足取りが無いか調べようとは、欠片も思わなかったのだった。
バリボリゴリとヴァンダルーはパウヴィナとラピエサージュと一緒に、リンゴに似た果物を齧っていた。
「ヴァン様、最近よくその果物を齧っていますけど?」
「ええ、とても硬くて、瑞々しくて、甘い果汁の、とても硬い果物です」
大事な事なので二回言った。
「……顎が疲れそうですわね」
「でも美味しいよ?」
「あ゛、まぃ……」
このリンゴに似た果物味はとても美味しいのだが……果肉が牛の大腿骨と同じくらい硬い。【怪力】スキルを持つヴァンダルー達だからこそ普通に齧れているが、常人なら文字通り歯が立たないだろう。
並のグールや巨人種でもすぐ顎が疲れてしまうだろう硬さだ。ヴァンダルーが装備している百足の魔物、ピートなど見向きもしない。
「とても硬いのだけど、何故か頻繁にこれを渡されるんですよ、『蝕王の果樹園』から連れてきたエントの一匹に」
ヴァンダルーが通りかかると、絶対にこの果物を渡してくるのだ。なので「折角くれるのだし」と受け取っていたら、毎日何個も食べる事に成ってしまった。
パウヴィナ達の受けは良いのだが。
「きっと前世では果物を沢山売り歩いていた、名のある商人だったのでしょう」
そんな霊が居たかはあまり覚えていないが、別に違っていても構わない。今はヴァンダルーがテイムしたエントでしかないのだし。
「では、そろそろ現実に戻って新通貨鋳造の為には頑張りませんと」
現実逃避兼休憩の時間は終わってしまったようだ。
はふーと息を吐いて、ヴァンダルーは眼の前の失敗作の数々……黒や紫色のどろりとした液体が満ちている石の入れ物を視界に入れた。
タロスヘイムに通貨を導入するのに問題に成ったのは、やはり材料にする金属だ。
オルバウム選王国の通貨、バウムは一番価値がある白金貨(王侯貴族や大商人以外滅多に扱えない)以外はヴァンダルーが全て持ち帰り、巨人種アンデッドの鍛冶屋、ダタラによって配合された金属の量は正確に解明されている。
将来ハートナー公爵領以外の選王国領と交易するのに、通貨の価値をバウムに合せるのは意義がある。
しかし、タロスヘイムでは金や銀が安定して採掘できないのだ。
『ドラン水宴洞』では、金銀が採掘できない。ダンジョンの宝物庫で金塊や銀塊が出る事はあるが、流石に通貨に出来るほどの量が安定して手に入る訳ではない。ダンジョンが何を基準に、そしてどうやって宝物庫に宝物を補充しているか分からないので、信用し過ぎる訳にはいかないのだ。
【迷宮建築】スキルも、宝物庫の中身は自由に操作出来なかった。
なので、主に採れる鉄や銅を中心に通貨を作る事に成るが、千バウム金貨や一万バウム金貨と同じ価値の通貨を鉄や銅で造ろうとすると大きくて重い、利便性の欠片も無い金属塊が出来上がる。
いっそ硬貨ではなく紙幣の導入も考えたが、まだ丈夫な和紙は少量しか出来ないし、そもそも印刷技術がまだ稚拙だ。なのでやはり導入するのは硬貨が良いだろう。
「名前は早く決まったんですけどね」
通貨の名称は、ルナ。【蝕王】が治める太陽の都の通貨が、月とは洒落ている。
更にコインの意匠も大体決まって、一ルナ銅貨や五ルナ銅貨、一ルナの半分の価値がある半ルナ鉄貨は試作品が出来上がっている。ダタラがアミッド銅貨やバウム銅貨と比べても遜色無い出来に仕上げてくれた。
そして十ルナ以上の通貨を作るために使う金属を調達するために、ヴァンダルーは金属を作る事を思いついた。
『聞いた時は、相変わらずイカれとるなと思ったわい』
「まぁっ、常識の範疇に囚われない発想と言うべきですわ!」
ダタラにタレアがそう文句をつけたのにパウヴィナは目を瞬かせた後呟いた。
「……二人とも同じ事言ってる」
賢い子である。
金属を作ると言っても、青銅の様な合金を作るという意味では無く、鉄や銅を材料に新しい魔導金属を作るとヴァンダルーが言い出したので、ダタラ達の感想はどっちも正解である。
魔導金属とは、オリハルコンを頂点にミスリルやアダマンタイト、ダマスカス鋼や黒曜鉄等の魔力を帯びた金属の事だ。その成り立ちは、神のみが扱う事が出来るオリハルコン以外の金属は大体判明している。
ミスリルやアダマンタイトは、元々は通常の銀や金が魔力に何万年もの長い年月浸った事で変化して出来る、自然精製。
ダマスカス鋼や黒曜鉄は熟練の鍛冶職人が通常の金属を加工して精製する。
ダタラも黒曜鉄なら材料さえあれば作れるらしい。鉄を元にミスリルやアダマンタイトの粉末を極少量加えながら一日がかりで鍛造して精製するので、『夜通しやって剣を二か三振り分精製するのが精一杯じゃ。通貨になんぞ絶対に無理じゃわい』との事だが。
勿論、【鍛冶】スキルの無いヴァンダルーが【ゴーレム錬成】で大量生産するような事も不可能だ。
なので、ヴァンダルーはミスリルやアダマンタイトと同じく魔力に金属を浸す方法で魔導金属を作ろうとした。
普通なら無理だが、ヴァンダルーの億単位の魔力と対象の時間の流れを早くする【経年】の術を使えば可能ではないかと思ったのだ。
そして実際可能だった。数万年死属性の魔力に浸されたのと同じ状態に成った鉄や銅は、魔導金属へと変化したのだ。……液体金属に。
「うーん、確かに新しい魔導金属は出来ましたけど、これって硬貨には出来ませんよね」
『液体じゃからの』
重さと大きさは同じだが、黒や紫の水銀の様な液体金属に成った鉄や銅を前に困っていた。これ、何に使えるのだろうかと。
「とりあえず鉄を『死鉄』、銅を『冥銅』と名付けましょうか」
液体とは言え魔導金属だから、何かしら特殊な性質を持っているはず。なら、その性質次第では使い道があるはずだ。
硬貨に使えるかは兎も角。
(液体金属の鎧とか作れたら面白いかもしれないけど、出来るだろうか?)
ネット小説大賞に参加しました。宜しければ応援お願いします。
3月14日に88話、15日に89話、18日に90話を投稿予定です。




